癌末期寝てばかりに該当するQ&A

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大腸がん3回目ステント後の頻繁な便意(一時間ごと)、水便と腸閉塞の有無

person 70代以上/女性 -

末期状態の92歳の母について。2年前に大腸がんが発覚し、歳のため3大治療はせず、ステントを挿入。1年9か月後に便秘の症状が出て、2回目のステントを追加するも別の個所でも詰まっており、便を取り除き3回目のステント挿入。退院して5日後に痛みが出て救急外来へ。腸に穴が開いた状態(これがステントによる穿孔なのか、医師からの説明なし)。再入院し、絶食・静脈から栄養注入・点滴での抗生剤注入。医師から人工肛門の勧めあるも、リスクが高いので拒否。傷の回復を待って退院した。家で普通に食事をして行き、又便秘や腸が傷ついたりすれば、又治療する事で医師と合意。退院後は、ステントの刺激のせいか、頻繁に便意があり(1時間置きくらい)、座ると直ぐに水様な柔らかい便が出て、オナラも出る。本人は残便感が有り、かつ脱肛の症状もあるので、力まずに20分くらい便器に座っている。結局出ずに諦めてベッドに戻る時はフラフラ状態。ガンによる極度の倦怠感があり、ほとんど寝ている。認知的な症状も進んでいる。食欲もない。 しかし、なんとか一人でトイレに歩けるし、会話をするとよく喋る。常に腹がチクチクしており、常に触っている。退院後も体調は悪く、2週間後の診察では、再び腸に傷が発生し、血液の数値も正常範囲を超えている。医師からは、最後をどこで迎えたいか聞かれ、本人は自宅でと。すると医師からは、訪問の緩和ケアを勧められ、そこで治療中止となった。以上の状態で伺いたいのは、本人の残便感は、真に便が詰まっているからでしょうか?否、ステントが穿孔等により腸に刺激を与え続けているからでしょうか? 仮にステント術が成功だったとした場合、口から食事(おかゆ、味噌汁、お浸し、豆腐など)を初めて1週間くらいで便が詰まり、腸が圧迫されて穴が開いたりするのでしょうか? ご教示頂ければと存じます。

1人の医師が回答

末期スキルス胃癌について教えて下さい。

person 30代/女性 -

昨年10月56歳の父が、首の既にリンパに遠隔転移した、末期のスキルス胃癌と診断を受け、「一年もてば凄い事です」と余命宣告を受けました。既に手術は不可能で、TS−1とタキソテールを服用していたのですが、3月に吐き気で食事が取れなくなり入院しましたが、腹部リンパの癌は消えたものの、胸の皮膚と肺に転移し、肺には水が少し溜まりました。7月に食欲が戻ってきたので一度退院しましたが、先日腰の骨が痛むと言い出し、食欲も無くなってきたので再度入院・・・検査の結果、腰骨と肩の骨に転移しているとの事で、痛み止めの薬(モルヒネなど)の量を調節しつつ、骨に対する抗がん剤を投与する事になりました。食欲も戻り、幸い内臓には転移していない様で、肺の水もほとんど増えていないようです。ですが主治医の方からは、「既に寝込んで動けなくなっているのが普通ですが、凄い生命力です!」と言われました。父は余命以外は全て知っていて、転移に対しても抗がん剤が効く事を信じて、まだまだ生きる望みを捨ててはいません。ですが、骨に転移してしまうと痛みがひどいと聞きます。痛みを和らげる為にモルヒネを投与すると、急に病状が悪くなって、神経症状なども出てくるのではないかと不安です・・・最初に余命宣告を受けてもうすぐ1年が経とうとしていますが、やはり骨に転移してしまうと、もうそれ程もたないのでしょうか?また起き上がることが出来なくなった場合は、どの様な治療になるのでしょうか・・・?主治医の方は「とにかく今起き上がっていられるのが奇跡です」としか言われないので、転移後の余命が分かりません・・・父の生命力を信じて希望をもっても良いのでしょうか?お答えにくい質問で申し訳ありませんが、一般的なお答えを頂けましたら幸いです。(もちろん例外がある事は承知しております)お忙しい中恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い致します。

1人の医師が回答

肝不全が進行、受診予約日まで待って良いか

person 50代/男性 - 解決済み

2ヶ月ほど前に「肝性脳症でしょうか」と質問した者です。その者についての追加の質問になります。 結局、肝性脳症で外来日に入院となりました。入院時には万一の際の蘇生をどうするかと言う話があったほどなのですが一旦持ち直し、その後2週間ほどで退院。 しかし、その後も状態はどんどん悪くなております。今回の質問は、4日後の予約通院日まで受診を待っていていいのかと言うことです。毎週通院していますが、先週在宅医の紹介をされ、調整中です(病院が遠方のため緊急時や夜間に備えて)。同時に介護サービスの申請もしました。 週一の通院ですが、入院時でさえTBil3mg/dL前後でしたが、どんどん上がり、先週は7を超えました。腹水治療でスピロノラクトン、フロセミド服用していますが、尿は出ていない様子です。 食事はほとんど取れていません。再度の肝性脳症予防のため1日3回、2錠ずつの酸化マグネシウムを服用、大量の水分を含んだ下痢を日に何度もします。 黄疸も進み、会話も成立する時は笑顔で冗談も言ったりしますが基本寝てばかりです。手を洗うのに蛇口を押してみたり(ハンドソープと間違える)、コップを保持出来ずお茶をこぼしてしまう等あります。 本人は通院予約日まで待つ(大病院のため、主治医の診察は週に一度のその曜日のみ)と言いますが、その間に急変する可能性があるのでは、と感じています。 主治医からは予後や余命についての話は一切ありません。(介護サービス申請してよいと言われたと言うことは末期がんと受け取っているのですが)なので本人は自分はまだ大丈夫と思っている様子です。 週末のため病院は休みですし、救急車を呼ぶ事態になっても病院を決めてもらえるのかとも思います。 以上を踏まえて、急変の可能性についてと、急変時の対応につきアドバイスを頂ければ幸甚です。

4人の医師が回答

母が亡くなりました。先生方、皆様ありがとうございました。

日々悩み、心配して9月から色々質問をさせて頂きました。本当に心強かったです。感謝しております。9月に末期の肝臓癌ということがわかってから約1ヶ月で母は亡くなりました。足の浮腫みが始まったのが8月中旬。それから数えても2ヶ月と少しで逝きました。8月のはじめに健康診断を受け、肝機能のところに「良性の腫瘍と思われますが再検査をしてください」とコメントがあり、大きさは約8センチでした。9月の22日に検査をした際の腫瘍の大きさは12センチと1ヶ月少しの間に急激に大きくなっていました。75歳と高齢のため、先生方も進行の早さにびっくりされていました。22日に検査をした際には肺への転移もよく見ないとわからないくらいだったのに10月の中旬の検査では肺全体に癌が転移していました。あっという間に私の目の前から母はいなくなってしまいましたが、約2週間実家に泊り込み仕事をしながら夜は母のそばで寝ることができましたし、入院してからの2週間も病院で泊り込みの許可を頂きなくなるまで付き添うことができました。痰がでるのをティッシュでとってあげたりお水を飲ませたり顔や足を拭いてあげたりすることができました。入院のきっかけは家でトイレに行く際、転倒し、おなかをうち痛みを訴え救急車で運びこまれました。入院待ちの順番がまだ来ないうちに入院をすることになってしまいました。それから2週間。本当にあっという間でした。2週間は母にとってきつい日々であったと思います。我慢強い母には脱帽でした。亡くなる3日くらい前までは看護婦さんが忙しくて申し訳ないといってナースコールさえ押しませんでした。弱い痛み止めを使って痛みを抑えていましたがだんだん痛みも強くなり麻薬だけれど痛み止めの座薬を使いますか?と聞かれ使ってくださいとお願いをしましたがその座薬を使ってからおしっこがまったくでなくなってしまいました。それまでも利尿剤を使っていたのですがふやしてもまったく出ず、出なくなってから1日半でなくなりました。座薬を使ってからは目が変で「これが母?」というような焦点のあわない目つきでした。先生には食事もほとんどとれなくて点滴だけですごしているからすぐに頭がもうろうとして誰が誰だかわからなくなる可能性が大きいといわれていましたが亡くなる直前まで意識がありました。私は少し自分を責めています。あの座薬を使わなければもう少し・・・と。仕方がないことかもしれませんが、私にとって母の存在がこれほど大きいものだったということにもなくなってから気がつきました。何を書いているのかよくわからなくなってしまいましたが、先生方、みなさま本当にありがとうございました。

1人の医師が回答

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