入院面会したいに該当するQ&A

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中心静脈栄養で在宅医療か療養型か

person 70代以上/男性 -

80歳の父、去年秋まで軽い脳血栓はあったものの、自力で生活していました。 去年秋に食欲低下、脱水症状や炎症で入院。COPDと診断され、地域包括でのリハビリ転院予定。 →転院待ちの間にインフルエンザ院内感染。 →年末年始で転院は年明けになり、面会禁止。その間に筋力、体力さらに低下。 →年明けに転院後、食べても低血圧や低栄養でリハビリはリクライニングベッドや車イスでの移動のみだと話あり。  →老健などへの転院検討中、コロナ濃厚接触になったため、面会もしばらく中止  →その週の夜、低血糖で意識不明に。 翌日原因を検査して連絡するとのことで帰宅したが、連絡なし。意識は戻っていたが、主治医は土曜ですでに帰宅していた 翌日食事したようだが、さらに翌々日行ったときに誤嚥でしたため、禁食に →禁食のまま、主治医から説明を聞く コロナ濃厚接触の間に誤嚥性肺炎を起こしていたと初めて知る。その結果、低血糖で意識なくし、意識戻ったあと一度食べさせたが、やはり誤嚥したので禁食禁飲に、とのこと。 そして私たちが説明聞きに行く前に検査をしたら低栄養で急を要したので中心静脈栄養を入れた、と事後報告で同意書にサインを求められる。 いきなりすぎて訳がわからず、説明聞いて、とりあえずサインしたが、後で調べたら感染症リスクなどのあったのにその説明はなかった。  本人に言ってもわからないと本人にも確認せず、説明の間も足を組みながら、もう老衰だし、肺炎は大変だ、と投げやりに言われた という経緯があり、様子見で今に至ります。 今の主治医は副院長で患者に寄り添ってるように思えず、高圧的で説明不足もあり、信用できません。ソーシャルワーカーも若く経験少ないようで頼りない。 もう回復の可能性が低いのは理解、覚悟していますが、今のところ、本人は食欲があり、意識レベルもそれほど低下してなく、ミトンなどされ不自由で気の毒なので、できれば自宅に連れて帰りたいのですが、痰吸引が必要なのと中心静脈が入ってるのでどうなのか。 トイレも今ではすっかりオムツ生活です。 介護認定も要介護5となったが、退院と決まってからじゃないとケアマネージャーを探せないと言われ、今はいません。 同居ですが、それぞれ仕事もあり、家にいない日もあるため、療養型病院に移り、外出外泊でたまに自宅に帰るのもあるかもしれない、とソーシャルワーカーには言われていますが、そのような病院が近いところにないため、迷っています。 前置きがだいぶ長くなりましたが、元々帰る予定で地域包括に転院したのに帰れていないのが不憫です。 今は歩けなくもなり、大変な状況ですが、 1.先の同意なしに中心静脈栄養を入れても問題ないのか。リスクの説明もなしはどうか。 2.この状況での在宅医療はどういった点が難しいか。痰吸引は自分達でも可能か。 3.中心静脈栄養はどの時点ではずすことになるのか 4.この状況でもダメ元で嚥下障害の評価は受けられるか、肺炎覚悟でも最後は何か食べさせたいが、いかがなものか など教えていただきたいです。 長々とすみませんが、よろしくお願いします

8人の医師が回答

高熱でも心因性でしょうか

person 10代/女性 -

不登校高1です 前日当日とストレス原因あり 首が凝り固まってる悪寒がするといい倒れ込むように友達とのカラオケから帰ってきて、喘鳴がでて39.8度の発熱 インフルエンザもコロナも陰性 今回、喉が痛くてこのような痰がでました。熱が高い割に翌日には平熱に下がりました。熱が収まっても体温が極端に上がり下がりしました 心因性でしょうか? 中2の時コロナが治った直後に再発熱し、起立性調節障害の症状があり漢方薬で様子見するが一気に悪化し総合病院に行くと、バセドウ病と誤診され服薬入院となったことがあります。無痛性甲状腺炎でした。大僧房弁逆流症(後に軽度で支障ないレベルと判明)もあり 当時は甲状腺のせいだと思ってましたが、数値の割に具合が悪く長引きました。面会にいっても表情がとぼしく目も合わさず会話もうなづくだけで異常だったのをはっきり覚えてます コロナ発熱から半年寝込み復帰したものの上半身の背中の疲れは取れぬまま受験など頑張り進学校に無事合格するも勉強につまづき不登校 病院を駆けずり回り最良の治療をと努力しましたが、甲状腺炎だったので最初の起立性調節障害の頃のことは話さなかったように思います。長期に放置してしまい鬱病や不安性など出て、でも友達とは遊びに出ます(ただし高校の友達とは☓) 1心療内科に三軒いきましたが、診断も薬もバラバラ。鬱と診断され積極的に治療してくれる病院にしたら、抗うつ剤があわず、一時的にでた症状でもバンバン診断され子供がよけい自覚して悪化してしまい学校休みだした頃とは別人のように 11月には、子供のほうから最近勉強に手がつかないお薬飲んだら治るかなと心療内科に行きたがり不登校になるつもりも一切なかったのです 不思議なものです

9人の医師が回答

握り母指 脳性麻痺の可能性

person 乳幼児/女性 - 解決済み

先日生まれたばかりの女の子の新生児です。 今日で生後1日目ですが、逆子が治らず帝王切開でのお産でした。 お腹にいた時から【コ】の字でお尻が下をむいていました。よく動き手足などで横腹を蹴られていて、出生後赤ちゃんをみるとそのままのコの字で手足がしばらく上がったままでした。 術後1時間足らずで同室になった際は足が降りていたのでホッとしましたが 肩があがり手が緊張状態からなおっていませんでした。 今日のお昼を過ぎた際に主人との面会時、先生から緊張状態が続いていて手が特に硬いのと、泣き声が少し小さい、それとお尻の穴の位置が膣に近いです。と指摘をうけました。 確かに膣に近いのですが排便はあるため、閉まってはいないけど、気になると思うので大きな病院でこれは退院後一度みてもらうことをオススメしますといわれました。 緊張状態については経過をみて治らなければそれも紹介状をだすねといわれています。 まず手なのですが、素人の私からみても親指を中にグッといれたままです。 開くのは開くし、少しマッサージしながらだと私の指を握らせることもできますが、基本自分でグーを作る時は硬く中に入れたままです。 他の指は動きます。強いのは左手の親指です。右手も少し硬いです。 調べればきりがありませんが握り母指や、脳性麻痺などの症状を目にします。 今まだ生後1日目で入院は続きますが、経過をここでみてもらっていいのでしょうか、すぐ大きな子ども病院に行きたいと伝えたほうがいいですか? 色んな可能性として心構えをしたいです。 症状からみた予想できる疾患や今できることなどあれば教えていただきたいです。 一人目が完母だったので母乳もあげたかったのですが、今回逆子で初の帝王切開となり母乳もうまくあげれていないし飲んでくれません。ミルクも最初は無理やりがんばって飲んでいたようですが、ミルクを今は哺乳してくれるようになりました。

3人の医師が回答

63歳、脳梗塞で小脳1/4切除、頭痛と嘔吐が続いています

person 60代/男性 -

12/15朝にひどい眩暈に襲われ救急搬送、総合病院脳神経外科内科にて入院中の父です。 12/16に小脳が腫れてきており、後頭葉にも梗塞を起こしていることから小脳の腫れているところにあたる小脳1/4を切除する手術をしてもらいました。開頭術と聞いています。 手足の痺れはなく、手先指先まで動かせています。言語障害も無いように思います。 リハビリは12/24ごろから始めています。ベッドから車椅子に乗ってしばらく座ってみる、廊下の手すりに捕まって10メートルを何往復かゆっくり足を出してつたってみる。 でも体を動かすたびにめまい、吐き気、リハビリ中やベッドに戻る際、嘔吐。リハビリなしの日でも、食事の時に体を少し起こすため、食べたら嘔吐。 薬を飲むために食べる順番を考えながら、無理やり飲み込んでいると言います。毎日面会に行っても、ベッドに仰向けで、目を瞑っていたり、起きていてもただただ『頭が痛い、しんどい』と言います。 仕事復帰を目指す!と意気込んでいたのに弱気にもなってきました。 嘔吐ばかりで体力も落ちていそうです。 今は年始で担当の方がおらず、1/6からリハビリ再開です。 父は今が本当に苦しく辛い時期で、リハビリを頑張ればこの頭痛は少しは引き、嘔吐も徐々になくなりますか? また、常に人や動物が動いて迫ってきたり見えていると言います。これもいつかは消えるのでしょうか? 何か私にできることはないでしょうか ※心臓にはステントを入れています。 12/3にも脳梗塞を起こし、右足の甲の痺れだけで2週間点滴をして退院しました。 そして退院した2日後に今回の脳梗塞を起こしています。前回も心原性と聞いています。 術後の説明からもうすぐ3週間経ちます。そろそろ現状やリハビリ転院の話がありそうですが、まだありません。 父の状態をみていて辛くなり、先にこちらで聞いてしまったことをお許しください。

3人の医師が回答

79歳父、ホスピスに転院後、誤嚥性肺炎が治るケース

person 70代以上/男性 -

79歳認知症の父は、年末にコロナ➡誤嚥性肺炎になり入院しました。口径や経鼻栄養を試みましたが、肺炎を繰り返すため腸を使うことを中止し、中心静脈栄養に切り替えてそれを継続することで最期を迎えることを医師と同意し療養型病院に4月初旬に転院しました。上記経鼻栄養を試みている間に体力が衰え(年末年始休みもあったため)胃ろう手術にも耐えられない体となり寝たきりです。 しかし、現在、療養型病院に面会に行くと、痰も出ておらず熱もなく、元気そうです。転院前は高熱が出たり酸素も必要だったり舌根沈下も見られしんどそうでしたが、転院後は高カロリ栄養の点滴のみで、口も閉じて何かしゃべって寝ることもなくたまに笑い元気そうなのです。 【質問1】そもそも経鼻栄養なんてトライせず、さっさと中心静脈栄養をして、動ける内に退院させればよかったのでしょうか。今後の母のためにお伺いしておきたいです。中心静脈栄養という延命処置をしているからなのか、現在の父は、首から上は元気で、首から下が動かないことに違和感を感じ、悔しいです。 【質問2】「延命処置をしてこんなはずじゃなかったと後悔される家族をいやほど見てきました」とよくお医者様がおっしゃっているのを拝見しますが、こんなはずじゃなかったとは、どんなはずなのか教えて頂けませんでしょうか。長生きすることで金銭的に、でしょうか。 【質問3】ホスピスに転院したら、まもなく弱っていくか感染かで最期となることを予測しておりました。しかし、今元気そうな父がホスピスにいることに違和感を感じ、その父を毎日お見舞いに行くことが何かしっくりきません。療養型病院から退院を宣告されることもあると思いますが、そのようなケースもございますか。 【質問4】退院を宣告されたら母に負担がかかるため、母的には今のままが良いと言いますが、私的にはまだ父のためにしてあげられることがないのかを模索しています。もし退院を宣告されたら、自宅で訪問介護を依頼するか、特養などに入るかの二択でしょうか。 諦めが悪く申し訳ないです。母も大事ですが、父も大事です。 ご意見よろしくお願いいたします。

4人の医師が回答

70代急性骨髄白血病について

person 70代以上/男性 -

72歳の父が6月末に急性骨髄白血病と診断され即入院しました。 抗がん剤治療を開始し、各数値は回復してきているものの、もともと骨髄の中で病気が進行しているものらしく現状どの程度骨髄の中で病状が悪化しているのかわからない状況とのことでした。 (骨髄検査をすればわかるらしいのですが、本人の協力が得られず検索よりすぐ高いこと、また検査して病状が悪化していたとしても大きく治療の方針が変わらないので検査はしない方針とのことでした) 抗がん剤治療も(おそらく体力的な部分で)1回しかできないらしく、今後確実に病状は悪化していくとのこと(スピードは人による) 現在ほぼ寝たきりの状態なのですご(助けてもらって座ったり自分でご飯を食べることは一応できている)、本人の意思も尊重して家に帰る予定でいます。 治療の中で以下の状態にありました ・感染症  重篤なものもあったようだが、一時期に比べたらだいぶ落ち着いている。ただ、現在は免疫も回復している状態なので、病気の熱や薬の熱も考えられる状況。 ・心不全  治療当初よりはよくなっている。ただ最近になって少し酸素不足も見られており心不全をくすぶっている可能性あり。完全にはよくならないかも。 ・せん妄  一時期よりはよくなっているが、十分によくなったわけではない。 環境が変わることでよくなる可能性はあるかもしれない。 面会をした感じ、夢を現実のことと日で話す、うまく呂律が回っていない。本人の言いたいことが周りにうまく伝えられていない感じです。 一時的に落ち着いているものの、今後急に悪く可能性もあるそうです。 最初は1年目指して治療しましょう、という話だったのですが、現在の状態だと1年期待するのは厳しいと言われました。 また、今後再発した場合に治療はできないとも言われています。 自宅でどのように過ごすか、何かあった時のために緩和ケアの準備をすることが大切だと担当医からは言われています。 先生が精一杯やってくださっていることは頭ではわかっています。 だけど心は追いつきません。 やはり高齢者の急性骨髄白血病の治療は難しいのでしょうか。 無理に治療はせずこのまま見守ることしかできないのでしょうか。 セカンドオピニオンをやる意味はあるでしょうか。 アドバイスいただけますと幸いです。

2人の医師が回答

がん末期のせん妄の家族 出来ることを探したい

person 60代/男性 -

肺がんで数年来闘病しており、今年に容体が悪化した家族が、抗がん剤治療を経て重いせん妄になってしまい、2ヶ月程経ちます。 具体的な経緯を以下に書きます。痛みで入院し、その前から痛み止めの量がかなり増えていました。抗がん剤の点滴後、数日で自力での歩行やトイレに行くことが出来なくなりました。その位から、存在しないニュースの話をしたり、日付けが分からなくなるといった、せん妄と見られる症状が現れ始めました。 それから今までに、せん妄に関しては悪化の一途を辿りました。自宅に一時退院しても、不安や見当識障害が治る様子はなく、家族が離れると大声で呼び、付き添っても不安定で、記憶も多くは定着しません。 現在は重い認知症のような状態で、本人の情緒不安定性などもますます強くなっている様子です。痛み止めも減らしてもらった上でです。がん自体のこれ以上の積極的治療は難しいと宣告されました。少し歩ける様になったことで徘徊の恐れがあり、在宅介護をするのも難しく、緩和施設でも、拘束とモルヒネ投与しかないと言われてしまいました。 医師によると、原因は、薬の副作用に心身の衰弱や負荷、小規模の脳梗塞、がんそのものによる影響(転移も考えられると病院で聞きましたが、具体的にどれほど転移しているのかは知らされていません)など多岐に渡り、特定出来ないといいます。また、終末期のせん妄で、それ自体を治すことは可能ではないらしいです。 その家族が入院してから、毎日誰かが1日も欠かさずに面会に行きました。退院時も、出来るだけそばに付き添い、話しかけ、素人なりに少しでも良い環境を提供しようと努力しましたが、至らなかったこともあったのかもしれません。もっと早く、せん妄の悪化を防げなかったことが悔やまれます。 病院や医師が、厳しい容体になってしまった家族に対して治療の手を尽くして下さったことにとても感謝しており、がん自体は仕方のないことだと思っております。 また、酷くなるせん妄で現場の方々には多大な迷惑もかけてしまったことも、本当に申し訳なく思います。 ただ、そんな家族の精神状態や脳に対して、本当にこれ以上何も出来ないのか、と諦めきれない気持ちがあります。というのも、3月半ばにはもっと余命幾許もない様子だったのが、今まで生きてくれて、あと数ヶ月程の見立てです。末期にしては食欲がかなり回復しており、少し前から歩行できる様になったりして、本人の様子に、まだ力がある感じがするのです。それで尚更なんとかしたいと思ってしまいます。このまま本人が混乱と精神的な苦しみの中で逝ってしまうには、長すぎる時間です。 もっと穏やかに、でも、可能ならただ薬で眠るだけでなく、本人らしさを取り戻せるような過ごし方も出来る方法を探したいのですが、今までがんによるせん妄について重点的に治療や支援を得る方法を、なかなか見つけられずにいました。 長くなってしまいましたが、このようながんに伴うせん妄に、脳や精神医学等の観点から対応をしてもらえる機関や訪問医等を、今の病院を出て次の緩和施設や在宅に移行した時のことも考え、探しているのですが、具体的な情報があれば教えて頂きたいです。もしくは、どうすればそのような治療に繋がれるのかを知りたいです。 多角的な観点から、諦めないケアを家族が受けられることを願っています。

4人の医師が回答

腰部脊柱管狭窄症で要介護4認定。

person 70代以上/女性 -

71歳の母が、腰部脊柱管狭窄症で手術し入院しており、要介護4の認定になりました。 話している様子では認知機能は特に問題ないかと思います。 これまで慢性的な腰痛はありましたが、歩いたり自転車での買い物など元気にしていたのですが、1月頃から太ももからふくらはぎにかけての痺れなどが始まり、痛み止めの薬など処方されていましたが、2月からいよいよ歩けなくなり排尿・排泄もできなくなり、2月中旬に手術となりました。 手術は腰椎にボルトを入れる手術でしたが無事に成功し、それまでの激痛や強い痺れはなくなりました。 痛みはなくなりましたが、術後の傷がうまくつかずに皮膚が壊死のような状況となり、2ヶ月ほど皮膚の方の治療を優先していました。 やっと傷口がよくなり、リハビリを本格的に始めることになりました。(↑皮膚の治療中も多少はリハビリをしていましたが、洗浄する機械を付けていたためなかなか本格的にはできず。) 現状、ベッドから車椅子への移動は1人ででき、車椅子でトイレに移動し排尿も1人でできます。 紙パンツを使用していますが、パンツの着脱も1人でできているそうです。 座った状態でご飯は1人で食べれます。 面会に行くと1時間〜2時間くらい車椅子に座った状態で話しをすることが可能です。 ただ排泄がまだ自分でできないそうで、看護師さんに掻き出してもらっているそうです。 手すりや歩行器があれば、多少歩けますが、なにもないところでは立つのは不安な感じです。 おそらくあと1ヶ月ほどリハビリした後に、自宅に帰れると思われまして、実家には父と私の兄がおります。 私も実家から30分程度のところに住んでおりますので、色々と手伝いは可能かと思います。フルタイムで働いていますが、週何日か介護での在宅勤務は可能な職場です。 前提が長くなりましたが、お聞きしたいことは以下になります。 ・リハビリを頑張れば、杖をついたりシルバーカーのようなものがあればまた歩けるようになるでしょうか? ・上記のような状態で、主に父が介護することになるかと思いますが、介護サービスを利用しながら自宅でみることは可能でしょうか?もちろん私も協力しますが、自分の家庭もありますので、100%介護できるかと言うと不安もあります。 要介護3くらいになるのではと思っていましたので正直驚いています。要介護4だと一般的に自宅で介護するのは大変でしょうか? お手数をおかけしますが、ご回答お待ちしております。よろしくお願いいたします。

2人の医師が回答

意識不明の母、胸水が溜まって酸素飽和度が92でも酸素吸入してくれない

person 70代以上/女性 -

脳出血で意識不明になって10カ月の母83歳ですが、急性期病院に入院時コロナにかかり間質性肺炎から心房細動にもなり胸に水が溜まりました。急性期病院で胸の水が抜けきらないまま療養病院に転院し胸の水も少し引け安定した状態でしたが、最近熱が出て脈拍が90台だったものが110‐120、胸に水もまた溜まり、酸素飽和度も一時は80台、呼吸も荒く無呼吸にもなりかなり苦しそうな状態でした。90台を切ったので酸素吸入をお願いしましたが一時的だからとしてもらえませんでした。翌日92位まで上がり無呼吸もなくなりましたが、現在も見ているのも辛いほど苦しそうに呼吸をしています。 急性期病院では95位でも常時酸素吸入をしていたのと、父が在宅で療養の際、やはり胸水が溜まり95位から酸素吸入を行いました。呼吸がかなり苦しく全速力で走っている状態と聞いていたので苦しくならないように先生にお願いしましたが、変わらないから、他の人にも酸素吸入していないから、80台は一時的だからと必要に応じて酸素吸入すると言って断られました。呼吸の波形を見ても呼吸が浅くなって、酸素飽和度も上がらずむしろ下がっているのが心配です。 昨日はまた90台を切りそうだったので看護師に再度依頼したところ呼吸が浅くなったので4時間だけ酸素吸入したら95までいったのでまた止めましたとのことでした。 ・寝たきりで何もなく呼吸も苦しくないのならですが、胸に水が溜まり呼吸が苦しい状態では95を切ったら酸素吸入が必須なのではないでしょうか? ・ずっと苦しいままの呼吸を続けてると心臓にも負担がかかり心臓にも影響が出てくるのではないでしょうか?そのため疲れて呼吸する力もなくなり呼吸が浅くなり、どんどん弱っていくのではないのでしょうか? ・心臓にも負担がかかり全体の体力も落ち胸の水も引けにくくなるのではないでしょうか? ・酸素吸入を4時間したら95になったのならそのまま続けてもらいたいのですが、酸素吸入をし続けるのはよくないと言われたのですが、苦しい状態を続けるほうがよくないと思うのですが、急性期病院ではずっとやっていたのにやらない方がよいのですか? ・酸素飽和が90台を切ると低酸素脳症になるとあるのですが、面会30分間は少なくとも80台後半よくて90でした。看護師もその状態を把握していたのでそれ以上の時間だと思いますが、低酸素脳症になっていないのでしょうか? ・脳出血で脳の大部分が損傷しているのですが、先日CTを撮ったところ更に損傷部分が広がっていました。脳の大半が損傷してる人は何もしてなくても脳の損傷がおこると言われましたが本当にそうなのでしょうか?今回の酸素飽和度の低下等なにかしらの理由があってだと思うのですが、自然に損傷するのでしょうか? ・酸素吸入をすると95まで戻るのに苦しいままにして寿命を縮めてるとしか思えないのですが、そのようなことはないのでしょうか? ・酸素吸入をすることにより呼吸がかなり楽になると思うのですが、先生のいうように変わらないのでしょうか? ・何を言っても酸素吸入をしてくれない先生にどうすれば酸素吸入をしてもらえるのでしょうか?

4人の医師が回答

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