顔のむくみ がん(癌)・腫瘍に該当するQ&A

検索結果:42 件

膵臓癌 抗がん剤について

person 60代/男性 - 解決済み

・膵臓癌ステージ4a 転移なし ・膵臓全部に腫瘍が広がっている為、手術不可能 ・十年程前に心筋症の為、カテーテル術治療あり ・高血圧、糖尿病を患っている これまで、ジェムザール単独療法を今まで3回行いました。 投与後は、発熱・むくみ・骨髄抑制が著しくあらわれ、連続しての投与はできていませんが、腫瘍マーカーは約7,000あったものが600まで下がっていました。 そんな中、突然の呼吸不全で緊急搬送されました。 原因は肺水腫による心不全でした。 その前から足の浮腫みがひどく、顔にも浮腫みが出ていました。 利尿剤を増やして欲しいと医師に相談していたが、腎臓に負担がかかるからと言われ、どうすることも出来ないと言われた矢先でした。 今回、詳しく検査してもらったところ、心臓弁逆流あり、心房細胞ありとの診断で、肺水腫の原因は不明とのことでした。 今は回復しており、痛みはあるが体調は良いとのことで、ジェムザールを薄めて抗がん剤治療を再スタートしたが、その日に口内炎と足の浮腫みが出たとの事で、医師から「ジェムザールはもう使えない。TS-1に変える」と言われました。 この判断はどう思われますか? 本人・家族は、ジェムザールを薄めての投与を希望しており、もう少し様子をみたいと思っています。 TS-1に変えたところで、また新たな副作用で苦しむと思いますし、TS-1が使えなくなった場合、そのあとの手立てはもうなくなるってことですよね? どうか、ご教授お願いします。

6人の医師が回答

肝臓がん末期症状について

母の症状がだんだん悪くなっています。病院で腹部エコー、CTの検査をし、25日に告知されました。 入院予約をしましたが、一ヶ月先とのこと。私は25日以前に先生から説明を受けおり、末期がんであり、出来る治療方法は抗がん剤投与しかないといわれています。腫瘍が大きく門脈にまで顔をだしており、肺にも影があるといわれました。 また、肝臓には出血をしたあとがあり、幸い止まった為大事に至らなかったといわれています。いつ破裂するかもわからないとも言われました。腹水はまだたまっておらず、黄疸もまだでていないようですが、足の浮腫みがひどく鉄のように固くなってとてもつらそうです。 ここ数日は肩の痛みと胸の脇の痛みを訴えており、病院で痛み止めをもらいました。何日かは整形外科で以前にもらったソレトンという薬を内服し、痛みも飲めば和らいでいました。それを医師に伝えた所、「病気が病気だから痛み止めなんかきかない」「それに痛みとめは肝臓に悪いんだ」と母の目の前で言われました。(なんてひどい言い方なのかと思いました。母も非常に落ち込んでしまいました)なんとか頂いてきましたが、「ソレトン」のほかにムコスタとオメプラールも処方されました。ムコスタはともかくとして痛み止めが肝臓によくないといった先生は何故肝臓に悪いオメプラールを処方したのでしょうか? 母は、それ以来痛みを無理に我慢するようになりました。食欲もどんどん落ちています。 末期の肝臓がんといわれても痛み止めを飲むことによって進行が早まったりするのでしょうか? 肝臓がんは他のガンに比べて痛みが少ないと聞いています。これからもっと痛みが増すようになるのでしょうか?こんな症状で入院までもつのかどうか頭の中は?マークで一杯です。どうぞお力を貸してください。

5人の医師が回答

母が亡くなりました。先生方、皆様ありがとうございました。

日々悩み、心配して9月から色々質問をさせて頂きました。本当に心強かったです。感謝しております。9月に末期の肝臓癌ということがわかってから約1ヶ月で母は亡くなりました。足の浮腫みが始まったのが8月中旬。それから数えても2ヶ月と少しで逝きました。8月のはじめに健康診断を受け、肝機能のところに「良性の腫瘍と思われますが再検査をしてください」とコメントがあり、大きさは約8センチでした。9月の22日に検査をした際の腫瘍の大きさは12センチと1ヶ月少しの間に急激に大きくなっていました。75歳と高齢のため、先生方も進行の早さにびっくりされていました。22日に検査をした際には肺への転移もよく見ないとわからないくらいだったのに10月の中旬の検査では肺全体に癌が転移していました。あっという間に私の目の前から母はいなくなってしまいましたが、約2週間実家に泊り込み仕事をしながら夜は母のそばで寝ることができましたし、入院してからの2週間も病院で泊り込みの許可を頂きなくなるまで付き添うことができました。痰がでるのをティッシュでとってあげたりお水を飲ませたり顔や足を拭いてあげたりすることができました。入院のきっかけは家でトイレに行く際、転倒し、おなかをうち痛みを訴え救急車で運びこまれました。入院待ちの順番がまだ来ないうちに入院をすることになってしまいました。それから2週間。本当にあっという間でした。2週間は母にとってきつい日々であったと思います。我慢強い母には脱帽でした。亡くなる3日くらい前までは看護婦さんが忙しくて申し訳ないといってナースコールさえ押しませんでした。弱い痛み止めを使って痛みを抑えていましたがだんだん痛みも強くなり麻薬だけれど痛み止めの座薬を使いますか?と聞かれ使ってくださいとお願いをしましたがその座薬を使ってからおしっこがまったくでなくなってしまいました。それまでも利尿剤を使っていたのですがふやしてもまったく出ず、出なくなってから1日半でなくなりました。座薬を使ってからは目が変で「これが母?」というような焦点のあわない目つきでした。先生には食事もほとんどとれなくて点滴だけですごしているからすぐに頭がもうろうとして誰が誰だかわからなくなる可能性が大きいといわれていましたが亡くなる直前まで意識がありました。私は少し自分を責めています。あの座薬を使わなければもう少し・・・と。仕方がないことかもしれませんが、私にとって母の存在がこれほど大きいものだったということにもなくなってから気がつきました。何を書いているのかよくわからなくなってしまいましたが、先生方、みなさま本当にありがとうございました。

1人の医師が回答

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