入院拒否に該当するQ&A

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食道胃接合部癌の治療について

person 40代/女性 -

86歳祖母の癌治療についてお伺いします。去年11月、食べ物が詰まる症状を訴え検査をしたところ、胃と食道の接合部を塞いでしまう程の癌が見つかり即入院、放射線治療を20回行い、癌は小さくなり、今後は年齢からして進行は遅いであろうとの医師判断により月1回の定期検診でフォローしていく事となりました。退院後は元気に食事をしておりました。今年2月、デイケア先で下腹部膨らみを指摘され、医師に診て貰ったところ腹水が溜まっており、つい先日抜いて頂きました。翌日は定期検診結果を聞きに行く日にあたり、腹水の件も伝えました。検査結果は前回の治療で小さくなった癌が大きくなっており、現時点では接合部を塞ぐ程のサイズではないようですが思いの外、癌の進行が早く良い状況ではないと伝えられました。合わせて腹水も癌によるものとの事でした。祖母は前回の治療の際、抗がん剤治療を拒否していた為、今回も抗がん剤治療はできないと言われました。それは果たして祖母の意思を尊重してなのか、もしくは現時点で抗がん剤も使えない状況なのか、私がその場で説明を受けた訳ではない為その真相はわかりません。前回と同じ放射線治療ができるかの話はなかったそうです。更に祖母は季節が暖かくなる頃には食事も取れなくなり、痛みも出てくると話し、そうなったら入院しましょうと伝えました。今後また腹水が溜まった際にはその都度処置をするとの事でした。私にはただ放置しているように思えてなりません。確かに抗がん剤治療をしないと言ったのは祖母ですが、ただ待つだけではなく、他にも可能な処置等がありましたら是非共アドバイスを頂きたく存じます。また現時点で私達家族がしてあげれる事はありますか?食事へのアドバイス何でも構いません。一つでも教えて頂けましたら幸いに存じます。

1人の医師が回答

カリウム・クレアチニン数値増加と腎機能低下について

person 30代/女性 -

79歳同居中の義母が一昨日救急車で病院に運ばれました。義母はペースメーカーを入れていて、尚且つ弁膜も切っています。今回の検査結果は、心不全の増悪と弁膜の機能低下でした。現在は入院となりましたが、カリウムの値が5、クレアチニンの値も5と、人口透析を必要とするギリギリの数値でした。以前から何度も入退院を繰り返していて、その度病院側からも透析導入を薦められているのですが、ご本人が透析を頑なに拒否権されていて、周囲が透析の話をすると必ずと言って良いほど耳を貸そうとしてくれません。ご本人いわく、「透析を受けたら週3回は必ず病院に行かなければならない。そうなると、今日はしんどいからやめておこうが通用しないから嫌だ!」と言うのです。そうなるとこちらも、何とかカリウムの数値が正常に保つようにと食事療法を取り入れてみたり努力はしております。レントゲン結果でも以前に比べて胸水の溜まる回数が減少傾向には有るのですが、今は食事療法よりもラシックス等の利尿剤の力で現状維持して方が大きいため、もはや介護の域ではなく看護の域に達しております。そのような状態なのに、今回入院をする前は認知症が進行しているせいも有るのか、食欲を抑える事が全く出来なくなっていて、本来食べてはならない物ばかり要求して来て、こちらが気を付けていても内緒でカリウムの多い果物などを食べていました。以前病院の先生からも「ペースメーカーを入れているから心臓の病気に関しての認識は有るのに対して、腎臓の病気に関する認識はゼロですね」はっきりと言われた事が有ります。先生がおっしゃられた通り、腎臓病に関する認識は本当に無くて、「私は心臓は悪いが腎臓は悪くない」と言う思い込みが凄すぎて周囲もかなり困っています。義母のような状態の患者のカリウムとクレアチニンの数値を安定させるには 、もはや透析以外術は無いのでしょか?

1人の医師が回答

あまりに無気力な父、うつでしょうか?

person 60代/男性 -

60代後半で要介護1の父(隣県住み)についてです。 一人では生活が不可能なレベルのセルフネグレクトです。 介護認定されるまでの大まかな流れとしては、 ・2024年4月 人身事故に遭い数ヶ月入院、片手に麻痺が残る。 ・2024年9月 事故の骨折は完治したため一旦退院して自宅に戻ったが、退院後2ヶ月ほど、家から出ない、入浴しないのはもちろん、一日中布団に横になってご飯もまともに食べず、栄養失調で再び救急搬送される。 ・2024年11月 栄養状態は多少ましになったものの、このまま退院させればまたセルフネグレクトで同じことの繰り返しになるだろうということで、入院中に介護申請。要介護1と認定。その後、在宅介護の体制が整ったため退院。 ・現在 訪問介護やデイでの入浴介助で最低限の食事と清潔を保っている このような状況です。 父が施設拒否のため在宅ですが、病院のSWには「本人にあまりに意欲がなさすぎて在宅は無理があると思う。本来なら施設に入るべき人だ。」 と言われています。 また、先日父だけで介護タクシーを使って退院後の受診に行ったそうなのですが、SWから「本人はなぜ通院してるのかもよく分かってない様子だ。治療への意欲もない」と言われました。 私が電話で何か話をしても、ほーとかおーとか生返事をするだけで、頭が全く回転してないような感じがあります。 また、外に出ることを「しんどい」「もう、もう、外に出るなんて無理」など言って嫌がるので、在宅でも買い物ができるように生協の申し込みをしましたが、それもカタログを広げただけで嫌になってできないと。 ヘルパーさんからも、「カタログから自分で選ぶのは無理そう」と言われました。 父はまだ60代です。この先私がずっと全介助はできません。 年齢的に認知症より鬱では?と思うのですが…ご意見ください。

8人の医師が回答

主治医と話が進まない

person 30代/女性 -

SLEでネフローゼです。H22、23と続けて入院し幼稚園の行事など無理もあって2週間で体重が20キロも増え肺まで水が溜まりパルスをしましたが抗がん剤は拒否して三ケ月の入院で娘が寂しさから精神状態が限界だったので無理矢理退院した日に家族で夜呼ばれ脳梗塞が薬の副作用なのか8ケ所できてて定期的に経過を診る必要がある、頭の薬も増えるねと言いつつ退院して貧血が進みヘモグロビンも5、8まで下がったり5になったら心臓止まるよ。と言いつつ特に治療もなく、昨年幼稚園に息子を迎えに行こうと(車で園まで5分程)家を出て園の近くまで来たら急に自分が今何の用事で出掛けて何処に行こうとしてるのか分からんなったり、毎週燃えるゴミの日がさっぱり分からなくなったりしたので頭の不安がよぎり主治医に説明して検査をお願いしましたが、それぐらいの物忘れ誰でもあるろ。と退院して2年経ちますが1度も検査も薬もありません。それぐらいの物忘れって私はまだ35才です。ちなみにステロイド白内障ですが視力がまだあるからとIPS細胞の薬もでるかも知れんから10年位待ってみたら?とか私は日中信号の色もよく見えない状態で毎日幼稚園、小学校送り迎え、毎月40分かけて通院したり、今年事故もしました。3回は主治医に言ってるのに目の事言うと、目がどうしたんですか?ステロイド白内障です。あーそうー、で終りで、今月受診日頭のMRIをお願いしようと思いますが多分又診てくれない予感がして不安です。大学病院ですが今更病院変えた方がいいですか?主治医を変えてと言っても変えるなら病院を変わってください!けど紹介状もかきません。との事で患者は我慢すべきでしょうか?あと脳梗塞も一つ一つは小さいですが患者に脳がスッカスカとまで言うし物忘れの症状は無関係ですか?

1人の医師が回答

経鼻経管栄養を止めたい

person 50代/女性 -

認知症で特養に入居していた母80歳が入院し、慢性硬膜下血腫のため緊急手術となり、簡単な手術なのでと説明を受け、とにかくすぐ手術をしないと助からないと言われ受けましたが 脳梗塞もおこっており脳ヘルニアのため全身麻痺となり寝たきり状態となりました。 今後回復する事はなく、特養へ戻る事も不可能であると言われ療養病院への転院を言われました。現在は経鼻経管栄養の管が入れられています。 術後の事も説明も寝たきり状態になってからされ、経鼻経管を入れるにあたっての確認や同意、説明も一切されませんでした。 母は文書は無いんですが延命治療はしたくないと聞いており、娘は私1人ですが私も延命治療はして欲しくないと思っています。 経鼻経管栄養は本人の苦痛もあり、今後回復の見込みは無いとの説明も受けましたので経鼻経管栄養を抜いて欲しいと伝えましたが 療養病院への転院が決まり、転院の当日でないと抜けないと言われました。 何件かの療養病院を探してもらってますが経管栄養を抜いてしまう事、点滴など苦痛を緩和する治療以外は延命治療は一切して欲しくない事を伝えると受け入れ先病院がなかなか見つからない状態です。 特養には戻れないと主治医から伝えられたので特養との契約は解約したので戻る事も出来ません。経鼻経管栄養を抜いた場合、母はどれくらい生きられるのか聞いた時に1〜2週間でしょうと言われました。 それならば抜いてもらいそのまま今の入院先で看取りをしてもらう事は出来ないのかとソーシャルワーカーの方から主治医に聞いてもらっている最中です。 この様な場合、療養病院へどうしても転院となるんでしょうか? 経鼻経管栄養を入れるにあたって家族への同意確認はされないものなんでしょうか?確認があれば間違いなく拒否しました。 経鼻経管栄養を抜き延命治療を何も行わない場合、療養病院への転院は難しいのでしょうか?

4人の医師が回答

86歳女性、リウマチの痛みへの対応について

person 70代以上/女性 -

86歳の義母(要介護2)のリウマチについてです。大きな病気もなかったのですが、1年半前に急に「体が痛くて動くこともできない」ということで何度か検査の結果「リウマチではないか?」と診断いただきました。身の回りのことが一気にできなくなってしまったためすぐに施設(サ高住)に入居しました。今は週2回の回診を受けながら経口での薬を飲んでいます。(薬の名前を控えたメモを紛失してしまい不明です。リウマチの進行を抑える薬(本人が何故か断固拒否したのでステロイドではない)、痛み止め、抗うつ剤、睡眠導入剤が処方されています) 年と鬱によって弱ってはいるものの比較的安定していましたが、年明けに2週間ぶりに面会に行ったところ泣きながら「薬が切れた時の体中の痛みが耐えられない。病院に入院したい、ホスピスに行きたい」とのことでした。見た目上、手の指の変形などは起こっていないように見えます。 痛みへの耐性が低めというか少し大袈裟に話すところがある方なのと、ホスピスという言葉自体もテレビなどで聞き齧っただけであまり信頼できないのですが、思い込むとそのことしか言わないのでどう話をするか含めて迷っておりこちらで相談させてもらいました。木曜日に施設の回診医と面談予定なので、そこに向けても参考にさせていただきたく。 長くなりましたが相談質問は以下です。 1.リウマチに対して痛みを抑えるのに、経口薬で有効なものはありますか?今の薬は効いてはいるようですが切れた時の落差が辛いようです。 2.リウマチで入院、ホスピスに入ると言うのは一般的でしょうか? 3.本人は安楽死をしたいという想いが強く、痛みなく早く死にたいようです。。痛みは止めてほしいが生きながらえるのに寄与する薬は飲みたくないといいます。そんな都合の良い薬はあるでしょうか?痛みが止まれば食欲や睡眠が改善し長生きすると思うのですが。。

5人の医師が回答

84歳脳梗塞の回復の見込み

person 70代以上/女性 - 解決済み

84才母ですが、脳梗塞になりました。急にLINEが打てなくなる、ひらがなが書けなくなるなどの症状があり、身体的には何の麻痺もありませんでしたが、かかりつけを受診したところすぐにMRIを撮りに行くよう言われ、そのまま左前頭葉の脳梗塞との診断で入院しました。初めは歩いて入院して、先生にもとりあえず1週間観察して、自宅に帰れますよと言わらたのですが、すぐにてんかんを起こし、右前頭葉、左の後頭葉と幾つも脳梗塞が起きてしまって、現状最後のMRIを取ったのが月曜でその時には新たな脳梗塞は起きていないと言われましたが、寝たきりとなってしまいました。最初はし自宅に帰れるつもりで、そのあとはリハビリ病院に移ってリハビリのつもりで、今では療養病院か介護医療院を選択肢として勧められています。病院でベットから落ちて大腿骨も骨折してしまいました。 現状、嚥下はかなり悪いらしく経鼻栄養です。話しかけてもこちらの言うことがわかっていると思う時もありますが、医師によるとほぼわかっていないでしょうといわれました。 自宅での介護は厳しいと言われ今後を考えなければいけないのですが、母自身が胃瘻などの延命措置を拒否したいとのリビングウィルを残していることもあって、どうしたら良いのかわからない状態です。 なんの意識もなければ母の意思を尊重するところなのですが、体には麻痺があまりなく良く手足を動かすこと、家族が話しかけるとうなづきはすることがあり迷っています。主治医の見立てはかなり厳しいものですが、今後よくなって自分で食べれるようになる可能性などの見立てを他の病院でセカンドオピニオンとして聞くことは可能でしょうか? 通常治療方針などを求めていくことがセカンドオピニオンかとも思うのですが、私たちは今後の改善がどの程度見込めるのかを他の医師に聞きたいと言う目的なのです。 そういった意見は求められるものですか?

4人の医師が回答

骨粗鬆症治療開始薬について

person 40代/女性 - 解決済み

以前より、レントゲンやCTでは写らない、エコーで確認できる程度の「ささくれ」の様な肋骨の骨折(と言っていいのでしょうか)は繰り返しあり、日にち薬で放置慣れ状態です。デキサ法での骨塩量としては年齢に対しレッドゾーン少し下くらいを右往左右を6、7年年前からキープしています。血液検査では骨粗鬆症結果は出ないので特に薬物的治療はしていませんでした。 私的には肋骨だけが弱くなる骨粗鬆症ってあるのか?放っておけば治るし的な考えでした。ここ最近背面肋骨背骨付近に痛みが出だし、背面肋骨にまで前面のささくれがきたのか、まずいなと思った矢先に背骨付近に的状の痛みが出て、その時は休日救急外来でCTも問題無しゆえに、仕方ないのでなるべく安静、日にち薬対応で何とか痛みは治まり、その半月後、同じ場所が痛み出し、そこから左右肋骨帯状に痛みが広がり起きるのが困難になって、病院でレントゲンCTMR撮影し、胸椎圧迫骨折2ヶ所神経圧迫無し診断が下りました。骨は見た目凹型状に2ヶ所です。ひとまずトイレなど困難のため入院しコルセットで1人で立って歩きトイレへ行けるが入院の目的。治療は平行するのですが、その薬にテリボンオートインジェクターを択一推し進めになっています。今しか使えない(他薬使用歴無しの為)とかで、私はとりあえずコルセット使用で1人でが出来てからの選択肢を申し出た所、治療拒否のようにみなされたのでそんなに1分1秒を争う状態か猶予は無いのかとなる始末です。こういう骨の状況の場合、ビスホス系、女性ホルモン系以外ではオートインジェクターしかないのでしょうか。カルシトニンは旧いので生産中止になるのですか。カルシトニンとdでは効果遅いので意味無いのですか。オートインジェクター使用で現在骨密度からどの程度上がるのか一体何がどうなのか、ご教示願います。応えてくださる方、よろしくお願いいたします。

5人の医師が回答

大動脈弁狭窄症の心不全発症後の予後について

person 70代以上/男性 - 解決済み

お世話になります。 1988年の「大動脈弁狭窄症の自然史」に大動脈弁狭窄症で症状発症後について「狭心症発症後の平均生存期間は45±13か月、失神後は27±15か月、左心不全初回発症後は11±10か月であった。」とあります。これの心不全に関しては20名の累積生存率のようです。 約40年前の資料ですが、当時と変わらない服薬(フロセミドとニフェジピンだけ。SGLT2阻害薬、β遮断薬などは一切使用していない)で手術拒否の場合は、月日の流れは関係ないようにも感じています。 入院歴は一度もありません。 これも約40年前の在宅(未入院)の方とほぼ同じ状況だと思います。 現在、父が心不全発症後1年8か月になりますが、上記から考えるとmaxあと1月くらいの余命であるとも推察できます。 ただ、いまだに午前中は趣味の運動、午後は夕飯までの間、庭木の剪定作業をしています。 上記資料では最長で1年9ヶ月の余命(11±10か月)だという認識ですが、どこか私の認識に間違っている部分があるのか? をお教えいただきたいです。 場合によっては2年以上、3年の余命もあり得るのかもお教えいただきたいです。 ちなみに、心不全の初発を認識したのは、一昨年の1月初旬にBNP検査でBNP1000弱を確認し、 1.1か月後の2月頭くらいに「生活に変化はないか」と聞いた際に「夜中に3回トイレに行く」と聞いた事。(心不全初期の夜間頻尿) 2.2月末にたまたま受けたCTで両側胸水貯留と言われた事。 その際、指定医からはレントゲンではわからないくらいなので1.5cm以下くらいの貯留だろうと言われたような気がします。 などから2月辺りであろうと考えています。 目の前の状況(父の健康)とデータの信憑性が合致せず、何を信じて良いのかもわからず、家族にもうまく説明ができずに悩んでいます。

1人の医師が回答

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