抗がん剤拒否できるに該当するQ&A

検索結果:120 件

高齢者の場合の大腸がん手術後の治療の選択

person 60代/男性 -

84歳の母が昨年末、大腸ガン(S字結腸ガン)ステージ3bの診断を受け、腹腔鏡手術で患部を切除しました。S字結腸の内腔の2/3を占めるほどの大きなガンだったので周辺リンパとともに広範囲に切除し、私自身現物を見てその大きさに驚きました。その後、顕微鏡検査等で、大腸の表面までは進入していないが、リンパには1個転移していることが判明しました。本人は、手術後も前も特に変わった様子はありません。ただし、今のところCT検査等でも他臓器への転移は見られないが、今後どうなるかわからない。ステージ3bだと、5年後生存率が70%を下回るとも聞かされました。その上で、今後の治療法において、1.高齢なのでこのまま様子を見て自然の経過にまかせる。2.抗がん剤「ユーエフティ+ユーゼル」を使用し、100%ではないができる限り転移を防ぐ。ただし、髪が抜けるほどではないが数々の副作用が発生する可能性が大きい。これら2つの選択肢を提案されました。母自身は、もう先は長くないし副作用で苦しむのはいやだということで抗がん剤の使用は拒否するとのことです。私たち身内の者としては、できる限り長生きしてほしいので抗がん剤の選択も考えています。しかし、本人(母)の意志は尊重すべきだし、母は、今は1人暮らしなので、そこで副作用は大変苦しいこととなるのではと予想されます。質問です。先生方の個人的な見解をお聞かせください。もし、先生方の親が同じ状況になった場合、どうされるでしょうか?よろしくお願いします。

2人の医師が回答

悪性リンパ腫の悪液質状態で抗がん剤治療は可能か

person 70代以上/男性 -

後期高齢者の父が悪性リンパ腫で、最初は抗がん剤放射線治療をし、一旦は消えましたが再発しました。経過観察した後、再入院の生検と抗がん剤治療の提案を拒否して断食などの代替医療で治療しました。半年ほどてまかなり良くなり安心してしまい、油断した生活を半年送ったらまた状態が悪くなってきてしまい、慌てて代替医療を1ヶ月くらいやり直したのですが、以前ほど上手くいかず、断食途中で食欲も無くなってしまい食べられなくなって足ももたつきはじめ、それでも積極的な運動は出来てたのですが、それから1ヶ月くらいたった頃に急にぐったり動かなくなりしまいには3日ほど寝込んでしまい、この辺りを境にガクッと体重が2週間で6キロほど減り、急に歩けなくなってきてトイレにも行けない状態になりました。調子が悪くなりはじめた頃他の病院で勝手に薬をもらって飲んでたみたいで、断食療法としてはやってはいけない事をやってしまっていたのでその害で身体が一番ダメージを受けていたのか、薬をやめたら少しは状態が回復したのですが、相変わらずの体重減少と身体の動かなさがひどくて、眠ってはいないけど目をつぶって一日中横になっているばかりです。筋肉の減少や下腹の膨らみなど、断食の回復食を食べれなかったことの栄養失調からきているのかと一旦は考えましたが、このような状態を調べると、どうやらガンの終末期の悪液質の状態と一致するような気がします。 もし終末期の余命1ヶ月だったとして、今から抗がん剤治療を希望して、治療してくれるでしょうか? 悪性リンパ腫は抗がん剤の奏功率が高いはずなのでもし当たれば少しでも延命できる可能性があると思うのですが、現在の体力筋力がこのような状態でも抗がん剤に耐えられる範囲として治療できるでしょうか。また意味ある治療になるのか、この状態が終末期の悪液質状態と一致すると考えるでしょうか。ご意見伺いたいです。

2人の医師が回答

抗ガン剤治療について

person 60代/女性 -

母(64歳)が肺腺癌です。 2011年、肺癌が見つかり市の病院で手術をし左肺の半分を取りました。 2012年、再び肺に癌が見つかり肺腺癌と判断されました。大学病院にて、胸腔鏡手術を行い、部分的な癌は取り除きましたが、小さな癌もあり、肺を片方取る手術を勧められました。 しかし、母はそれを拒否して、抗ガン剤治療を頑張ってきました。 2015年11月頃、脳への転移が見つかりました。放射線治療に関して無知だった為、2週間程家族と話し合い、その後放射線を全脳に照射する治療をしました。 脳の治療が終わり、肺の治療に再び専念する事になりました。 その間に、話題だったオブジーポの治療も行いました。 2016年12月末 再びMRIにて脳に2箇所転移が認められ、専門の治療機関にてサイバーナイフ治療を行いました。 2017年1月上旬PET検査にて腰と腸の骨への転移が発覚しました。 2017年下旬に放射線による治療を開始し今現在その治療が終了した段階です。 この後、オブジーポのような免疫治療ではなく、強い抗ガン剤の治療になるとの事で、母の体力等が心配です。脳照射によると思われます歩行障害的な症状も最近見てとれ、辛そうです。 少しでも何か辛くならないような治療の仕方などは無いものなのでしょうか。 このような場合の強い抗ガン剤治療はすぐに行う方が良いべきなのでしょうか? 母には出来る限り長生きしてほしいと思っております。

2人の医師が回答

主治医の対応がショックでした。

person 40代/女性 - 解決済み

長文です。 子宮癌が再発してしまい腹膜播種とわかり経過観察をしていた病院の主治医を裏切り標準治療ではない腹膜播種の手術ができる遠方の病院に転院しました。 手術を終え退院し術後再発予防の抗がん剤治療ができる病院を地元で探さすため以前、経過観察をしていた病院の主治医に診察をお願いし診察を受けました。 主治医は経過観察は引き受けるけど、お腹に抗がん剤を撒いて今は経過が問題ないのに抗がん剤をする必要がないと抗がん剤治療を拒否しました。 主治医の言ったことは私にも理解はできました。 経過観察を引き受けてくれるだけでも有り難いと思いました。 ただ私は退院して一週間たった頃から最初はおりものかと思いましたが尿と同じ色、臭いのものが膣から漏れるようになり日中は厚手の尿モレパット、夜はおむつとなりそのことを主治医に相談しました。 婦人科なので診てくれるだろうと思っていましたが、手術をした病院の先生に診てもらってと言われました。 遠くてすぐに行けませんと言ったら自分で選んだ治療でしょ、と言われました。 確かに私は主治医を裏切りました。裏切っておきながら診察を頼むなんて虫が良すぎる話だと、主治医に失礼だと重々承知でした。 診察前にすみませんでしたと頭も下げました。 それでも、おむつが必要で生活に支障をきたしていても遠くまで診察に行けと、ほんの少しでも状態を診てくれないことは当たり前なのでしょうか。 少しでも生きたくて一生懸命、毎日毎日悩んで標準治療ではない選択をしました。 標準治療から外れた治療を受けた患者はこの先もずっとこのような対応をされるのでしょうか。 一生おむつでも構わないから膣からの漏れに関しては放置しようとも思っています。 他院で何か治療を受ければ主治医はまた私を嫌うからです。 私と主治医の関係は修復不可能なのでしょうか。

5人の医師が回答

79歳の父、急性骨髄性白血病

person 70代以上/男性 -

今年の一月にお風呂で意識不明になり救急病院に搬送されました。コロナでした。入院中に後発薬に薬を変えた所輸血が必要になり2回輸血。(何の数値が低下したかは把握してません)その際、意識ぐ朦朧としてる中看護師さんに手足を拘束され訴えると暴言を吐いた父。その後回復しリハビリの病院に転院。2週間もせずに退院しました。 4月末から発熱があり意識もなくなったりとおかしな事が続いた中、またお風呂で意識がなくなりました。1月の時と違ってすぐにしっかりしましたが救急車で搬送。問題はなさそうだけど、とりあえず血液検査と言われ検査した結果血液に異常があると言われとりあえず入院。GW中だったので、7日以降に詳しい検査をしようと言われてたのに、父の我が儘で6日に退院。7日にかかりつけ医に見て貰ったら即入院。10日に急性白血病と診断されました。かかりつけは糖尿病の先生でしたが血液内科に移されて昨日の13日に主治医から説明あり、この病院では抗がん剤の治療は出来ないとの事。父が言う事を聞かないからと言う内容。それと、年齢。今抗がん剤を打っても意味がないとの事。同じ系列の病院には紹介したくない、父が吐いた暴言を隠す訳にはいかないとか。その暴言も本人は言ってない、先生は他の2名の看護師も聞いている!とか。(内容はこんな病院出てってやる)このまま緩和ケアを勧めますとの事。残りの余命も数週間から何ヶ月との事。先週の金曜日に白血病と言われ、抗がん剤の事で話あいかと思ったら、治療拒否。 もし抗がん剤を打ちたいならどんな人でも受け入れてくれる病院があるので、腕が良いかはわからないけど、そこなら抗がん剤を打ってくれると思いますよという病院を紹介するとの事。 今の入院先では全く治療はしてませんと言われました。早急に転院させたいです。どのような手続きを取るべきなのか教えてください。父は持病で糖尿病を患ってます。

1人の医師が回答

ルミナルAだけどB(センチネルリンパ節3/5個にてBと診断)6年目の再発治療について

person 40代/女性 - 解決済み

2015年6月37歳で左乳癌に対し全摘+一時一期同時再建インプラント、センチネル生検施行。術中病理不可の医院のため、センチネル5個中3個陽性は後日判明。硬癌、グレード1、Ki10%、ホルモン両方とも陽性。抗癌剤の上乗せ効果は低いと知り拒否も、センチネル転移があり術中病理できてたら郭清したができずだし、抗癌剤必須と言われACとアブラキサン各4クール+放射線頚部と腋窩と胸部に25回照射+タモキシフェン内服とリュープリン注射施行。タモキシフェンはうつ傾向にて4年で申し出て2020年2月に中止。そこから約1年半の今年8月43歳時点の1年検診のエコーで引っかかり、造影CTでも同じ部位の胸骨左傍リンパ節がやや拡大して写り、PETでもオレンジ色?(増殖は活発ではない色と言われた)に光っており、腫瘍マーカーはどれも上昇なし。上記検査により再発だろうとのことで、新しく主治医となった初対面の医師に勧められ、標準治療ならホルモン剤のみだが再発でも今の段階なら根治を目指せるとのことで抗がん剤を提案され施行中。現在フェソロデックス2週間に1度を3回目が済み、抗がん剤はアバスチン+weeklyパクリの1クール目が本日済。いつまでか問うと、効くまでエンドレスという感じの返答であり、ではいつ頃評価するのか問い、じゃあ2クール目終えたらとのことで、腫瘍マーカー評価不可にてCTをしてその後PETをしての評価のよう。質問1腫瘍マーカー上がらず生検もせず、今のCTとPETの結果で、主治医が言うような左乳癌再発(遠隔リンパ節転移)の診断の正確性は何%くらいのものと思われますか?2この治療をどう思われますか?妥当?3今後画像でリンパ節の腫れが消えたらフェソロデックスのみになると思われ、消えなかった場合主治医は次の抗がん剤を考えるようなことを言ってましたが、小さくならない=癌じゃない可能性はないですか?

3人の医師が回答

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