末期癌点滴のみに該当するQ&A

検索結果:315 件

胃潰瘍による生体検査について

person 70代以上/女性 - 解決済み

80代の父親が2日前でトイレで倒れて緊急入院しました。 倒れる前の6/2、6/9に白内障の手術をしたのですが、その手術時に血圧が190〜200台と高血圧で血圧を下げる点滴をしながらの手術でした。白内障の手術後から体調が悪く(手術前は散歩や買い物も行けてました)、心臓の痛み・高血圧でかかりつけ病院から紹介状を出してもらって6/20に総合病院に診察をうける予定でした。 娘の私が付き添いで救急科の医師の説明を受けたのですが、 ・血液検査で貧血症状が出てることが判明(どの数値かわからないのですが正常値の1/2〜1/3) ・胃カメラで検査したところ、胃潰瘍から出血していることが判明 ・念の為、悪性腫瘍ではないか生体検査を今後する という話を聞く一方で、 内科の医師からはガンのリスクなどの質問を矢継ぎ早に受けました。 ・血縁関係にがん患者はいたか?→父親の妹が胃がんで40年前に他界 ・5〜6年前に胃潰瘍発見時にピロリ菌を殺菌したか?→した ・血便のような黒い便は出てたか?いつから?→倒れる前日に黒い便は出た ・延命治療は受けたいか?→もしそういう状況になってしまったら無理して延命はしたくない という質問のみで内科の医師からは症状についての説明はありませんでした。 <聞きたい事> ・内科の医師の質問内容を聞く限りは末期ガンの疑いがあると勘繰ってしまっているのですが、このように生体検査結果がわかる前にこのような質問をするのは普通なのでしょうか? ・今年4月末の市の健康診断結果では貧血などの指摘はなかったのですが、1ヶ月半の間に貧血が悪化することはあり得るのでしょうか? ・倒れる前で自覚症状が心臓の痛み・高血圧だったので、てっきり循環器系の病気が原因だと思っていたのですが、消化器系の病気でも心臓の痛み・高血圧という症状は出るのでしょうか?

8人の医師が回答

大腸がん3回目ステント後の頻繁な便意(一時間ごと)、水便と腸閉塞の有無

person 70代以上/女性 -

末期状態の92歳の母について。2年前に大腸がんが発覚し、歳のため3大治療はせず、ステントを挿入。1年9か月後に便秘の症状が出て、2回目のステントを追加するも別の個所でも詰まっており、便を取り除き3回目のステント挿入。退院して5日後に痛みが出て救急外来へ。腸に穴が開いた状態(これがステントによる穿孔なのか、医師からの説明なし)。再入院し、絶食・静脈から栄養注入・点滴での抗生剤注入。医師から人工肛門の勧めあるも、リスクが高いので拒否。傷の回復を待って退院した。家で普通に食事をして行き、又便秘や腸が傷ついたりすれば、又治療する事で医師と合意。退院後は、ステントの刺激のせいか、頻繁に便意があり(1時間置きくらい)、座ると直ぐに水様な柔らかい便が出て、オナラも出る。本人は残便感が有り、かつ脱肛の症状もあるので、力まずに20分くらい便器に座っている。結局出ずに諦めてベッドに戻る時はフラフラ状態。ガンによる極度の倦怠感があり、ほとんど寝ている。認知的な症状も進んでいる。食欲もない。 しかし、なんとか一人でトイレに歩けるし、会話をするとよく喋る。常に腹がチクチクしており、常に触っている。退院後も体調は悪く、2週間後の診察では、再び腸に傷が発生し、血液の数値も正常範囲を超えている。医師からは、最後をどこで迎えたいか聞かれ、本人は自宅でと。すると医師からは、訪問の緩和ケアを勧められ、そこで治療中止となった。以上の状態で伺いたいのは、本人の残便感は、真に便が詰まっているからでしょうか?否、ステントが穿孔等により腸に刺激を与え続けているからでしょうか? 仮にステント術が成功だったとした場合、口から食事(おかゆ、味噌汁、お浸し、豆腐など)を初めて1週間くらいで便が詰まり、腸が圧迫されて穴が開いたりするのでしょうか? ご教示頂ければと存じます。

1人の医師が回答

母が亡くなりました。先生方、皆様ありがとうございました。

日々悩み、心配して9月から色々質問をさせて頂きました。本当に心強かったです。感謝しております。9月に末期の肝臓癌ということがわかってから約1ヶ月で母は亡くなりました。足の浮腫みが始まったのが8月中旬。それから数えても2ヶ月と少しで逝きました。8月のはじめに健康診断を受け、肝機能のところに「良性の腫瘍と思われますが再検査をしてください」とコメントがあり、大きさは約8センチでした。9月の22日に検査をした際の腫瘍の大きさは12センチと1ヶ月少しの間に急激に大きくなっていました。75歳と高齢のため、先生方も進行の早さにびっくりされていました。22日に検査をした際には肺への転移もよく見ないとわからないくらいだったのに10月の中旬の検査では肺全体に癌が転移していました。あっという間に私の目の前から母はいなくなってしまいましたが、約2週間実家に泊り込み仕事をしながら夜は母のそばで寝ることができましたし、入院してからの2週間も病院で泊り込みの許可を頂きなくなるまで付き添うことができました。痰がでるのをティッシュでとってあげたりお水を飲ませたり顔や足を拭いてあげたりすることができました。入院のきっかけは家でトイレに行く際、転倒し、おなかをうち痛みを訴え救急車で運びこまれました。入院待ちの順番がまだ来ないうちに入院をすることになってしまいました。それから2週間。本当にあっという間でした。2週間は母にとってきつい日々であったと思います。我慢強い母には脱帽でした。亡くなる3日くらい前までは看護婦さんが忙しくて申し訳ないといってナースコールさえ押しませんでした。弱い痛み止めを使って痛みを抑えていましたがだんだん痛みも強くなり麻薬だけれど痛み止めの座薬を使いますか?と聞かれ使ってくださいとお願いをしましたがその座薬を使ってからおしっこがまったくでなくなってしまいました。それまでも利尿剤を使っていたのですがふやしてもまったく出ず、出なくなってから1日半でなくなりました。座薬を使ってからは目が変で「これが母?」というような焦点のあわない目つきでした。先生には食事もほとんどとれなくて点滴だけですごしているからすぐに頭がもうろうとして誰が誰だかわからなくなる可能性が大きいといわれていましたが亡くなる直前まで意識がありました。私は少し自分を責めています。あの座薬を使わなければもう少し・・・と。仕方がないことかもしれませんが、私にとって母の存在がこれほど大きいものだったということにもなくなってから気がつきました。何を書いているのかよくわからなくなってしまいましたが、先生方、みなさま本当にありがとうございました。

1人の医師が回答

終末期の症状の変化

person 70代以上/男性 - 解決済み

父は75歳、2年7ヶ月前に前立腺癌と肺癌末期と診断。今年7月迄自己にて通院治療可能。7月末に腰の痛みが強く入院。骨盤の骨転移がわかり放射線治療後退院しました。10月末に背骨腰辺りの転移があり再度放射線治療の為入院。右腰に皮膚癌もあり摘出。 今回の入院でこちらから現在の病状を教えて欲しいと希望し、ようやく余命半年は難しくひと月単位で覚悟して頂き、今後の在宅か緩和ケア病院の選択の話しをされました。11月1週目に放射線が終わり19日に退院の話しが出ていたのですが16日に痛み止めの点滴から内服に変更したからか?朦朧として本人も頭がフワフワすると会話がややちぐはぐになる症状があり脳の現在などをしましたが転移はなし、翌日には落ち着いていました。次に22日退院の話しが出ましたが今度はCPRの数値がら上がり原因が分からず嘔吐もあった為見送り22日に緩和ケア病院の面接でこの経過を聞き転院となり現在緩和ケア病院に入院しています。この時は食事も匂いがダメな物を嗅いだり食べなければ嘔吐無く食べれるのですが、その日によりけりの状態。昨日、トイレに行くとハッピー歩行器で歩き出した父の後ろ姿を見ると右へ傾いていました。転院する5日前に右の鎖骨辺りが痛く腕を上げられない事が3日程あり、右足、腹部など全体的に右の感覚が鈍くなっているようです。起き上がりは電動ベッドを起こして何とか自己にて起き上がっています。 今日は字を書く右手が震えていました。背骨からの影響なのか脳からなのか?緩和ケア病院の先生は25日に本人が元気そうな様子を見て、放射線の副作用で一時的に体力と痛みが強くなった時期が転院前のコロコロ変わる症状だったんではないか?この分ならお正月は自宅に帰れそう。と28日に退院の話しをする事になっていますが、右全体の症状をこの土日先生は知らないかと思います。自宅に帰って大丈夫なのかどうか不安で仕方ありません。

2人の医師が回答

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