点滴だけ生きられるに該当するQ&A

検索結果:613 件

83歳父、6月頭に突然歩行困難。膀胱癌転移複数脳腫瘍、月末外科手術。7 月中旬放射線治療頃〜急速悪化

person 70代以上/男性 -

4年前に膀胱癌。手術と抗癌剤治療。その後これまで泌尿器科に定期通院。2年前にたまたま肺転移が見つかるも、小さいものが散らばり手術では取りきれないものであり、免疫療法を今年2月まで2年間続け一旦終了、定期的なMRI(首から下)での異常も4月までなし。他の持病としては唯一糖尿病があり血糖値は高く通院、薬の治療は継続。ただし日常生活、頭や体への支障は殆ど不自由なく、週に数時間の散歩もするなど、生活習慣も健康的であった(5月中旬まで)が、5月下旬からやや歩行困難な状態(休み休みで時間かかる)が出始めた。5月上旬に転倒で片足膝を痛めもう片方の足でかばいながら歩き、その足への負担によるものと当時家族は理解していた。そのため整形外科を受診も問題なく徐々に戻るとの見解。しかし6月上旬に突然歩行だけでなく、風呂場で2〜3時間座り込んだままになるような状況があり(その際は救急相談で救急搬送までは不要の判断)、再度近所の泌尿器科や整形外科に行くも改善なし。その後、帰省した長男(私)が6月16日に傾眠、意欲低下の症状が異常と判断し、救急搬送、結果、MRIで3箇所の脳腫瘍が見つかり、6月30日に開頭手術を行い最も大きな(4cm程度の)前頭葉左側の腫瘍を除去。意欲や傾眠の症状の改善はないが、自宅での歩行、食事などは物に捕まりながらもできるため、介護用のベッドなどの環境を整えて一旦10日ほどで退院。また治療方針として抗癌剤(パドセブ)は血糖コントロールが必要であり使わない方針、14日から10回の全脳放射線治療方針となり、再度入院しながらの放射線照射を実施(〜28日)、この間の症状の悪化が著しく、食欲の大幅な低下、それまでできていたトイレへの歩行ができず、介助と車椅子での移動。放射線治療1週間後に発熱と肺炎の症状も出るなど(抗生物質点滴投与)もあった。ほぼ寝たきりの状況に悪化するとともに正常時と変わらなかった認知機能や会話の状況も認知症のような認知や記憶障害はないものの、発声も衰え、意欲低下や傾眠も大きく悪化、一時はリハビリや点滴の栄養補充も拒否。1か月半の入院治療での急激な悪化による精神的な情緒不安定、生きることの諦めに至る意欲低下といった状況に至った。血糖値が下がればパドセブの投与も今後検討される可能性あるが、現時点予定の治療は一通り終わったため、リハビリ転院予定である。悪化については放射線終了時に副作用や肺炎による一時的な可能性の主治医の見解はあった。しかしすでに放射線治療から2週間経過しているが、改善は見られていない。素人であるが私としては全脳放射線の判断(手術困難な小脳にまだ1.5cmの腫瘍が2つ、手術でも取りきれていない、あるいはMRIで見えない腫瘍も含めての対処としてとの説明)が適切であったか、小脳の腫瘍の局所放射などできなかったか、などの疑問は残っているし、因果関係は証明できないが、全脳放射による悪化の可能性を考えている。まずは放射線前の自宅や病院でもトイレまでは自立歩行することを退院、自宅復帰の目標としてリハビリ予定である。もともと意欲や傾眠に関わる前頭葉の腫瘍や浮腫の影響もあったことから複雑ではあるが、本人の急激な悪化による意欲低下改善がまずは課題と考えている。以上のここまでの悪化の原因、現状の所見と予後(今後のリハビリ等による回復、その程度の見込み等).、まずは自宅復帰(自身での歩行、排泄や食事)を目指した症状の改善のための選択肢はまだあるのか、リハビリしかないのであれば、特に精神ケアなども含めてどういうやり方が最善か。以上についてのご見解をいただきたい。

4人の医師が回答

がん末期のせん妄の家族 出来ることを探したい

person 60代/男性 -

肺がんで数年来闘病しており、今年に容体が悪化した家族が、抗がん剤治療を経て重いせん妄になってしまい、2ヶ月程経ちます。 具体的な経緯を以下に書きます。痛みで入院し、その前から痛み止めの量がかなり増えていました。抗がん剤の点滴後、数日で自力での歩行やトイレに行くことが出来なくなりました。その位から、存在しないニュースの話をしたり、日付けが分からなくなるといった、せん妄と見られる症状が現れ始めました。 それから今までに、せん妄に関しては悪化の一途を辿りました。自宅に一時退院しても、不安や見当識障害が治る様子はなく、家族が離れると大声で呼び、付き添っても不安定で、記憶も多くは定着しません。 現在は重い認知症のような状態で、本人の情緒不安定性などもますます強くなっている様子です。痛み止めも減らしてもらった上でです。がん自体のこれ以上の積極的治療は難しいと宣告されました。少し歩ける様になったことで徘徊の恐れがあり、在宅介護をするのも難しく、緩和施設でも、拘束とモルヒネ投与しかないと言われてしまいました。 医師によると、原因は、薬の副作用に心身の衰弱や負荷、小規模の脳梗塞、がんそのものによる影響(転移も考えられると病院で聞きましたが、具体的にどれほど転移しているのかは知らされていません)など多岐に渡り、特定出来ないといいます。また、終末期のせん妄で、それ自体を治すことは可能ではないらしいです。 その家族が入院してから、毎日誰かが1日も欠かさずに面会に行きました。退院時も、出来るだけそばに付き添い、話しかけ、素人なりに少しでも良い環境を提供しようと努力しましたが、至らなかったこともあったのかもしれません。もっと早く、せん妄の悪化を防げなかったことが悔やまれます。 病院や医師が、厳しい容体になってしまった家族に対して治療の手を尽くして下さったことにとても感謝しており、がん自体は仕方のないことだと思っております。 また、酷くなるせん妄で現場の方々には多大な迷惑もかけてしまったことも、本当に申し訳なく思います。 ただ、そんな家族の精神状態や脳に対して、本当にこれ以上何も出来ないのか、と諦めきれない気持ちがあります。というのも、3月半ばにはもっと余命幾許もない様子だったのが、今まで生きてくれて、あと数ヶ月程の見立てです。末期にしては食欲がかなり回復しており、少し前から歩行できる様になったりして、本人の様子に、まだ力がある感じがするのです。それで尚更なんとかしたいと思ってしまいます。このまま本人が混乱と精神的な苦しみの中で逝ってしまうには、長すぎる時間です。 もっと穏やかに、でも、可能ならただ薬で眠るだけでなく、本人らしさを取り戻せるような過ごし方も出来る方法を探したいのですが、今までがんによるせん妄について重点的に治療や支援を得る方法を、なかなか見つけられずにいました。 長くなってしまいましたが、このようながんに伴うせん妄に、脳や精神医学等の観点から対応をしてもらえる機関や訪問医等を、今の病院を出て次の緩和施設や在宅に移行した時のことも考え、探しているのですが、具体的な情報があれば教えて頂きたいです。もしくは、どうすればそのような治療に繋がれるのかを知りたいです。 多角的な観点から、諦めないケアを家族が受けられることを願っています。

4人の医師が回答

心肺停止後に蘇生 その後の治療について

person 70代以上/女性 -

母77歳、昨年9月皮質下出血で倒れ減圧開頭術を受け一命を取り留め11月末頭蓋形成術、意識障害改善しない為1月シャント術を受ける。術後、脳内の状態が良くなり 2月意思疎通は出来ないが両目開けてじっと目を見つめる様になり、声をかけると気管切開の為、声は出ないが口を動かしたり、右手や足を動かせる様になる。 2月末、経鼻経口栄養、気管切開状態だが急性期病院の為リハビリ病院への転院の話しをされ 3月リハビリ病院へ転院。 ここからが相談です。 月曜、転院先病院に到着(民間救急車) 火、水と夕方面会に行くが疲れているのか寝ている様子。 木、夕方面会、目を開け見つめてくれ、手を握ってくれ、とても調子良い状態でした。 面会後、帰宅。 9時過ぎに病院より連絡があり 母の状態が急変し呼吸停止したので直ぐに来てくださいと言われました。夕方は変わりなかったのに どうして突然そんな事になったのか尋ねると分かりません、今心臓マッサージしているとの事でした。 40分後に家族到着。 当直医師より駆けつけて心肺停止確認後心臓マッサージをし18分後に蘇生、今は昇圧剤点滴、人工呼吸器で維持している、昇圧剤は強い薬だが母の体に対して多い量を使っている、心臓マッサージのさい肋骨が折れて肺に穴が空いた可能性があると説明されました。 その後、主治医到着(脳神経外科医) 「なぜ呼吸停止したのか原因が分からない、せっかく転院してきたのに、こんな事になり申し訳ない、心電図とか異常は無いが心臓で何かあったのかも、あとは肺血栓とか、 痰詰まりかとカテーテル見たけど詰まりはなかったです。 蘇生後、落ち着いてきた状態だが一度止まった心臓だから、この後何が起きるか分からない」 と説明。 「脳死状態かもしれないが、どうしますか」 と延命的な事も言われました。 私達は母にどんな状態でも生きていて欲しい心肺停止して原因が分からない状態では、また何が起こるのか心配でこのまま帰れないと伝え、母はとても痰が出やすかったので本当に痰詰まりはなかったのかと質問すると、エコーを撮りますとの事、エコー後 はっきりとした原因は分からないが、もんみゃくに水が入っていた、それが原因かも肝臓がかなり悪い腸が壊死している様なので、そのショック症状かもしれない。 やはりCTを撮ってみないと分からない今の状態ではCTは無理なので朝になってからCTを撮ります。 気管切開のカテーテル確認したがやはり詰まってなかった、細いカテーテルだったので太いのに変えました。 と説明されました。一旦帰宅し 翌朝8時CTを撮った後説明が 「せっかく転院してきてもらったのに、こんな事になり申し訳ない。CTを撮ったが原因は分からない、心臓で何かあったかもしれないが、やはりハッキリはしないが 内科医師に確認した所、肝臓は心臓マッサージの影響と言われた、 腸も壊死してない、もんみゃくに水は入っていない」 昨日言っていた事とまったく違う説明でした。 不信感と母の命を助けて欲しいとお願いしているのに、脳死かもしれないから延命するのか?の様な質問もされるので、心臓が原因なら専門の病院に転院したいと伝えました。 心肺停止の原因が分からないから転院は出来ない出来るとしたら元居た病院に戻るだけ。 と言われました。元の病院は脳神経外科なので専門外です。 母の命が最優先なので蘇生した心臓の治療の為に転院することは出来ないのでしょうか? 母の年齢的に昇圧剤はどの位の期間使用出来るのでしょうか? 蘇生直後は1時間10mlを1日半 その後5ml1日その後2ml半日 量はどうなのでしょうか?

3人の医師が回答

お探しの情報は、見つかりましたか?

キーワードは、文章より単語をおすすめします。
キーワードの追加や変更をすると、
お探しの情報がヒットするかもしれません

全ての回答閲覧・医師への相談、
どちらもできて月額330円(税込)

今すぐ登録する
(60秒で完了)