経鼻意識回復に該当するQ&A

検索結果:71 件

母87歳の強制栄養方法を、胃瘻か中心静脈点滴か抹消静脈点滴かで選択を迫られ途方にくれています。

person 70代以上/女性 -

12月13日(水)老人ホームで昼食中に物を喉に詰まらせて窒息状態になった。 ホームの看護師が指を突っ込んだり、吸引具を使って取り出した。カツの塊が詰まっていた。 出すまで5〜10分くらい掛かった。その間、呼吸できていない。それだけの時間呼吸してないから、心停止したかもしれないと。救急には、窒息と、心停止の可能性有りで通報。 脈を取っていた看護師は、脈はあったと。 救急車が来た時は、意識はないが、心停止ではなかった。 救急車で千葉県のセンターへ。 自力呼吸が出来なくECRにて酸素吸入器で対応してもらった。 私がセンターに15時半頃に着いた時までは意識が無かった。 17時半頃、面会した際はわずかに意識が戻った。 12月14日(木)12時半 センターから電話有り。 意識は回復し、意思疎通は出来るようになった。しかし酸素吸入機の酸素量を上げなくてはならない状態である。 酸素が少なくて辛いだろうが、これからどうしていくか、人工呼吸器を付けるのか。最終決定権者に決めてほしい。来てください。と。 12月15日(金) 酸素吸入は1ℓに減らせた。 センターから、療養病院に転院させるとのこと。 センターでは経鼻経管栄養。 12月22日(金)療養病院へ転院。 一週間に一回しか面会は出来ない、とのことで29日(金)面会。 主治医と会うことを強く要請するも会ってもらえない。病院のソーシャルワーカーだけがあってくれた。 痰が多く、痰の除去が多いためと、経鼻経管は外されていた。抹消静脈点滴となっていた。 これから、強制栄養の方法を選択してもらうと。胃瘻か中心静脈栄養点滴か抹消静脈点滴か。中心静脈栄養点滴の場合、半年から一年。抹消静脈点滴の場合は直ぐにでも亡くなる場合もあるし持っても半年から一年。突然のことで途方に暮れています。

4人の医師が回答

胃ろう造設の説得方法 家族の在り方

person 60代/女性 -

<経過> 昨年12月に、脳出血発症後、その翌日肺炎を併発し1カ月入院。 肺炎から回復し、その後リハビリ病院へ転院し2カ月経過。 前記肺炎発症後、経鼻経管で栄養摂取継続中。 10日前に嚥下力試験。試験体の70~80%が、気管へ入り、吸引 し肺炎には至らず。経口摂取は、難しい、との主治医の説明。 本人(63歳。女性。10年以上前から体重27kg程度。現在、失禁有)が、 経鼻経管を嫌がっている中で、主治医より胃ろう造設の意向確認あり。 入院後通算3か月経過し、支え歩き20m程度はできるようになってきたが、 退院したいと、本人が最近かなり強く、面会者の夫の手を叩いて迄 要求し出している。 主治医より、脳出血による意識障害は、ほとんどない、とのこと。 <ご相談内容> 胃ろうが造設できるなら、ベターと考えますが、 1.本人に、スムーズに納得させる方法  (手術の危険性、将来の経口摂取への可能性等も含む。) 2.経口摂取できない本人を前に、通常の食事をするとした場合の   「罪悪感」を覚える唯一同居する夫の心の持ち方 3.本人が、経口摂取できるようになるまで、前記夫も同様の摂取方法   をとることの是非 4.主治医より、「この程度の脳出血でこれほどの嚥下困難を   きたすのは、考えにくい。」との発言もあり、今後の回復のために   考えられる方法 につきまして、ご教示いただきたいと思っております。

4人の医師が回答

急性硬膜下血腫 後遺症

person 50代/女性 -

80歳の母が7月に倒れて急性硬膜下血腫、慢性硬膜下血腫が見つかり漢方薬で経過観察になりました。その時点で性格も別人のようになっていて、読み書きが出来なくなり、物忘れや不注意、ふらつき、度々頭痛、歩くと右に傾く、左側が見えない?物が二重に見えるなど異常が見られましたが、後遺症ではないからどんどん歩くようにと。別の病院でも同じ診断。 しかし家の中でもふらついてぶつかることがあり、訳の分からないことを口走るなども増え再び受診しましたが、後遺症でも認知症でも精神的なものでもなく、もう1か月ぐらいで治ります!と言われ、その2日後、朝に頭が痛いと言って寝たきり起きなくて救急搬送されました。 病名は、慢性硬膜下血腫の場所からの急性硬膜下血腫で緊急手術、当初は目が醒めることはない、意識は戻らないと言われていましたが、現在、医療依存は気管切開、痰の吸引、経鼻栄養で、両目を開き、追視をし、呼ぶとわかる、写真を見る、何か聞くと頷こうとするなどもあります。でもすぐ寝てしまいます。これ以上の回復はないので療養型病院にと言われていますが、家族としてはまだあきらめたくないので、少しでもリハビリの出来る病院に行きたいのですが、それは無理なのでしょうか? また、気管切開を閉じたり、経鼻栄養をリハビリしたり、回復の可能性のある方向に進むにはどうすればいいのでしょうか? 発病の慢性硬膜下血腫の場所から急性硬膜下血腫になることはぶつけなくてもなる事はあるのでしょうか?母は長年血圧が高く、降圧剤と血液サラサラの薬を飲んでいました。その朝はトイレに行き、薬を飲んでまた眠りそのまま起きずに家族が気付いた時には数時間後で、嘔吐してイビキをかいて倒れていました。 医師からは、当初脳幹が抉れる程だったが今は元に戻っている、2か月でこのレベルでは回復は考えられないと言われています。よろしくお願いします。

4人の医師が回答

嚥下力低下による胃瘻造設について

person 70代以上/男性 - 解決済み

80歳の義父が3週間前に歩行中に転倒し頭を強打して緊急入院。外傷性クモ膜下出血との診断で1週間ICUに入ってその後は普通病棟へ移動。 神経症状等の後遺障害もなくひとまずは安心したのですが、高齢で1週間寝たきりで階段の昇り降りが出来ないくらい筋力が低下してしまいました。栄養をつけながら暫くリハビリをする事になったのですが、嚥下能力も落ちてしまって食事が飲み込めなくなってしまい経鼻栄養チューブでなんとか凌いでいる状態です。 義母に聞いたところ、今回の転倒事故の前から(1年くらい?)摂食量が減って来たとの事でおそらくその頃から嚥下能力が低下し始めたのではないかと想像されます。一方でお酒は大好きで毎日朝から飲んでいるのでお酒の栄養で特に痩せることもなかったのでは等と言っています。 今般医師からは、いつまでも経鼻栄養という訳にはいかないので胃瘻を造設して栄養状態を改善しながら同時に嚥下能力を取り戻すリハビリをし、回復したらまた胃瘻を閉鎖する提案を受けています。それは正しい選択なのか?胃瘻って閉鎖出来るのか? ちなみに義父の現状は栄養失調と言うほどでもなく車椅子ですが意識もしっかりしていて看護師と冗談を言いあえるほどだそうです。 どう対応すべきかお教え下さい。

4人の医師が回答

81歳、急性硬膜下血腫の予後

person 70代以上/男性 -

10月26日の夕方、仕事から帰宅すると81歳の祖父がキッチンで倒れており、緊急搬送、右急性硬膜下血腫、外傷性てんかん、誤嚥性肺炎の診断でした。発見時、受傷から3〜6時間程度、転倒でテーブルかフローリングで打撲したと思われます。 当初は血腫の増大傾向がなかったため保存的加療でしたが、10日ほど経過し、血腫が陳旧化して頭蓋内圧亢進がみられたため、11月8日と11日に穿頭ドレナージを二度行い、ほぼ血腫は取り除けたそうです。 その後徐々に意識レベルが回復(痙攣を繰り返したため回復が遅れているとのこと)し、現在もまだ寝たきり状態、経鼻経腸栄養ですが、たまに開眼することがあり、不明瞭な発語や、手を軽く握り返すなど可能となり、「痛い」→「どこが?」→「手」といった程度の意思疎通は何とかできるような状況で、状態が安定すれば、回復期リハに転院予定とのことです。 今後、認知面、身体面でどれだけ回復する見込みがあるか、ご意見をいただけますと幸いです。 持病:慢性心不全、肺気腫、高血圧症、不整脈、眩暈症、関節リウマチなど 受傷以前は要支援2ながら自立した生活で、独歩(ふらつき時は杖歩行)可能、車の運転も問題なくしており、認知面でも年相応の軽微な物忘れ程度でした。 写真は搬送直後のCTです。

3人の医師が回答

薬疹のために痙攣の薬を減らした場合に痙攣について

person 70代以上/女性 - 解決済み

86歳の母が、入院中に想定外の心室細動で心停止となり、10分後に蘇生出来ましたが、現在低酸素脳症で意識が戻らず、気管切開をして人工呼吸器をつけて5か月入院中です。多少の自発呼吸は最初からあります。5か月の間には、心拍が極端に下がることがあった時には痙攣薬の種類を変えたら落ち着いたり、肺炎になった時は胸水を抜いたり、抗生剤を投与したり、母は腎臓を1つ摘出しているのでクレアチニンの数値が悪い時には利尿剤を投与したり、カリウムの調整をしたり、全身の浮腫んだり、等、色々ありましたが、最近は、点滴がなくなったせいか浮腫も落ち着き、抗生剤の投与もなくなり、経鼻からの栄養補給と心臓と痙攣の投薬のみ行なっていました。それと貧血を繰り返すので時々の輸血をしており、比較的安定していました。 数日前から顔以外の全身に薬疹がひどく出てきて、ステロイドの塗り薬では回復しなかったので、経鼻でステロイド投薬を行ない、同時に痙攣薬を2種類から1種類へとし痙攣薬の分量を減らしたそうです。その効果か薬疹の方はピークは越えて落ち着いてきたようですが、今度は痙攣が時々発生するようになりました。短時間だけ面会が許されたのですが、その際、軽い痙攣が15分間隔位で置き、摩ってやると落ち着きますが、しばらくすると痙攣への抵抗なのか?肩を固く硬直させたりしています。ドクターはこの程度なら大丈夫だとおっしゃってくれましたが、この痙攣や体の硬直は時間をかければおさまってくるものなのでしょうか?意識は相変わらず戻りませんが、微妙に瞼が動いたり、数か月前より少し反応が出てきた気もするのですが、これは痙攣薬の分量が減った影響なのでしょうか?どうぞ、よろしくお願いいたします。

3人の医師が回答

回復期リハビリ病院へは60日過ぎると入れないのですか

person 70代以上/女性 -

1月22日に脳出血を発症し、現在急性期病院に入院中の84歳の母がいます。2月18日に主治医と面談時には、重症(右上肢下肢の麻痺、意識障害、失語、経鼻経管栄養で全介助)なので回復期リハビリ病院への転院は無理ということで療養型病院を勧められましたが、納得出来ず、別病院でセカンドオピニオンを受けようとしました。しかしそんな折、運悪く私が2月20日にコロナに感染してしまい、2月いっぱい身動きが取れなくなりました。(私がキーパーソンで私以外には家族がおらず、代わりに対応できる者もいません。) やっと8日間のコロナ療養期間が終わって、3月1日から動き出しましたか、セカンドオピニオンの予約がやっと取れたのが3月15日で、それまで待たなければならなくなりました。しかしその間に母も発語がとても増えてきて反応が良くなり、看護師さんとの会話もできるくらいには回復してきました。しかし、お粥ときざみ食を食べる訓練では嘔吐して失敗し、現在はまだ朝夕が経鼻経管、昼はペースト食だそうです。 そしてやっと3月15日に受けたセカンドオピニオンでは、有名大病院の脳外科准教授先生に診ていただいた結果、回復期リハビリ病院へ行けます、主治医にはご家族の希望も含めて手紙を書いてあげますと言って下さいました。 その日(3月15日)で、発症からすでに54日目だったのですが、そのあとの流れが分からなくて、セカンドオピニオンの病院からの報告が主治医のもとに届くのにも時間がかかるだろうし、連絡を待っていればいいのかな?ぐらいに考えていましたら、そのあとも2~3日連絡がなく、今日で56日目になってしまいました。リハビリ病院への転院は発症から2か月以内と知らなくて、いま慌てています。来週になるともう58日ですが、こんなギリギリではもうリハビリ病院への転院は無理でしょうか。コロナにかかって時間をロスしたのがとても悔しいです。

5人の医師が回答

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