療養型病院リハビリに該当するQ&A

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急性硬膜下血腫 後遺症

person 50代/女性 -

80歳の母が7月に倒れて急性硬膜下血腫、慢性硬膜下血腫が見つかり漢方薬で経過観察になりました。その時点で性格も別人のようになっていて、読み書きが出来なくなり、物忘れや不注意、ふらつき、度々頭痛、歩くと右に傾く、左側が見えない?物が二重に見えるなど異常が見られましたが、後遺症ではないからどんどん歩くようにと。別の病院でも同じ診断。 しかし家の中でもふらついてぶつかることがあり、訳の分からないことを口走るなども増え再び受診しましたが、後遺症でも認知症でも精神的なものでもなく、もう1か月ぐらいで治ります!と言われ、その2日後、朝に頭が痛いと言って寝たきり起きなくて救急搬送されました。 病名は、慢性硬膜下血腫の場所からの急性硬膜下血腫で緊急手術、当初は目が醒めることはない、意識は戻らないと言われていましたが、現在、医療依存は気管切開、痰の吸引、経鼻栄養で、両目を開き、追視をし、呼ぶとわかる、写真を見る、何か聞くと頷こうとするなどもあります。でもすぐ寝てしまいます。これ以上の回復はないので療養型病院にと言われていますが、家族としてはまだあきらめたくないので、少しでもリハビリの出来る病院に行きたいのですが、それは無理なのでしょうか? また、気管切開を閉じたり、経鼻栄養をリハビリしたり、回復の可能性のある方向に進むにはどうすればいいのでしょうか? 発病の慢性硬膜下血腫の場所から急性硬膜下血腫になることはぶつけなくてもなる事はあるのでしょうか?母は長年血圧が高く、降圧剤と血液サラサラの薬を飲んでいました。その朝はトイレに行き、薬を飲んでまた眠りそのまま起きずに家族が気付いた時には数時間後で、嘔吐してイビキをかいて倒れていました。 医師からは、当初脳幹が抉れる程だったが今は元に戻っている、2か月でこのレベルでは回復は考えられないと言われています。よろしくお願いします。

4人の医師が回答

終末期の高齢母、中心静脈高カロリー輸液をつけた後に止められるか

person 70代以上/女性 -

87歳、アルツハイマー型認知症、大腿骨骨折2回、終末期の母について質問です。1ヶ月ほど前に子宮内に膿が溜まって状態が悪くなり入院しました。子宮の方は全身麻酔をして洗浄を行い、状態は改善したそうですが、肺炎になり、食事はとれない状態になってしまい、腕や脚から点滴をおこなっています。しかし血管の状態も悪くなってきており、このまま腕や脚からの点滴は長くはできないとのことです。 もともと小柄でしたが、現在の体重は27キロとなっています。 嚥下リハビリは行ったものの、PTの方は「もう回復は難しいでしょう」とのことで、療養型病院へ転院しました。 息子である私のことももうほぼ誰かわからなくなってきていますが、新しい病院で医師より「ある程度受け答えもできておりこのまま餓死させるのは気が進まない。中心静脈輸液をしたい」とのことでした。母の姉は認知症になってTPNと経鼻経管栄養で長く寝たきりになり、その見舞いのたびに母は「私はああはなりたくない」と繰り返し言っていました。 現在私は海外出張中でできれば帰国できるまであと1ヶ月生きていて欲しいと思うものの、もしTPNをここでして、その後長く苦しい思いをさせるのも、認知症になる前の本人の意思に反すると思い、悩んでいます。 TPNは一度初めてしまえば、外すことはできないとも聞きますが、どうなのでしょうか? 姉が医師から「明日までに決めて欲しい」と言われており、私は通信状態の悪い海外にいるため、それまでに医師と話すのは難しそうです。「このまま餓死させるんですか」と姉は言われたそうで、とても辛く悲しい思いです。かと言って本人が望まなかった形で長く生きさせるのも、と悩んでいます。 意識状態がさらに低くなったり褥瘡がひどくなるなどした時、TPNを外すことは可能なのでしょうか?

2人の医師が回答

認知症の父が、2回(6月、9月)誤嚥性肺炎になりました。

person 70代以上/男性 - 解決済み

父(81)の状況は以下のとおりです。 ・血管性認知症でアルツハイマー型認知症との混合型と診断され、認知症病棟に入院しています。 ・介護3の認定(2022年6月)を受けています。 ・2022年6月に、今の病院(認知症病棟)に入院しました。 ・2022年7月にコロナに感染して回復したが、9月に肺炎となり抗生剤で軽快 ・2023年6月に、誤嚥性肺炎となり、回復後は、自力歩行⇒車椅子となる。  治療期間中は、経口摂取できず、点滴のみのためかなり痩せてしまった。  回復後は、かなりのとろみをつけて自力で食事をしていました。  このころから、週1回面会に行けるようになり、父の笑顔なども見れました。 ・2023年9月に、再度、誤嚥性肺炎となり、ベッド上で抗生剤治療で、熱が上がったり(39度)、下がったり(36度)の状況となる。 ・現在、父は、こちらからの問いかけには、うなずいたり、「うん」とかの反応はできる状況で、まったく意思能力がないわけでありません。 ●主治医からは、今後も、経口摂取は困難と見込まれるとして、以下の4種類の選択肢が示されました。  1 経鼻  2 胃ろう  3 中心静脈  4 従来の点滴まま ●終末期に近い状況であるとして、緊急時の心臓マッサージ、昇圧剤の必要性について聞   かれました。 <お伺い事項> 私の希望としては、現在の病院では経鼻の処置を行いつつ、受け入れてくれる急性期病院を探したい。そして、急性期の病院に転院した後は、誤嚥性肺炎の専門的治療を受け、回復後には、胃ろうの手術を行い、誤嚥しないようにするためのリハビリを受けさせたいと考えています。そして、回復後は、療養病棟又は介護病棟に戻りたいと考えています。  つきましては、この考えが妥当がどうか、父を苦しませるだけなのかどうかについて、御意見お伺いしたいと思います。

4人の医師が回答

88歳 左視床出血 水頭症 意識なし

person 70代以上/男性 - 解決済み

88歳の父が恐らく倒れてから24時間後に発見。病院に搬送されました。発見時から意識はなく嘔吐失禁した状態で片肺は肺炎を起こしていました。左視床出血で水頭症を起こしており、ドレーンを入れる手術をしますかと聞かれました。 父は延命処置には反対で協会にも入ると言っていました。一人暮らしに戻れるなら頑張って治療リハビリもするが、寝たきりで自我もないなら余計なことは一切しないようにと。 このことを医師に伝えたところ、ドレーンをいれても確実に意識が戻り元に戻るということはないから、なら点滴など薬で腫れが引くのを待ちましょうと提案していただきました。 今日で倒れて一週間経ちますが意識は戻りません。発熱はあり痰は絡むそうで、大きな息になっていますが、呼吸も心拍も安定しているとのこと。 昨日、腫れがひいたら目を開けたり目線があったりできるかもと看護師さんから聞き、本人は生きたいのではないか、まだまだ頑張りたいのに私が積極的治療を拒むのは良くないことなのではないかと胸が苦しくです。 本人の希望で鼻から栄養管も入れておらず、しんどいのではと… 本人は延命は拒否していましたが、痛みは取り除いて欲しいと言ってました。 意識はないのですが、痛みはあるかもしれませんよね?腫れがひいて、意識が戻り頑張れるのになんて事してくれたんだと責められたらどうしようと悩みます。 医師からは落ち着いたら療養型病棟へと話しをうけましたが、意識が回復したら退院したいのではないかと思ったり。 父のような状態の場合、本人はまだまだ生きたいから呼吸や心拍が安定しているのでしょうか。気持ちがぐじゃぐじゃで文章が変ですみません…

5人の医師が回答

原因不明状態からの抗がん剤治療

person 60代/女性 -

以前母親(60代後半)が悪性リンパ腫の疑いで抗がん剤治療を受けることになったことで相談させて頂いた者です。 現在意識朦朧状態から病院に運ばれて3ヶ月たちました。 ランダム皮膚生検の結果から血管内リンパ腫を疑い1ヶ月前くらいからR-CHOP療法を行っておりましたが、次の治療の間隔まで持たず意識レベルが悪くなり効果が不十分と診断されました。2週間周期で6回行う予定が、3回目の治療の後に、これ以上行うことは副作用や合併症のリスクもあり十分な効果がないのでやめる方向になりました。 そこで他の化学療法として大量メソトレキセート療法をやってみることになりましたが、前回のchop療法より期待値は低くなり、効かなかった場合はどうしようか担当医も悩んでいる様子でした。 そもそも腫瘍など見つかってるわけではないので、効果は意識レベルを見ながら判断するしかなく、もしこれでも効果がなければ療養型の病院に転院し緩和的な治療のお話もされました。 現在の母親の様子は意識はあり質問にはうなずいたり首をふって答えるものの、あまりしゃべらなくなり、食事もしなくなりました。 3ヶ月ずっと寝ている状態ではありますが、少し前までは普通に会話をして、ご飯少しと味噌汁やみかんなども食べ、今後少しずつリハビリをしていく意欲もあったので、このまま治療を諦めることはしたくないです。 担当医としても、実際抗がん剤の治療で少しの間回復傾向になったこともありリンパ腫の可能性は高いとは診断しつつ、かといって食事もまともにしていなく体力もなくなってきているし、治療の効果が出ないことでお手上げな雰囲気もありました。 もし大量メソトレキセート療法の効果がなかった場合は何か他に治療を行う方法などあるでしょうか?このまま他に治療が行えず弱っていくくらいなら、他の病院で見てもらうなども考えるべきでしょうか?

2人の医師が回答

地域包括ケア病棟の「受入条件」は、存在するのでしょうか。

person 70代以上/男性 - 解決済み

地域包括ケア病棟の「受入条件」は、存在するのでしょうか。仮にあるとすれば、どのようなものかを教えてください。インターネット検索では、私は探せませんでした。例えば、厚生労働省のホームページ。 1.経緯 94歳男性。コロナ感染で急性期病院<1>で治療、陰性確認後(約2ケ月経過)、「地域包括ケア病棟<2>」に転院。ところが、約2週間経過時点で、腹痛訴え、CRP14.4。「腸管に穴があいている」可能性も考慮し、地域包括ケア病棟<2>⇒急性期病院<3>に戻った。 急性期病院<3>入院時検査で、造影剤CTなど実施。大きな問題は見つからず。約1週間経過で、CRP1.45になった。←今、ここ。 2.質問の内容 現時点で、「食事量が少なく(ゼリー3サジ)であり、<地域包括ケア病棟「受入条件」>を満たしていない」と、言われた。「自宅に戻るor療養型病院」を勧められた。 現在、急性期病院<3>で、「栄養補給点滴」を受けている。食事量にムラがあり、ほぼ完食も、「まれには在る」。 3.地域包括ケア病棟 リハビリは、ST、筋力、車いす開始、車いすでの生活開始、生活のリズムを整える(話し掛け、明るい部屋で過ごす)、入浴、理髪、など。食事量はムラがあった。カロリー不足は栄養補助ジュースで補っていた。全介助。意思疎通:食事or不要、「やめて」程度。 4.コロナ入院前 トイレ:自力。手すり。大便は、最近購入ウォシュレット使用方法わからず、私が介助。小便は、前を濡らすことあり。大小の失禁は、約3ケ月に1回程度。デーサービス:5回/週。同送迎車の乗降り:「見守り」と(念のための支え介助)。入浴:全てデーサービス。食事:普通食。自力。歩行:見守りで200~400メートル/日。ベッドの乗降り:自力。手すり有。右手脳梗塞軽い。右不全麻痺。 ・急性期病院<1>と<3>は、同一病院です。

2人の医師が回答

療養型病院について教えて下さい

person 50代/男性 -

2年前からコルサコフ症候群と糖尿病で精神科の認知症病棟に入院しています。今年に入ってから食欲が落ちたらしく50キロあった体重が3月には43キロになりました。(身長171cm)その後5月に肺炎を2回患い、2回目の肺炎で器質化肺炎と診断され、その後すぐ自発呼吸が出来なくなり急性期病院に搬送、ARDSと誤嚥性肺炎と診断され人工呼吸器をつけました。その後、脱管→再挿管→気管切開。気管切開してからは鎮痛剤が切れて意識がはっきりしてきたので、文字盤を指さしして話が出来る様になり、よく笑う様になりました。この病院にきてすぐ、先生からはるい瘦状態だと言われ、長く低栄養状態が続いているので点滴しても栄養が吸収しないとも言われました。気管切開後は少し動くと呼吸数が上がるのでリハビリも出来ず寝たきり状態。肺が線維化していて今後も繊維化が進む、終末期状態ですと言われました。8月にワーカーさんに紹介された病院に転院。転院先の病院にいったその日から状態が変わり、殆ど眠っています。起きていても、もうろうとしていて目も半分位しか開いてません。文字盤の指差しも出来なくなりました。転院先の病院の診断書の病状欄には意識障害と一番最初に書いてあって、担当の先生には前の病院でも家族がきている時はなんともないけど、いない時に意識障害を起こしてったっていわれました。(前の病院に確認したんですが意識障害はないと言われました)うちの病院では鎮痛剤を使います。本人苦しいのが一番辛いから寝てるのが一番楽だと。週に3回面会に行って2回起きていればいい方です。笑う事もありません。口は動くんですが口読出来ません。(看護師さんも)体重も37キロになり1ヶ月で1.5キロ痩せました。経鼻胃管1日800㎉。人工呼吸器の設定がcmH2O→22。前の病院は肺胞が壊れるから18が限界と言ってました。療養型病院はどこもこういう感じなんでしょうか?

3人の医師が回答

急性硬膜下血腫の経過について

person 40代/女性 -

75歳の母が2週間程前に転倒による急性硬膜下血腫で入院しました。 一人暮らしのためどのような状況でいつ転倒したのかはわかりませんが、年末に転倒したと本人が言いCT検査をして、異常はありませんでした。 今回入院時には一応意識もあり会話もできている状態でした。血腫の量が手術をするほどではないこと、しかし透析を受けているため血液をサラサラにする薬(薬名はわかりません)を止めてしまうから脳梗塞などで急変の可能性もあるとの説明を受けました。 1週間経過したところでは血液は薄まってきており、とりあえず急変はなさそうだが、肺炎に罹っていると言われました(肺炎は入院翌日のレントゲンで確認できたようなので入院前からだったようです)。 今後は治療とリハビリ等を行い、家族が私だけで介護は不可能のため透析のできる療養型病院への転院などの検討の話がありました。 この時点では入院当初に比べても普通に会話もできていたのに、数日経って仕事帰りに寄ってみると非常にぼんやりとして、反応も悪くなっていました。寝ていたのを起こしたからかと思いましたがまた後日行ったときには、呼びかけに目を開いて反応するだけで声を出すこともありません。 看護師さんからは耳は聞こえているから話しかけてあげてくださいと言われました。 入院直後であれば仕方ないと思うのですが、だんだん状態が悪くなっているように見えて不安です。 正直、面倒見のよい病院ではないとは思います。看護師さん達もこちらから話しかけないと挨拶もしてくれません(もちろん話しかければとても愛想よく話してくださいます)。 高齢者が入院すると認知症のようになってしまうのはよく聞く話なのでこのような状態になっているのか、他の可能性もあるのかがわかりません。 患者の家族としての考え方、やった方がいいこと等あればご指導いただけたらと思います。

1人の医師が回答

「胃癌で余命1ヶ月弱と宣告」の追加相談

person 70代以上/男性 - 解決済み

令和3年11月脳梗塞で急性期病院に救急搬送。 嚥下障害にて経鼻栄養開始。 令和4年1月リハビリ病院に転院。 3月8日胃瘻を打診され内視鏡を入れたら胃癌があり当時の医師の話で 数か月前に出来た胃癌との事だが87歳と高齢であること。脳梗塞、認知症がある事により積極的治療には適さないとなり、5月にCVポート術を行った。その際胃癌からの出血があり輸血を行った。 6月15日医療療養型病院に転院。当日の検査により胃癌がかなり深刻であり余命少ない事を告げられた。 6月17日に嘔吐をし、黒い血を吐いたと連絡。ヘモグロビン7から5になる。それ以来 朝、昼、夜関係なくずっと眠り続けている。この日余命1ヶ月の宣告を受けた。 酸素マスク、止血剤開始 鼻からチューブを入れ胃の内容物(血液など?)除去しているとのこと。 7月19日 看護師がオムツを替えるときに鮮血を吐血200ml。 自ら苦しんで吐いたのではなく身体を動かした刺激で吐いたそうでその後再び眠る。血圧は上130です。 この日を最後にヘモグロビン検査は行わなくなった。 7月21日寝返りを打ったり、鼻からのチューブを抜いてしまう為この日から鼻からのチューブは外した。 医師看護師の話ではほとんど眠っているので苦しんだり痛みを訴えてはいないとのこと。 質問お願い致します。 ※1.傾眠傾向でも鼻からのチューブを外すという事はよくありますか?意識はあるということでしょうか? ※2.今までしていたチューブでの胃の内容物(血液など?)除去を中止しても問題はありませんか? ※なぜもうヘモグロビン検査をしてもらえないのでしょうか? ※どの位がんばってもらえるかですが、やはり余命は長くはないのでしょうか。 今の状態のまま耐えてもらうということは父にとって逆に可哀そうなことなのでしょうか。

3人の医師が回答

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