骨転移最期に該当するQ&A

検索結果:31 件

前立腺ガン、脳出血について

person 60代/男性 -

私の父(60代前半)は5年前に胃ガンで胃を全摘、リンパ節、胆嚢もとりました。2年ぐらい前に前立腺にも癌があると言われましたが、治療はしませんでした。三週間前、前日まではなんとか仕事に出掛けていたのですが、急に寝ていたら意識がなくなり救急車で搬送、外傷性の脳出血だと言われました。確かに何ヵ月か前に仕事中頭をぶつけたことはありました。手術をして意識も戻ったのですが、1週間もしないうちにまた意識をなくして手術、しかしまた1週間もしないうちに意識をなくして手術をしました。三回目の手術では頭からたまった血液?を排出できるように管をだしたままにしてあります。担当医はこんなことははじめてのようでこれからさきは検討中だといいます。頭にたまってくるものがなんなのかわからないようです。血液よりも薄い色のものです。このままでは手がしばられ動くこともできず見ていて辛いです。頭から出ている管を体のほうへ出す手術をするには全身麻酔が必要なので今の体力では難しいかもと…はじめの手術のときに血小板が極端に少ないので血小板輸血をしてから手術をしました。今はほとんど食事はできません。担当医はかりに頭がよくなっても前立腺ガンが骨にまで転移しているから無理に管を体に通す手術はしないほうがいいのではないか、がんでこれからさき苦しむのではないかというわけです。ならば眠るように逝かせてあげたほうがいいのではと…血小板が極端に少ないのも骨に転移しているからかもと…骨に転移している場合の余命はどのくらいなのでしょうか?やはり癌の最期は苦しむでしょうか?これだけでは判断は難しいとは思いますが…父は家に帰りたいようす。すでに自分で歩くこともできない状態での全身麻酔の手術は難しいのでしょうか?色々質問をしてすいません。どうすることが父にとってよいことなのかわからず悩んでいます。よろしくお願いいたします。

1人の医師が回答

カルテ開示後の遺族からのご相談(食道咽頭重複がん・術前精査について・外科医の倫理観について)

person 40代/女性 -

患者遺族です。75歳の父が大学病院で食道咽頭重複がんで検査結果とともに咽頭喉頭食道全摘手術一択と手術日の提示を受け(腎機能低下あり)手術を行いました。しかし、術後1ヶ月のCTで即骨転移発覚。カルテを開示したところ、食道がんはstage3bで規定上は手術可能ですが術前のMRIやCTでは集積や赤色化など、医者の見立てをプラスすれば無理な手術でもありました。・放射線科への相談はなく外科2名で治療方針を決めている・我々は根治を目指す、根治を目指すには咽頭喉頭食道全摘手術一択のみ、うちの病院を選んだのは患者。難しい手術なんですよ、手術はうまくいったのに何が問題なのかわからない。と骨転移発覚直後に他院の教授職に異動・主治医制ではないので説明責任はない・術前のCTで脳の萎縮が認められていた・術後1週間のCTにも骨転移の記載がある・紹介元の病院に、貴重な症例のご紹介ありがとうございました、と返信・放射線単独では勝ち目が薄い、考える時間は短いが(手術を)決めれるなら決めよう・実際に執刀しているのは医員。手術同意書へサインしているので法的には問題がないでしょう。しかし、医者を信じるしか術がない高齢者は医者の言葉を信じます。術前、医者は「手術は急いだ方がいい、通常3週間で退院」と説明。母は「詐欺にあったようだ」と嘆いています。娘はセカンドオピニオンに行こうと説得しましたが、手術日が迫っておりどうしても止めきれませんでした。手術日の提示は患者には非常に重いです。規定上手術が可能+手術への同意書があっても医者の倫理観を問いたいです。患者はどうしたらいいのでしょうか。高齢者が病院の実績研修指導目的の犠牲にならないようにできることはないでしょうか。ask dotorsの先生方には父が診断を受けてから亡くなるまでの半年間親身にご回答いただき最期までできることを一緒に考えて頂き有難うございました。

1人の医師が回答

温泉医者先生

person 70代以上/男性 -

前回、軟部肉腫の治療方法で質問した者です。その際にはご回答、温かいお言葉ありがとうございました。あれから、先生がおっしゃっていたように父の心を救おうと私なりに一生懸命に看病してきましたが、10月13日に亡くなりました。亡くなる直前まで母と会話し、母が短時間目を離した間に静かに眠るように息を引き取ったようです。私は看取ってあげる事は出来ませんでしたが、父の生まれ育った、父の大好きだった家で最期を迎えさせてあげる事が出来たのは、私がしてあげられた最期の親孝行だと思っています。父の心を救う事が出来たと私は思いたいです。先生のお言葉に励まされ頑張る事が出来ました。本当にありがとうございました。亡くなった後、余裕がなく、主治医の先生に確認出来なかった事があります。先生に教えて頂きたいので、質問させて下さい。原発は右大腿部で痛みはかなりあったようです。転移の為、左骨盤の骨をとかし拳程の腫瘍が出来、肺にも転移し水がたまっていました。父は9月10日まで通院していて在宅療養になりまし。9月末には食べ物は食べられなくなり水分のみ、その頃からせん妄の症状が出始め、話す時はろれつが回らなくなり、起き上がれなくなり、寝たきりの状態になりました。モルヒネ(デュロテップ2.1mg2枚)のせいか意識朦朧というか眠っている時間が長くなりました。主治医の先生からは、肺が上手く機能していなく脳に酸素があまりいっていない、10月いっぱいもつがどうか、眠っている間に逝ってしまうかもしれないと言われました。亡くなる2日前から37度台の熱が出始め、亡くなった日の午前中は34度台しかなく、反応が鈍くなっていたそうです。弱っていくのがとても早かったのですが、9月10日から1ケ月の間に父の体の中でどのような事がおこって、どのような理由、状態で亡くなったのかを教えて頂きたいです。ご回答よろしくお願いいたします。

1人の医師が回答

末期癌による腎不全

person 60代/女性 -

初めて相談させていただきます。 実母の事なのですが、再発乳ガンで遠隔転移(骨、腹膜藩主)で一度、腹膜の癌が尿管を圧迫して腎不全になり、ステントと腎ろうで対応しても尿がでなかった為、透析をしたところ回復して今まではステントのみで問題なかったのですが、癌の進行に伴い尿量は変わらないまま癌による発熱と脱水で入院しています。そして、腎機能低下のためステント交換しても入院当初はクレアチニン値が2.8だったのに対し一週間程度で5まで上がってしまい、現在は輸液と利尿剤を再開。貧血の為輸血もしています。 そして今日、医師から告げられたのが透析をしなければ1~2週間。透析して何事もなければ2ヶ月前後と告げられました。 しかし、今の母の状態で透析に耐えられますか?と質問しても曖昧に帰され、方法は透析しかないと言います。ただ、病院を移動するだけでも本人には負担だろうと言います。 なので、私には透析してくれる病院が見つかっても辛いですがこのまま何もせずに最期を迎えた方が本人の為なのではないかと思うのですが、父と兄は一度透析で助けられたからまた透析に賭けたいみたいです。 そこで質問なのですが、末期癌患者の透析のリスクと、成功する確率を教えて下さい。 宜しくお願いします。

2人の医師が回答

骨転移の痛み

昨年2月に喉頭がんの全摘出手術、その後33回の放射線治療、秋には肺へ転移し抗がん剤治療、春には腰の骨に転移。 夏の間も何とか痛みと闘いながら頑張ってきましたが9月に入って足にまで痛みが広がり食べるのもままならなくなり、通院で13回の放射線治療を始めました。 しかしどんどんと身体が弱ってきて2回くらい倒れたりしました。 話せないためうまく説明してくれません。 あと1回の放射線を残し最初に手術をした病院に入院することになりました。 2週間から1カ月といわれ・・私はもう助からないのであれば最期は家で看取りたいことは話しました。往診にきてくれる病院も用意してあります。 しかし担当の先生はまた体力は戻るので入院して痛みを抑えましょうと言われました。 2週間が過ぎ・・日一日と弱っていきます。食べ物もほとんど食べず点滴だけです。 痛みも全然治まりません。 我慢ならず先生に相談しましたが痛みのために食事ができないだけで痛みどめの麻薬をどんどん増やしていくし・・痛みも必ずとれて元気になれるとはっきり言い切ります。 大きな病院の教授ですし父のような患者は何人もみてきてわかっていると思います。 もう20日が過ぎましたが足に貼る麻薬も7ミリまで増え、また特に痛む時の麻薬は1日に5日はもらっています。 いまだに点滴をぶら下げるものにつかまらないと歩けません。 全然良くなっているようにもみえません。しかし必ず良くなると言われます。 この状況はどうなのでしょう。心配でたまりません。いつかは亡くなると覚悟はしていますがもう一度だけでも元気な姿がみたいです。

1人の医師が回答

今でも納得出来ません

person 50代/男性 -

もう済んだ話なのですが、今でも納得出来ない事があり、先生方の御意見を伺いたいのです。 父親がある時、肩に小さなコブが出来 痛むので受診したところ、良性の腫瘍だから心配ないと言われました。 その後、大きさは変わらないものの やはり痛むと数件の病院を受診し 結果は全て良性判断 細胞診を希望しましたが、固すぎて組織が採れない レントゲンで見る限り良性だし 固すぎるくらいだから大丈夫 というような結果でした あまりに痛むので 切り取って欲しいと希望しましたが 切り取っても キノコのようにまた出来てきますよ と言われ断念 痛み止めなどで 誤魔化しながらの生活でした ところがある時 それまで全く変化のなかった腫瘍が 急に少し大きくなっていると言い出し 今までとは違う遠くのかなり大きな病院で精密検査を受けたところ 悪性の肉腫 肺まで転移確認 余命半年 と言い渡され 病院での治療は何もする事がないので 自宅で最期を迎えさせてあげて下さい との事 そこからはみるみるうちにコブは大きくなり しまいには肩甲骨まで変形するほど盛り上がり 背ムシ男のような 人間ではないような体型になり まだ52歳の若さで亡くなりました。 書いていても涙が出ます 最初の五軒ほどの病院全てが誤診したのでしょうか? 良性が一瞬で悪性に変化したのでしょうか? 今でも 最初に手を打ってくれていたら助かったのでは?と思い納得できません 先生方はどう思われますか? 宜しくお願いします。

1人の医師が回答

緩和ケア専門病院

person 70代以上/男性 -

今までも何度か質問させていただいています父(78歳)のことでお伺いします。長くなってしまいますが、お願いします。 昨年10月に肺癌(右肺S8、扁平上皮癌、ステージ3以上)と診断され、タキソテールによる治療を行ってきましたが、8月にガンが進行していることと副作用が強いため中止したほうが良いと先生から話がありました。 8月の時点では遠隔転移はありません。7月より時々喀血するようになりましたが、止血剤を飲むと止まっています。この頃より食欲が落ちて家で過ごすことが殆どとなっていますが、体調の良い日は自分で運転して出かけることもあります。 9月1日の診察で抗癌剤を止めるのであれば、緩和ケアのある病院は順番待ち状態なので早めに見学に行っておいたほうがよいと言われ、緩和専門病院でソーシャルワーカーの説明を聞いてきました。その時に父が少し歩くだけでも息苦しくしんどいと話したので、うちで一度診察を受けてみてはという事で、本日母と弟の付き添いで診察を受けましたが、ソーシャルワーカーの説明と違い戸惑っています。 緩和の先生のお話の内容は、 機械をつけるので外来では無理なので入院して欲しい。 体調の良い時は外泊しても良いが、基本的にはずっと入院。 入院となると、今までの病院は重複になるので掛かれない。 本人、家族の考えは、歩いたりしなければまだ普通に生活出来ていますので、たとえば脳や骨に転移が見つかって放射線で治療が出来るというのなら今までの病院でお世話になり、痛みやだるさが強くなれば緩和専門病院でお世話になって、なるべく長く普通に家で過ごし最期は緩和病棟でと考えていました。これは無理なことなのでしょうか? また機械をつけると言うのは、どのような治療と考えられますか?

1人の医師が回答

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