アルコール肝硬変寿命に該当するQ&A

検索結果:10 件

肝硬変

person 50代/男性 - 解決済み

20代前半にγGTPが200前後あり、肝機能障害と診断された。 原因を探ったが複数の病院で、ウイルス、アルコール性、自己免疫性、脂肪肝等が否定され、原因不明のまま。 γGTPが300を超えたり、GOT、GPTが100前後まで上昇したこともあったが、ウルソの継続服用が効果があったのか、ここ10年くらいは、血液検査の数値は、γGTPが80-100、血小板8マン、PTコントロールが若干の異常となっている以外は、GOT、GPTも含め正常値。 各数値には大きな変動がない。 しかしながら、画像所見は肝硬変の進行を明確に示しており、食道静脈瘤も10年ほど前に内視鏡で血管が確認された後、先月、入院・手術が必要と診断されるところまで進行した。 自覚症状がないままの肝硬変で、なんとなくこのまま、平均寿命を全うできるような気がしていたが、52歳になって、食道静脈瘤が手術が必要なところまで進行したことで、肝硬変の進行を再認識した。 52歳なので一般男性の平均余命は30年ぐらいだと思うが、自分の余命は平均的に言ってどのくらいだと思って生活していけばいいのか教えてください。 主治医には余命の話はなんとなく聞きづらいです。

4人の医師が回答

原発性胆汁肝硬変、原発性硬化性胆管炎、遺伝子

person 40代/女性 - 解決済み

40才女性。 ここ2年間、毎回血液検査で肝臓の異常が見られ、エコーで中度脂肪肝と言われ155センチ60キロから50キロに痩せましたが相変わらず半年経っても肝臓のみの血液異常があり、 肝臓指定医がいるクリニックに血液検査表を持参していきましたしら、無症候の原発性胆汁性肝硬変の可能性が非常に高いと言われました。 ミトコンドリア抗体等の更なる血液検査結果待ちです。 実は10代から20代前半に過敏症大腸炎の重度を患い、 医者から難病の潰瘍性大腸炎を疑われてて検査を する前に病状が良くなり検査する前に辞めてしまいました。 最近は腹痛は一切ないけど、先日、数年ぶりにあの腹痛が 起き更に下痢ばかりになりました。 更に目が急激にパソコンしてると眩しく最近は日常からドライアイ状態。 飲酒はせず非アルコールナッシュの数値ではないと言われ、常服薬もなく、更にウィルス肝炎検査にも異常なく ウルソやリバロを飲みはじめています。 ただ、私は原発性硬化性胆管炎、シェーグレン症候群じゃないかと心配してます。 万が一、肝臓移植が金額や実際に数的にもたどり着ける日本医療なのか? 私が妊娠を希望しているのでそれも心配です。 また原発性胆汁肝硬変の症候群になる可能性や症候群になった場合はその後の治療や寿命等も気になります。 原発性硬化性胆管炎なら移植出来ないと12年間で肝不全に なる方が多数で他に治療はないのかも知りたいです。 身内には難病含め3人います。 精神の統合病や重度てんかんがいます。 深く遺伝子問題が関わってますか? 是非色々教えて下さい。

2人の医師が回答

AFPと肝がんの再発

person 70代以上/男性 -

AFPについて。 2月に食道静脈瘤で吐血入院。 アルコール性の肝硬変の70歳の父のことです。 最初の入院で最大2センチ弱の肝がんが4つ見つかり、2回に分けて肝動脈塞栓術で治療。その後1ヶ月後に新たに1センチに満たないガンが1つ見つかり治療しました。 現在までに静脈瘤破裂も2回あり、その度に治療して助かってきました。 アルコールを完全にやめたことで毎月の血液検査で、肝臓自体の数値は少しずつ良くなってきています。まだ基準値は外れていますが、500を超えていたγーGTPも190 AST43ALT37です。アルブミン3.8 ビルビリン1.2 PT79% です。 ただ、AFPの数値がほんの少しずつあがり、1ヶ月おきに8→10→13と今月基準値を外れました。 先月、PIVKA2も調べましたが基準値だったそうです。ちなみに先月の中頃に3回目の吐血で入院しました。 来月CTをするようですが、やはり肝がん再発の兆候でしょうか。 次に肝がんが見つかったら、飲む抗がん剤に切り替えますと言われているらしく、かなり心配です。 もちろんCTをしてみなければわからないことだとはわかっていますが。 また、なぜ次に肝がんがみつかったら塞栓術ではなく抗がん剤なんでしょうか。 抗がん剤は、腫瘍は小さくできても、根治はできず、体力が弱り寿命が縮まるだけのような気がして不安でたまりません。

3人の医師が回答

低血中酸素濃度

person 30代/女性 -

年齢50代 私の父ですが。 約20年前吐血し入院。アルコール性肝炎診断。(現在 肝硬変)以降禁酒のみ 禁煙できず。(寿命 長くは生きられないでしょうねと言われる。) 以降、通院・服用かかさず食道静脈瘤オペ施行も、5年前食道静脈瘤破裂で再入院。意識はあり 喋ることもでき 自力でかろうじて動くこともできましたが、血中酸素濃度が著しく低く、それにより危篤状態と診断。今日が山とのこと。ところが状態が改善し1ヶ月で退院できるも、もって1年。相変わらず酸素濃度は人よりも低く高山で生活している人並み。(ただ多分、父はこの状態で長年生きてきたので これでも平気でタバコもすえるし人並みに生活できるんでしょうねとDrと話しました。) その後、仕事も楽なものに変えて 約5年経過しましたが、今年 春に 背中が痛いといい、X線で影が見えるとのこと。要精密検査で呼吸器がある病院を受診し、検査の運びとなったが、低酸素濃度で検査できず。かかりつけの総合病院に舞い戻り そのこと伝えると慌てたように 酸素濃度はかり70台? 急に酸素ボンベ生活。(5年前とは主治医は変わってますが。)酸素ボンベ生活になり 一段と体力が落ち 仕事も辞め、一気に病人になってしまいました。酸素吸入する前は 元気だったのに、(低酸素でも普通でしたから。)吸入し 80台をキープするも 状態が悪くなり 家族の中ではもう今年一杯かもという話がでるくらいの見た目です。 私としては 今まで低酸素だということはわかっていたはずなのに(カルテに記載されているはずだし、家族も当然知っていました。)なぜ今更、酸素吸入しなければならないか? そしてなぜしたことによって 状態悪化したのか? もう普通の吸入なしの状態には戻れないのか? わかる範囲でいいので アドバイスいただけたら幸いです。よろしくお願いします。

1人の医師が回答

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