手術後せん妄治るに該当するQ&A

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子宮頸がんで子宮全摘をするのですが、70代の開腹手術は今は普通なのでしょうか?

person 70代以上/女性 -

70代前半の母が、子宮頸がんの高度異形成になりました。 以前も異形成がありその時は円錐切除をしましたが、その後も定期検査に通っていたところ再び高度異形成が見つかり、今後のリスクを考えると子宮全摘がいいと勧められています。 一方で手術歴があり腹腔鏡での全摘は難しく、全摘をする場合は開腹になるようです。 気になることが2つあり教えて頂ければ幸いです。 1:70代前半で開腹手術をすることは今は普通のことなのでしょうか。特に体力面や、せん妄が不安で、自分の知っている母が戻ってくるのかが不安です (せん妄はよく人が変わったように暴れる等を伺っているため。アルコール等は飲まない人で高齢以外のリスク要因はなさそうなのですが、入院中の死亡リスクが2,3倍になる等の記事も見かけてとても怖いです。高齢ほどリスクがあると言われていると思うのですが数日で治るものが大半なのでしょうか?) 2:円錐切除後の高度異形成だと、放射線治療はあまり適さないのでしょうか。 (選択肢として考えられるのか、一般的ではないのか、全く知見がなく知りたいです。素人観点だと単純に開腹よりも放射線と聞くと放射線の方が負担が少なそうに思えますが、全摘の方が今後を考えると良かったりするのでしょうか?) 何卒よろしくお願いいたします。

2人の医師が回答

78歳 喉頭がん 癌性髄膜炎について

person 40代/女性 -

家族の病気についていくつかご相談させて下さい。 202411月頃 喉頭がんステージ2と診断。 12月 全摘出の手術する予定だったが手術する2日前に痙攣発作をおこし癌性髄膜炎の疑いがあるとのことで中止。痙攣発作により左半身麻痺。 1月 徐々に左半身が回復した為、全摘出はやめて緩和を目的とした放射線治療を開始。(1ヶ月✖︎2日間(朝、夕) 放射線治療しても余命半年と宣告受ける。 食欲低下の為食べない日は点滴のみ。時々せん妄もみられる。 2月 2回目の痙攣発作。危篤状態になる。2回目なのでてんかん発作と診断。2日後に肺炎。次は右半身麻痺、2週間ぐらい意識なく昏睡状態。再び癌性髄膜炎と診断、末期癌と言われる。 3月 徐々に意識回復し2回目の放射線受ける。肺炎もおこし状態も悪化している、首のしこりも思った以上に小さくなった為2回目で放射線治療終了と言われる。 放射線後、食べる意欲はあるが、嚥下がよくないため点滴のみで絶食。差し入れのプリンは許可が出た為、面会時だけプリン摂取。 せん妄もなく会話も以前よりしっかりしているが、体重が減り、顔もこけてガリガリに痩せ細ってる。 点滴から中心静脈栄養に変更。 4月 痰の量も増えてきているが、顔の表情は徐々に良くなってるように感じる。 全く動かなかった右手が少し動きはじめた。 質問1 癌性髄膜炎と診断されていますが、2カ月動かなかった手が急に動くようになるのでしょうか? 質問2 食欲低下してたのに1ヶ月前から『お腹空いた、食べたい』と食べる意欲がでてきました。状態が良くない為現在も絶食が続いています。末期になると食欲低下になるイメージがありますが食欲が回復することはあるのでしょうか? 質問3 現在、急性期から療養型に転院し次は緩和病棟になるだろうと言われていますが、本人は治ることを信じて頑張っています。家族も本人が納得するまで治療を受けさせたいと考えていますが、これ以上の治療方法はありますか?緩和病棟に転院するべきでしょうか? 質問4 危篤状態になったと思ったら食欲がでてきたり、もう動くことないと思っていた手が動くようになったり困惑しています。 ただ、終末期にある中治り現象でしょうか? それとも中心静脈栄養で良くなっているのでしょうか? 助言宜しくお願い致します。

2人の医師が回答

89歳の要介護1の母のこと 脊柱管狭窄症の手術をするべきかどうか

person 70代以上/女性 -

89歳の要介護1 軽い認知症ありの母のこと 手術をするべきかどうかのご意見をいただきたい。 2/26(水)頃から右足の膝から太もも内側にかけて痛くなり、しばらく様子見していたが、良くならず右足をあげることが出来なくなった。ベッドに寝る、起きる、車の乗り降りは、膝の後ろに自分の手をおいて手で足を動かす。もしくは、人の手を借りて動かす。(どちらも痛みあり) 総合病院の整形でMRIを取り、腰椎3,4番のヘルニアと4,5番の脊柱管狭窄症と診断、脊柱管狭窄症は酷く、手術を勧められた。 今の状態では右足の踏ん張りが効かないので、段差、階段で膝が抜け、転ぶ可能性が大きい。一人では歩かない。家のなかでも車椅子を使うことをアドバイスしてもらう。 ただ、認知症もあり、言われたことを忘れてしまい、家に居るときは、散歩の習慣で一人で散歩に行ってしまう。 本人は89歳で手術はやらないという意思が強い。 (手術は、2011年に突発性水頭症と2011年に大腿骨頸部骨折(左足)をしたことあり。) とりあえず、薬を4種類(アセトアミノフェン、タリージェ、リプロストアルファデクス錠、メコバリン錠)を14日分処方。 その3日後、先生の指示で通院。薬の効果を聞かれあまり変わらないと答える。 次の通院は、手術をすると決めた時、もしくは薬が欲しい時と言われた。 家族では、根本的なことを治療するためには手術を受けてもらいたいと考えていたが、現在行っているデイサービスの職員や福祉関係者より、認知症もあり、高年齢で手術をするのは、手術を受けることによる認知低下が心配と言われた。せん妄になり、それが治らないなら、車椅子生活になっても頭がしっかりしている方が本人も周りも良いのでは、病院で手に負えなく、リハビリもろくにしない病院を転院させられた。身体が動かないよう縛られ、その意味が分らず、叫んだりする。という例も聞いた。家族としては、痛い痛いという声を聞くのも辛いし、今後、もっと酷くなるなら、本人も家族も辛い。 どのようにすれば良いのか、参考にしたいので、アドバイスを下さい。 もし、手術をしない場合は、今の薬で葉痛みが変わらないのであるなら痛みがとれる他の方法を教えてもらいたい。

6人の医師が回答

2回目の弁置換手術後の状況について

person 70代以上/男性 -

前回、遠方77歳父親の2回目の開胸手術について心配して投稿しているものです。 無事手術はおわり8時半に入って22時に出てくるという長時間手術でした。大動脈弁を機械弁から生体弁へ、僧帽弁を修復する2弁手術で完全に治らない不整脈治療のためどこかを縫う?手術もしたようです。 術後2日目午前に抜管→3日目にはICUのベッドには座れて食事をしたとのこと。5日目には一般病棟に移りましたが、コロナで面会禁止となったので3日目、5日目に妹が面会できたのみで会えてません。3日目の意識が戻っているときからたまに支離滅裂なことを言ったりしています。日にちもわからないようです…あとは、手術したことを忘れたり帰りたがってる様子がわかります。自分の名前や子供たちの名前、孫のことなどわかっていますが、時折孫と間違えることもあったり変なことも言います。ただ、質問にちゃんと答えるなどしっかり会話が成り立っていることももあります。間違っているときはしゃべり方も違う感じで、きちんと成立しているときは話し方も本来の父のようです。 これは、術後せん妄と思いつつよくなるのかなあ心配してます… 面会できないことからテレビ電話を許されていますが、夜の点滴を触ったりすることがあるようで危険もあるからか手袋等もされており自分でスマホを触れるほどは回復していません。 特に主治医からの連絡事項もなく、病棟に電話して看護師さんに何か聞く程度で、経過は順調なのか昨日より何かよくなっているのかわかりません。忙しそうで遠慮しています。 何も連絡がないのは、現時点で特段懸念されることがないということでしょうか。 リハビリ病院への転院は元から検討してもらっていましたが、術後8日経っても自立歩行が出来ずオムツです。尿管は昨日抜けたとのことでした。 たまにおかしなことを言うのは大手術、高齢という点ではよくあることでしょうか。今日のテレビ電話では「動かないからおなかもすかない」「夜は体がキツイ」ようなことを言ってました。ただ、色々話すときちんと質問に答えており、今日は私が冗談を言うといつもの感じで笑ったりもしてました。今日は理学療法士さんがきたねと看護師さんが言ってました。 酸素はもう入れておらず、体外式ペースメーカーと、点滴を1本か2本してるようです。 高齢だと回復にこんなに時間がかかるものでしょうか。 1回目の手術は60代だったのでこんなことはなかったですし、リスクを承知して手術をしたものの術後の回復が感じられず不安でいっぱいです。遠方でできることはテレビ電話ぐらいですし、どうしようもできないです。 ゆっくりゆっくり、回復するのでしょうか。

2人の医師が回答

誤嚥性肺炎で急に意識レベルが低下して意思疎通ができなくなった

person 70代以上/男性 - 解決済み

73歳父、10年前に急性白血病を患い臍帯血移植で寛解しましたが 2年前に腰あたりの帯状疱疹発症をきっかけに体調不良が続いた中で、手の震えや傾眠のような症状等があり、結果脳の悪性リンパ腫で都内病院に入院しました。 開頭手術と抗がん剤を飲む形で退院をして普通の生活を送っていましたが去年末にコロナ罹患があり肺炎を発症。その後体調を崩すたびに肺炎で入院し、治って口からの食事が出来るようになると退院するというのを2〜3回繰り返しました。 誤嚥性肺炎が治って口から何でも食べられる状況だったことと、(今思えば)特に嚥下のトレーニングの指示もなかったので食べたいものを食べさせていたのですが、どうやらその蓄積のせいか先月6/8に誤嚥性肺炎で緊急入院。6/7までは微熱などもありながら食欲もあって自分で起き上がるなどもできていたし会話も出来ていました(入退院の繰り返しでややせん妄の症状はあった) しかし6/8の入院をきっかけに、自分で痰を出せなくなったため30分ごとに大量の痰を引いてもらったり口から食べ物が食べられない状態になったため鼻から栄養を入れることを選択し引き続き入院中今日に至ります。 6/8の入院当初から意識レベルが一気に下がり一切喋らなくなってしまいました。目もうつろです。今まで何度か肺炎をやって来ていたのですが、今までと全く様子が異なる印象です。 前置きが長くなりましたが、意識レベルが低下し会話ができない状態で鼻からの栄養を続けて1ヶ月が経ち、状況は全く好転せず、むしろ痰が絡んでいつ死んでもおかしくないような状況です。 誤嚥性肺炎が原因でこのような症状(入院前日までは会話も立ち上がりも食事も1人で出来ていたのに入院後目に焦点が合わなかったり声を出すこともできない)まで落ちることはよくあることなんでしょうか。 担当医から、鼻からの栄養をこのまま続けるのか?胃瘻にするか?静脈栄養にするか?を問われていますが、どれも(口からも食べれないし意思疎通もできないから)延命措置を選択するように言われているようで、家族としてはこんなに急に意思疎通や会話ができなくなるなんて、肺炎の影響ではなく2年前の脳の病気が影響しているのではないかと疑ってしまい、このまま静かに延命治療を…という気になれないのが正直な気持ちです。脳で悪さをしている何かを撃退すれば意識が戻って嚥下のトレーニングとか出来ないものだろうか…と思ってしまったりします。 誤嚥性肺炎で一気に意思疎通ができなくなるほどの症状まで落ちる(悪化)ことはよくあることでしょうか?また、脳の病気を疑ってかかりつけ医に相談はする予定ですが肺炎の症状(現状たん吸引が必須)があっては難しいものでしょうか?

4人の医師が回答

舌癌での長期入院による妄想障害

person 70代以上/女性 -

78歳母のことでご相談があります。舌癌の手術で1月から入院しており、放射線の治療も無事に済み、5月の末に退院が決まったのですが、先程主治医より舌癌の術後は順調に治ってきているのですが、精神科医より妄想障害との判断が出ましたと電話がありました。せん妄の状態が入院時よりずっと続いており、娘の私にも電話をしてきて、先生と結婚することになったや、来れるはずのない身内が病院まで押しかけて病状を聞き出して家の権利書を奪いに来ているなど、ありえない話しをしていました。 担当の看護師にその度に相談していたのですが、せん妄なので否定せず聞き流してくださいと言われ続けてきました。せん妄なので、退院して日常生活に戻ればわりとすぐせん妄はなくなりますとも言われ続けていました。退院間近の連絡と同時に、いきなり妄想障害と言われ困惑しています。6月3日から精神科の通院での治療がはじまります。せん妄と妄想障害の違いはどのようなものなのでしょうか?入院前は一人で暮らしていたのですが、妄想障害だと一人暮らしはもう無理なのでしょうか?治ってまたお友達と趣味の体操などできるのでしょうか?あとどのような治療で期間はどのくらいなのか教えて頂けると助かります。ちなみに認知症の検査では萎縮などは見られないとのことでした。よろしくお願いします。

5人の医師が回答

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