認知症歩けないのに歩こうとするに該当するQ&A

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パーキンソン病のハネムーン期間を延ばすための薬の服用方法

person 50代/男性 - 解決済み

現在53歳で、今年パーキンソン病と診断され薬の服用を始めました。 脳神経内科の先生に伺いたいのですが、一般に薬が良く効くハネムーン期間は3〜5年のようです。この期間を少しでも延ばすための、薬の使い方についてアドレスを頂けますでしょうか。 初めに検査入院した病院では「分かりやすく言うと薬を飲み過ぎると耐性が付くようなもので、ハネムーン期間を延ばすには少しでも薬の量を減らすのが良い」と言われました。 しかし現在の病院では「初めから大量に使うことはしないが、薬を多く与えたからと言ってハネムーン期間が短くなることはない。」との見解でした。 現在の医学では、どちらが正しいとされているのでしょうか? リハビリ等は毎日続けており、今回は投薬の手法についてのみお伺いしたいです。 ちなみに日本のガイドラインでは、認知症発症前はドパミンアゴニストを使いレボドパは温存することを推奨しているようですが、自分は車/バイクを生きがいとしている事もあり、突発性睡眠の副作用を避けるため現在はレボドパ100mg x 3と、MAO-B阻害薬1mgを毎日服用しています。 この状態で日常生活にほぼ支障はないものの若干右手の不自由さ(震えやしびれ)が残るため、もしハネムーン期間に影響がないのであれば、レボドバを400mgか500mgに増量していただくことも考えています。 ちなみに薬を飲み始める前は、右手のみパソコンのキーボードを打つのが困難な状態で仕事に支障が出ていましたが、服用後はこの問題はなくなりました。 現在は右手で電気シェーバーを使ったり、コーヒーカップを持つなどの動作で多少震えが出てしまうのと、歩くときに右手のみ自然に振れず、真下を向いた状態で固まってしまうこと。また右手の中指と薬指あたりに常に鈍いしびれがある点が気になっています。 以上、ご回答よろしくお願いいたします。

4人の医師が回答

アルコール性心筋症だった場合の今後の経過について

person 50代/女性 -

小柄軽量(30キロ台)の親族女性です。 元々お酒が大好きで毎日飲酒喫煙をし、食道がんになりました。手術し2年経過しましたが、癌治療のために離職したのが災いし、家にひきこもり6%~9%のチューハイを毎日1L飲むようになりました。以前から喫煙もしており、現在は減らして1日10本程度です。 何度も断酒するよう忠告、行政へ相談、財布を隠すなどの強硬手段にも出ましたがだめで(飲ませてしまう家族がいます)私はもうほぼあきらめています。 まだ50代ですが、軽い認知症のような症状(物忘れ)、1年ほど前には素人判断ですがアルコール性筋症と思われる歩けない、手が上がらないなどの症状、心機能の低下で救急搬送ということがありました。 そして、先日、あまりにしんどそうなので受診したところ心不全からの肺水腫ということでした。心臓の機能が3分の1程度になっているそうです。 近くカテーテル検査をします。もう匙は投げているのですが、身内ですのでやはり心配です。 しんどいので量は少なくなっていますが、今も飲酒しています。体調がましになったらまた元通り飲みだすと思います。 現在心機能が3分の1、肺水腫になる状態です。アルコール性心筋症だった場合と仮定してお答えください。 こちらの回答で、ある先生が「アルコールが原因の心筋症は一線を越えたら不可逆」と書かれていました。現在の程度は一線を越えていますか?断酒しても戻りませんか? 治療をしつつも飲酒喫煙を続けたらどうなりますか?予後と言うか、亡くなる可能性はどの程度でしょうか? 飲酒喫煙をやめたら、治って寿命を全うできる可能性もありますか? こちらでお伺いしたことを参考に、本当に最後の忠告をきつめにしたいと思っています。 忌憚のないご意見を、どうぞ宜しくお願いいたします。

3人の医師が回答

急性硬膜下血腫 後遺症

person 50代/女性 -

80歳の母が7月に倒れて急性硬膜下血腫、慢性硬膜下血腫が見つかり漢方薬で経過観察になりました。その時点で性格も別人のようになっていて、読み書きが出来なくなり、物忘れや不注意、ふらつき、度々頭痛、歩くと右に傾く、左側が見えない?物が二重に見えるなど異常が見られましたが、後遺症ではないからどんどん歩くようにと。別の病院でも同じ診断。 しかし家の中でもふらついてぶつかることがあり、訳の分からないことを口走るなども増え再び受診しましたが、後遺症でも認知症でも精神的なものでもなく、もう1か月ぐらいで治ります!と言われ、その2日後、朝に頭が痛いと言って寝たきり起きなくて救急搬送されました。 病名は、慢性硬膜下血腫の場所からの急性硬膜下血腫で緊急手術、当初は目が醒めることはない、意識は戻らないと言われていましたが、現在、医療依存は気管切開、痰の吸引、経鼻栄養で、両目を開き、追視をし、呼ぶとわかる、写真を見る、何か聞くと頷こうとするなどもあります。でもすぐ寝てしまいます。これ以上の回復はないので療養型病院にと言われていますが、家族としてはまだあきらめたくないので、少しでもリハビリの出来る病院に行きたいのですが、それは無理なのでしょうか? また、気管切開を閉じたり、経鼻栄養をリハビリしたり、回復の可能性のある方向に進むにはどうすればいいのでしょうか? 発病の慢性硬膜下血腫の場所から急性硬膜下血腫になることはぶつけなくてもなる事はあるのでしょうか?母は長年血圧が高く、降圧剤と血液サラサラの薬を飲んでいました。その朝はトイレに行き、薬を飲んでまた眠りそのまま起きずに家族が気付いた時には数時間後で、嘔吐してイビキをかいて倒れていました。 医師からは、当初脳幹が抉れる程だったが今は元に戻っている、2か月でこのレベルでは回復は考えられないと言われています。よろしくお願いします。

4人の医師が回答

脳梗塞から回復期病院への転院時期の延期について

person 60代/男性 -

父ですが、トイレはベッドの上で自分で出来ないのですが、現在の急性期病院から回復期病院への転院の延期を希望しましたが、延期は出来ないと主治医の先生に言われました。これは従う他ないのでしょうか? 父は、脳梗塞、パーキンソン病で、普通に会話出来る時もあるのですが、毎日言う事が違ったり、歩けなきのに1人で家に帰ると精神的に不安定な様子で、神経内科の主治医の先生からは夕方からになると調子が悪くなり認知症も少し入ってるかもと言われます。 又、血圧が低いのは良くないとリハビリ担当の方から言われており、本人もまだこの病気にいたいと毎日泣いています。 食事介助されれば、トロミを付ければ、食べれるようになり、声も聞こえるようになりましたが、ナースコールのボタンも目が悪く自分で押せません。腕の力はありますが、足に力が入らず、自分でベッドから降りられず、歩行練習も捕まりながら少しだけという感じです。 調べると、回復の見込みがない人まで回復期病院に行っていたり、急性期病院の方が、体制的にも医療的にも家族として安心な事がわかり、ある程度身の回りの事が出来る人にとっては回復期病院はベストで、回復期病院を探してもらうタイミングを間違えたかもしれないと責任を感じています。 転院予定の回復期病院は、口コミサイトでは、夜勤では、60人を1人で見ろと言われたとあり、コロナの時期面会も週1回ですし恐ろしさしかありません。 ストレスが病気にはよくありませんし、 急性期病院は、入院してまだ1か月で、トイレも自分で出来ない父が、人手が足りていない回復期病院に今行く事は避けた方が良さそうですが転院を延期すべき状態でしょうか? その場合、主治医の先生に何とか許可してもらう方法はあるでしょうか?

5人の医師が回答

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