病院面会できないに該当するQ&A

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敗血症性ショックの診断だが、前回の敗血症より軽そうなのは何故か

person 40代/男性 -

46歳男性、下肢全廃車椅子生活 糖尿病、双極性障害、国指定難病の既往あり 自己免疫疾患の難病でステロイド服用しています。 3年ほど前右臀部からの褥瘡よりガス壊疽、敗血症となり転院含め約8か月入院しました。 もともと車椅子生活でおむつ着用でしたが、褥瘡部分を汚さないようにと、現在は便はストマ、尿はバルーンを入れて、バルーン交換は1か月半に一回病院でしています。 先日の祝日に、入浴の際お風呂でぶつけた?との事で上がってきたら血尿が出ていました。 しばらくして寒い、尿管のところが痛いと言い出し意識もおかしかった為、救急車要請しました。 かかりつけ医に搬送予定でしたが泌尿器科がその日いなかった事、色々なことをそこの病院でみてもらっている為他だと全部いちからの検査になってしまうこと、だんだん意識も鮮明になってきたので、翌日朝一でかかりつけに行ったほうが良いとの事で、救急の方は帰られました。  翌朝かかりつけ医に行き、なかなか家に帰ってこないなと思っていたら病院から夕方電話がありました。  診察の時点では普通だったが、会計待ちの間に具合を悪くしたようで診察室に戻ってもらったら、血圧がかなり低くなっていたので検査をしたところ、尿路感染からの敗血症の可能性が高いとの事でした。 尿路感染からの敗血症は比較的薬も効きやすいとの説明を電話で受けました。 そして昨日、本人から検査結果は敗血症性ショックだったと聞かされましたが、こんなに元気(と言っていいのかわかりませんが)なものでしょうか? 前回の褥瘡からのガス壊疽、敗血症は意識朦朧としたまま救急搬送されICUに約2か月いて、その際敗血症性ショックはありません。 当時も自分なりにだいぶ調べましたが、ショックになると危険性がかなり上がるようですが、現在一般病棟で本人と連絡も取れるしテレビも見れるし、医師看護師との意思疎通も出来ています。面会も時間制限ありますが可能なようです。 前回がかなり危険だった為、ここから急変の心配をしてしまいます。 今回の診療計画の入院期間は、2週間になっています。

5人の医師が回答

がん末期のせん妄の家族 出来ることを探したい

person 60代/男性 -

肺がんで数年来闘病しており、今年に容体が悪化した家族が、抗がん剤治療を経て重いせん妄になってしまい、2ヶ月程経ちます。 具体的な経緯を以下に書きます。痛みで入院し、その前から痛み止めの量がかなり増えていました。抗がん剤の点滴後、数日で自力での歩行やトイレに行くことが出来なくなりました。その位から、存在しないニュースの話をしたり、日付けが分からなくなるといった、せん妄と見られる症状が現れ始めました。 それから今までに、せん妄に関しては悪化の一途を辿りました。自宅に一時退院しても、不安や見当識障害が治る様子はなく、家族が離れると大声で呼び、付き添っても不安定で、記憶も多くは定着しません。 現在は重い認知症のような状態で、本人の情緒不安定性などもますます強くなっている様子です。痛み止めも減らしてもらった上でです。がん自体のこれ以上の積極的治療は難しいと宣告されました。少し歩ける様になったことで徘徊の恐れがあり、在宅介護をするのも難しく、緩和施設でも、拘束とモルヒネ投与しかないと言われてしまいました。 医師によると、原因は、薬の副作用に心身の衰弱や負荷、小規模の脳梗塞、がんそのものによる影響(転移も考えられると病院で聞きましたが、具体的にどれほど転移しているのかは知らされていません)など多岐に渡り、特定出来ないといいます。また、終末期のせん妄で、それ自体を治すことは可能ではないらしいです。 その家族が入院してから、毎日誰かが1日も欠かさずに面会に行きました。退院時も、出来るだけそばに付き添い、話しかけ、素人なりに少しでも良い環境を提供しようと努力しましたが、至らなかったこともあったのかもしれません。もっと早く、せん妄の悪化を防げなかったことが悔やまれます。 病院や医師が、厳しい容体になってしまった家族に対して治療の手を尽くして下さったことにとても感謝しており、がん自体は仕方のないことだと思っております。 また、酷くなるせん妄で現場の方々には多大な迷惑もかけてしまったことも、本当に申し訳なく思います。 ただ、そんな家族の精神状態や脳に対して、本当にこれ以上何も出来ないのか、と諦めきれない気持ちがあります。というのも、3月半ばにはもっと余命幾許もない様子だったのが、今まで生きてくれて、あと数ヶ月程の見立てです。末期にしては食欲がかなり回復しており、少し前から歩行できる様になったりして、本人の様子に、まだ力がある感じがするのです。それで尚更なんとかしたいと思ってしまいます。このまま本人が混乱と精神的な苦しみの中で逝ってしまうには、長すぎる時間です。 もっと穏やかに、でも、可能ならただ薬で眠るだけでなく、本人らしさを取り戻せるような過ごし方も出来る方法を探したいのですが、今までがんによるせん妄について重点的に治療や支援を得る方法を、なかなか見つけられずにいました。 長くなってしまいましたが、このようながんに伴うせん妄に、脳や精神医学等の観点から対応をしてもらえる機関や訪問医等を、今の病院を出て次の緩和施設や在宅に移行した時のことも考え、探しているのですが、具体的な情報があれば教えて頂きたいです。もしくは、どうすればそのような治療に繋がれるのかを知りたいです。 多角的な観点から、諦めないケアを家族が受けられることを願っています。

4人の医師が回答

腹伏臥位療法の必要性について

person 50代/男性 - 解決済み

65歳の兄が誤嚥性肺炎から敗血症ショックになり、人工呼吸器気管挿管でGICUに入り 3日後にはバイタルは良くなっておりましたが、面会時に私に当直の救急科医はこれから少ししたら兄の体を動かすと言っておりました。 その時は兄はバイタルは安定しており、人工呼吸器を挿管していて、麻酔で仰向けで寝ている状態でした。 その時、当直の医師からは腹伏臥位療法とは言われず、体位を動かすとだけ言っておりました為、深くは理解しておりませんでした。 2日後に面会した時、別の救急科の医師から左腕を骨折させてしまったと言われました。 本人は頸髄損傷で首から下の麻痺があり自分では動かない為、体位変換で折れたとの説明でした。 骨こそう症だからと私はしょうがないかと思いましたが、左腕が骨折した時点で、腹伏臥位療法の様な退位変換は出来れば中止して欲しいと言えば良かったと悔やんでいます。 その時は、腕を骨折させたのだから、もう腹伏臥位療法はやらないだろうと私は思っていました。又やる時は次は慎重にやってもらえるだろうとも思っていました。 しかし、翌日にその医師から電話があり、今度は左大腿骨の付け根辺りが真っ二つに骨折させたと電話がありました。 骨折前のバイタルは快方に向かい状態は安定していましたが、骨折後、大腿の辺り全体にどす黒くなり出血があった様でした。 それから数日後、発熱が41度迄上がり、再度敗血症ショックになり、かなり危険な状態が続き、人口呼吸器が抜けず、気管切開をして、3週間後に人工呼吸器を離脱しました。 1、二度目の敗血症ショックは腕と大腿骨骨折による出血性のショックだと思ったのですが、その時の医師は骨折は関係ないと言われたのですが、2度目の敗血症ショックは骨折が原因の可能性はありますでしょうか? 兄は5年前に頸髄損傷で寝たきりになり、左側の麻痺が酷く特に左側が不動性の骨こそう症になっておりました。 又、以前に施設自室で左足が骨の間隔が余り空いていなかった為、変形して骨がくっついる状態でした。 今回は2箇所共、手術もしていない為、保存的にしていて骨が離れてて骨折していて、3カ月経ってもくっいていません。 2、一般的に腹伏臥位療法を行う時はリスクを患者や家族に説明しなくてやる事ってありますでしょうか? 又、左側が重度の不動性の骨こそう症で 腹伏臥位療法を実施する必要があったのか疑問があります。 3、医師や看護師からは兄の不動性の麻痺は以前の骨折について私は何も聞かれずでしたが、以前骨折があり、左側の麻痺で重度の不動性骨こそう症があると言うのを救急搬送先の病院は確認せずに治療をする事は一般的にあることなのでしょうか? 4、腹伏臥位療法を実施する時は患者の病歴や四技の関節や可動域、拘縮状態、骨折の有無等を事前に確認してやらないのでしょうか? 5、腹伏臥位療法は誤嚥性肺炎の敗血症ショックの患者にはリスクがあっても必ず必要な事なのでしょうか? 骨折した大腿骨の太ももの皮膚の表面は、どす黒くなり、未だに変色しており現在は骨折した骨が皮膚を突き破る開放骨折になっており約10センチぐらいの穴が褥瘡が出来て空洞化していて骨が見えて危険な状態です。

1人の医師が回答

63歳、脳梗塞で小脳1/4切除、頭痛と嘔吐が続いています

person 60代/男性 -

12/15朝にひどい眩暈に襲われ救急搬送、総合病院脳神経外科内科にて入院中の父です。 12/16に小脳が腫れてきており、後頭葉にも梗塞を起こしていることから小脳の腫れているところにあたる小脳1/4を切除する手術をしてもらいました。開頭術と聞いています。 手足の痺れはなく、手先指先まで動かせています。言語障害も無いように思います。 リハビリは12/24ごろから始めています。ベッドから車椅子に乗ってしばらく座ってみる、廊下の手すりに捕まって10メートルを何往復かゆっくり足を出してつたってみる。 でも体を動かすたびにめまい、吐き気、リハビリ中やベッドに戻る際、嘔吐。リハビリなしの日でも、食事の時に体を少し起こすため、食べたら嘔吐。 薬を飲むために食べる順番を考えながら、無理やり飲み込んでいると言います。毎日面会に行っても、ベッドに仰向けで、目を瞑っていたり、起きていてもただただ『頭が痛い、しんどい』と言います。 仕事復帰を目指す!と意気込んでいたのに弱気にもなってきました。 嘔吐ばかりで体力も落ちていそうです。 今は年始で担当の方がおらず、1/6からリハビリ再開です。 父は今が本当に苦しく辛い時期で、リハビリを頑張ればこの頭痛は少しは引き、嘔吐も徐々になくなりますか? また、常に人や動物が動いて迫ってきたり見えていると言います。これもいつかは消えるのでしょうか? 何か私にできることはないでしょうか ※心臓にはステントを入れています。 12/3にも脳梗塞を起こし、右足の甲の痺れだけで2週間点滴をして退院しました。 そして退院した2日後に今回の脳梗塞を起こしています。前回も心原性と聞いています。 術後の説明からもうすぐ3週間経ちます。そろそろ現状やリハビリ転院の話がありそうですが、まだありません。 父の状態をみていて辛くなり、先にこちらで聞いてしまったことをお許しください。

3人の医師が回答

誤嚥性肺炎から敗血症ショックの治療中に骨折

person 50代/男性 -

65歳の兄が誤嚥性肺炎から敗血症ショックになり、人工呼吸器気管挿管でICUに入り 3日後にはバイタルは良くなっておりましたが、面会時に私に当直の救急科医はこれから少ししたら兄の体を動かすと言っておりました。 その時は兄はバイタルは安定しており、人工呼吸器を挿管していて、麻酔で仰向けで寝ている状態でした。 その時、当直の医師からは腹伏臥位療法とは言われず、体位を動かすとだけ言っておりました為、深くは理解しておりませんでした。 2日後に面会した時、別の救急科の医師から左腕を骨折させてしまったと言われました。 本人は頸髄損傷で首から下の麻痺があり自分では動かない為、体位変換で折れたとの説明でした。 骨こそう症だからと私はしょうがないかと思いましたが、左腕が骨折した時点で、腹伏臥位療法の様な退位変換は出来れば中止して欲しいと言えば良かったと悔やんでいます。 その時は、腕を骨折させたのだから、もう腹伏臥位療法はやらないだろうと私は思っていました。又やる時は次は慎重にやってもらえるだろうとも思っていました。 しかし、翌日にその医師から電話があり、今度は左大腿骨の付け根辺りが真っ二つに骨折させたと電話がありました。 骨折前のバイタルは快方に向かい状態は安定していましたが、骨折後、大腿の辺り全体にどす黒くなり出血があった様でした。 それから数日後、発熱が41度迄上がり、再度敗血症ショックになり、かなり危険な状態が続き、人口呼吸器が抜けず、気管切開をして、3週間後に人工呼吸器を離脱しました。 1、二度目の敗血症ショックは腕と大腿骨骨折による出血性のショックだと思ったのですが、その時の医師は骨折は関係ないと言われたのですが、2度目の敗血症ショックは骨折が原因の可能性はありますでしょうか? 兄は5年前に頸髄損傷で寝たきりになり、左側の麻痺が酷く特に左側が不動性の骨こそう症になっておりました。 又、以前に施設自室で左足が骨の間隔が余り空いていなかった為、変形して骨がくっついる状態でした。 今回は2箇所共、手術もしていない為、保存的にしていて骨が離れてて骨折していて、3カ月経ってもくっいていません。 2、一般的に腹伏臥位療法を行う時はリスクを患者や家族に説明しなくてやる事ってありますでしょうか? 又、左側が重度の不動性の骨こそう症で 腹伏臥位療法を実施する必要があったのか疑問があります。 3、医師や看護師からは兄の不動性の麻痺は以前の骨折について私は何も聞かれずでしたが、以前骨折があり、左側の麻痺で重度の不動性骨こそう症があると言うのを救急搬送先の病院は確認せずに治療をする事は一般的にあることなのでしょうか? 4、腹伏臥位療法を実施する時は患者の病歴や四技の関節や可動域、拘縮状態、骨折の有無等を事前に確認してやらないのでしょうか? 5、腹伏臥位療法は誤嚥性肺炎の敗血症ショックの患者にはリスクがあっても必ず必要な事なのでしょうか? 骨折した大腿骨の太ももの皮膚の表面は、どす黒くなり、未だに変色しており現在は骨折した骨が皮膚を突き破る開放骨折になっており約10センチぐらいの穴が褥瘡が出来て空洞化していて骨が見えて危険な状態です。 現在は皮膚の汚れた部分を取り除き毎日、洗浄して包帯を巻いていての繰り返しです。 胃ろうと点滴のハイブリッドで栄養を取っている状況です。 ただ栄養状態はよくありません。 ずっと穴が開いている為、いつ感染して敗血症になるかわからない危険な状態です。

4人の医師が回答

0歳7ヶ月の子供、面会できない病院からの転院

person 乳幼児/男性 -

10月10日に夜間救急で受診し、喘息の疑いで吸入薬を使ったけど酸素飽和度が95から上がらなくて、入院となってしまいました。 血液検査の結果、異常やアレルギーがないため、喘息ではなく喘息性気管支炎の疑いの方が強いということになりました。 コロナ禍で面会不可で入院以来会えていません。 退院予定は10月17日で、最短で10月14日に退院できそうと言われていましたが、毎日昼間は元気だけど夜眠ると咳や痰が出て酸素飽和度が92とか93になるそうで分泌物を吸引しているそうです。  ステロイドの点滴や吸入薬は入院3日目くらいで終わり、その後は毎晩の様子を見ています。 17日の午前に退院できるか判断して電話が来るのですが、これ以上延びるなら7ヶ月なのに急に入院して両親に会えないで個室に入院がかわいそうなので面会できる病院に転院させるか、ここまで入院したなら日にちが延びてもこの病院で退院するまで待つ方がいいのか悩んでいます。 そもそも昼間は元気で夜間の酸素飽和度が悪いから退院し続ける必要はあるのでしょうか。 小児科の先生には低酸素になって脳に障害が残ることもあるから、と言われていて転院や退院をお願いするべきかも悩んでいます。 いまさら転院しない方がいいか、転院のお願いをした方がいいか、教えて頂きたいです。

3人の医師が回答

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