転院拒否に該当するQ&A

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「84歳母、クモ膜下出血後のコイル塞栓術後2週間、今後の機能回復について」の追加相談

person 70代以上/女性 -

 3月中旬に母のクモ膜下出血についてご相談させていただきましたが、その後、血管攣縮などの大きな問題は発生せず、発症後1ヵ月(3月末)でリハビリ病院に転院してリハビリ中です。現在、転院後2月余り経過したところですが、短いセンテンスであれば話すことができ、食事もとれるようになりました。ただし、車いすに乗ることができますが、右半身麻痺で歩行は難しく、生活に全面的な介助が必要な状況です。8月までリハビリ病院に入院予定でした。  ところが最近、本人のリハビリ拒否や無気力が強く、思い通りにならない(看護師さんがテレビをつけてくれない等)と号泣するなど、入院に精神的に耐えられる状況でないと判断されました。そのため、6月中旬に退院し自宅療養の予定となりました。担当医の話では、出血部位が脳梁のかなりの範囲に及んでいたことが、リハビリ拒否や無気力の一因ではないかとのことです。  そこで、質問なのですが、出血による障害が脳梁に残った場合、リハビリ拒否や無気力といった症状が一般に現れるものなのでしょうか。家族のなかでは、本人の元の性格、出血の後遺症なのどちらが原因なのだろう?と意見が分かれています。こうした性格の変化が出血の後遺症であった場合、これは高次脳機能障害というものでしょうか。その場合、こうした性格の変化は、今後、ある程度軽減していくものでしょうか(現在、発症後3月余り)。また、自宅療養となった場合、気を付けるべき点がありましたら、併せてご教示いただけますとありがたく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

4人の医師が回答

統合失調症セカンドオピニオン

person 20代/女性 -

高3夏休み明けに体調不良になり、ファミリードクターからの紹介で精神科受診、統合失調症診断されましたが、その時、医師からは発症前のかすった感じ(全く幻聴幻覚なし、ただ3日間今までになく落ち込んだ)と表現されアリピプラゾール 6mg処方、そらから五ヶ月後、大学進学のため一人暮らしのため転院、今に至ります。今は大学四年生、就活もスムーズに行き、来年からは社会人です。 この四年間PMSで産婦人科に通院しましたが、他は問題なく、サークル活動、バイト(週3)と大学もほぼ休んだこともありません。 以前から娘が統合失調症と診断された事に疑問を持ち薬を飲み続けることに拒否反応を示しています。確認したところ、ここ2年は2〜3日に一度飲む程度のようです。 発症当時、医師からは(悪口をいわれている)と感じた、この点のみが診断理由という説明を受けました。しかし、その頃、過敏性大腸炎で授業中にトイレに立つことがあり、そのときにコソコソ話しているクラスメイトを見てそう感じたから悪口をいわれていると感じたとうなずいたそうです。診断後も三ヶ月で5日ほど腹痛で学校を休みましたが、模試も成績はアップし、志望校に合格しました。 社会人になる前にセカンドオピニオンを受けさせたいと思っています。1番最初の医師からはセカンドオピニオンを拒否され、転院も拒否され新幹線で通院しろと言われ、今の担当医師からは前医師の継続のみで減薬すら認めない、何年経っても寛解も認めない方針だと言われ、いつも1分診察で処方箋もらうだけのようです。 今の担当医師は地域ではかなり著名な医師なので、診断が変わることはないのでは?と娘は話してます。 せめて、セカンドオピニオンによる減薬は可能でしょうか? アメリカ?でのデーターで統合失調症の初発症から投薬を続け10年以上再発がなければ、よほどの要因事項が人生に起こらない限り、再発は80〜90%ないと言うことを聞いたのですが、日本人にもあてはまりますか?当初、投薬をアリピプラゾール 6mgの量も倍増していくと言われましたが、全くその必要がないと判断されてます。 長文になり申し訳ありませんが、断薬とならないように現状に少しでも変化が欲しいと言う思いばかりです。

2人の医師が回答

ミルタザピン 辞めどき

person 20代/女性 -

ミルタザピン15mgを、 もうかれこれ9カ月飲んでいます。 IgA腎症を途中で発病し、ステロイド治療をしてることから心療内科の主治医からミルタザピンをやめさせてもらえません。(ステロイド鬱病と不眠の懸念) ステロイドが一旦終わる予定が6月です。ミルタザピン服用を始めて1年経ってしまいました。 薬を始める時、半年で辞めれると言われたから飲む決意をしたのに、先月1錠に増やされてしまい、断っても受け入れてもらえませんでした。 病院が遠いから転院したいと伝えても持病があるから他に任せられないと2時間かけて通院しています。 体調的にも辛いです。 先生は話を聞いてくださり物腰柔らかい方で、自分も持病のことがあるので理解してるつもりですが、最初に言われた予定と全く違い増やされたこと、薬漬けにされて一生通院しないといけなくなるのではと、通院時間、金銭面、精神面、伝えても転院させてもらえず、そのせいで余計不安になってきました。 なので半錠を継続して飲んで増やしてませんが、特に何も不具合ありません。 むしろ日中眠くて仕事に支障が出ています。 飲み始めてから10kgほど太ってしまい、どんなにダイエットしてもステロイドもあるし全く痩せず、余計に落ち込み、鬱に戻りそうで怖くなります。 ステロイドの長い治療を終えても、ミルタザピンを増やされたせいで通院から逃れられない毎日もうんざりです。 Q. ミルタザピンはどのくらいで辞めれるのでしょうか。 どう伝えれば医者にわかってもらえますか。 薬を1錠に増やしたらもっと太りますか? これは適切な判断なのでしょうか? IgA腎症の治療が終わっても断薬を勧められなければ通院拒否したいです。

4人の医師が回答

がん治療中の転院について(現在の主治医を変えたい)

person 70代以上/男性 -

70歳代父ががんで、同一地域内のがん拠点病院間(B➡A)の転院を希望しておりますが、実現可能かのご相談です。 経緯 ・18年までは病院Aで治療を受けていたが、薬へのアレルギーがあったことから治療に必要な薬を飲んでいなかった。その際、担当医師の理解を得ていた。ところが担当医が代わり、その薬を飲んでいないことを理由に治療終了と言われ追い出された。 ・その後病院Bで治療を開始。検査を継続的するが、毎回検査結果を口頭で説明されるのみで、画像を見せるなどの説明を要求しても時間がないなどと対応してもらえなかった。 ・24年11月末にエコーで3.5センチのがんと思われる部位を印刷した画像で指摘。その際の一言目は「よかったですね」。10月末のCTでは腫瘍はないといわれており画像の確認を求めたが拒否され、「無いと言ったでしょ」と怒鳴られた。 ・24年12月初旬、病院Bの対応では不安のため、別の地域病院で紹介状を書いてもらい病院Aへ相談に行くも、過去の病院Aでのカルテを見たうえで、治療終了になっているため、病院Bの主治医の紹介状がないと受け付けませんと、帰される。 引き続き病院Bで診察継続 ・25年1月中旬外科の診断時に24年10月末のCT画像を見せてもらうと2センチの腫瘍がはっきりみえた。その後外科手術で腫瘍摘出。 ・25年2月中旬の血液検査で腫瘍マーカーが急上昇しており、検査を依頼するもしばらく様子を見ますとのことで検査を設定してもらえなかった。 ・3月中旬、検査結果で他臓器へのがん転移が確認された。この主治医からは必要な治療が得られないため、一度断られた病院Aへの転院を求め、紹介状を依頼。紹介状は得て診察の予約は取れたが、その後日に再度病院Bで診察に来るように言われている。 この場合、病院Aの担当医と病院Bの担当医の間で話ができており、やはり病院Aへの転院は難しいのでしょうか? 他臓器へ転移しておりますので、父はもう数か月かと思われます。最後だけでも、満足のゆく治療を受けてもらいたいと考えておりますし、このまま病院Bの主治医に片手間で処置される状況では父の魂が浮かばれないと思っています。 病院Bを回避し、病院Aへ転院する何か良い方法はないものでしょうか? なお、病院Aと病院Bの規模差は病院A>病院B、いずれも自宅からは等距離です。 いずれも病院も地域のがん指定病院ではありますが、病院Bの場合は父のがんの専門は現在の主治医のみですので、主治医からは逃げられません。 また現在は病院Aを追い出される契機となった薬は服用しております。 長文で申し訳ありませんが、ご助言をいただけますと幸いです。

3人の医師が回答

ミルタザピン 0.5mgから1mgにされた

person 20代/女性 -

去年6月からミルタザピンを飲んでいます。 鬱になってすぐに、IgA腎症という難病がわかり並行して治療してきました。 認知行動療法の成果と薬のおかげで前回の受診では鬱はだいぶ良くなったから休職届はかけないと言われました。 本日1ヶ月ぶりに受診をし、気持ちは下がりすぎてはないものの治療が重なっていて職場復帰の不安やステロイドの影響か朝になると少し気持ちが落ちる時があると伝えたら薬を0.5mgから1mgまで増やされてしまいました。 抗うつ剤漬けにされるのは避けたいです。 通院も2時間かけてきているため、断薬するのが難しくなるなら増やしたくありません。 他にも腎臓疾患の薬や血圧抑制剤などたくさん薬を飲んでるので、これ以上肝臓に負担をかけたくありません。 動けなくなるほど気持ちが落ちてるわけでもありません。 その旨伝えたけど受け入れてもらえませんでした。 傷病手当金の申請のために増量されたのでしょうか? 一生ここに通うのもつらいです。 飲みたくないと伝えましたが、IgA腎症の治療が終わるまでの辛抱だからと増やされてしまいました。 だったらそのままの容量を継続したいです。 生涯ステロイドやフォシーガを飲むのは決まってしまっているので、他の薬は飲みたくありません。 1mgを処方されたけど0.5mgのまま飲み続けても大丈夫でしょうか。 もうこの病院にも半年以上通院しており、家の近くに転院したいと伝えてもIgA腎症も絡んでいて難しいからと拒否されてしまい2時間車で運転して抗うつ剤をもらいに行っています。 つらいです。

1人の医師が回答

暗に「もう来ないでください」と言われたクリニックにはもう通うことができないのでしょうか?

person 20代/女性 -

5年ほど通っていた精神科のクリニックがありました。 しかし、元夫とのDV問題を契機に、暗に「もう来ないでください。」と言われてしまいました。 私が元夫より暴力を振るわれ、急性ストレス反応と診断していただいた後、急にそのような態度を取られるようになってしまいました。 主治医が述べる今後の診療を暗に拒否する理由としては、元夫も同じクリニックに通院しており、主治医の先生は異なるものの、私に執着した元夫が、クリニック内で暴力沙汰等を起こすかもしれないと、それは困りますということでした。 私も確かに同じクリニックに通院するということは、元夫から危害を加えられるリスクがあることは承知しております。 しかし、現在のところ、そのような行動を実際に起こすような様子はないこと、私の通勤エリアと予約の取りやすさ、診療内容に不満はなかったことから、元のクリニックに通い続けたいです。 主治医より、別のクリニックに転院するよう指示されましたが、近くではまず初診の予約が取れるところがなく、範囲を広げて探してみてやっと予約の取れたクリニックがありました。 しかし、そこは予約しても2時間以上待たされます。 これでは予約の意味がありません。 また、現在は休職しておりますが、復帰した場合、帰宅時に寄ろうと思うとクリニックの営業時間外となってしまいます。 元のクリニックは予約が取りやすいですし、予約時間もそれなりに守ってくださるので、元のクリニックにやはり通院させていただきたいという希望があります。 上記の状況で、元のクリニックに通院し続けたいと希望するのはいけないことでしょうか?

3人の医師が回答

終末期で末梢点滴を外した場合

person 70代以上/女性 - 解決済み

これまでの経緯ですが、義母(84歳)が脳梗塞で倒れ、急性期の病院に入院しました。 褥瘡もあり、治療ができない状態ですぐに亡くなるだろうと言われ、積極的な治療と積極的な延命をせずに末梢点滴で水分だけ補給をしていたところ、嚥下には問題ないとの事でごく少量食べられるようにはなってはいた状態です。(嚥下には問題ないが食べたがらず、食べるのを拒否する状態) 義母は延命は要らないと元気な内に確認していましたので、家族も全員延命は望まず、義母の意思を尊重しています。(積極的な延命を望まない) ここまで末梢点滴とほんの少しの食事で67日間経ちました。 その後、医師の話では点滴だけしていたが、思いの他回復してきたのでリハビリを頑張ればいいのではと考えて内科からリハビリ科に移したとの事でした。 点滴だけでは褥瘡が治らないので2,3ヶ月を経鼻栄養しませんかと提案があり、返答の面談日を前にリハビリ科に移動してから、食べたら吐くようになったそうです。 検査すると胆石が確認されましたが、無症状。もしかしたら石が時々胆管を防いだことによる吐き気かもしれないとの事でしたが、分からないとの事でした。 経鼻は吐いたらいけないと同時に血管ももう使えなくなって来てるので、腕にPICCで中心静脈栄養にしませんかという提案があり、食べない、飲まないのであれば、自然に亡くなる方が良いと思うと返答したら、点滴を止めるなら熱中症のような症状で数日で亡くなりますよ!と言われて、せめてPICCで水分で入れませんか?と言われ、そんなに苦しい最後になるんですか?と聞くと、安らかではないような口ぶりでした。 家族で相談した結果、義父が熱中症で亡くなったので、同じような亡くなり方は嫌だ、せめて水分だけは入れてあげたいと言う家族がおり、PICCに水分だけ入れる事を返答しました。ここまでで入院して71日目になります。 今後はPICCで水分だけ入れて、他の看取りまで受けてくださる病院内の療養病棟に転院できるか問い合わせを病院からしていただく状況です。しかし満床で2,3ヶ月かかる場合もあり、このまま今の病院で亡くなるかもしれませんとの事でした。 今日10月25日で73日目ですが、お聞きしたい事は、 本人は意識がはっきりした状態で失語がありますが、笑顔や少し話せたり意思疎通が割とできたります。 高次脳機能障害でキョロキョロしたり、話しかけても気付かない事も多いです。 食べ物は拒否する状態ですが、このまま自然にもしも点滴をいきなりやめてしまった場合、苦しみながら亡くなる可能性があるでしょうか?意識がはっきりしたまま点滴を止めると苦しみが強い亡くなり方をするのかが知りたいです。 今回選択したPICCで水分補給をやめなくて良かったのでしょうか。 義母が穏やかに逝けるように苦しめたくないのですが、もしかしたら苦しむ選択をしていたらいけないと思い、たくさんの患者さんを診ていらっしゃる先生は現実をご存じだと思い、質問させていたきました。 なにとぞよろしくお願い致します。

3人の医師が回答

83歳父、6月頭に突然歩行困難。膀胱癌転移複数脳腫瘍、月末外科手術。7 月中旬放射線治療頃〜急速悪化

person 70代以上/男性 -

4年前に膀胱癌。手術と抗癌剤治療。その後これまで泌尿器科に定期通院。2年前にたまたま肺転移が見つかるも、小さいものが散らばり手術では取りきれないものであり、免疫療法を今年2月まで2年間続け一旦終了、定期的なMRI(首から下)での異常も4月までなし。他の持病としては唯一糖尿病があり血糖値は高く通院、薬の治療は継続。ただし日常生活、頭や体への支障は殆ど不自由なく、週に数時間の散歩もするなど、生活習慣も健康的であった(5月中旬まで)が、5月下旬からやや歩行困難な状態(休み休みで時間かかる)が出始めた。5月上旬に転倒で片足膝を痛めもう片方の足でかばいながら歩き、その足への負担によるものと当時家族は理解していた。そのため整形外科を受診も問題なく徐々に戻るとの見解。しかし6月上旬に突然歩行だけでなく、風呂場で2〜3時間座り込んだままになるような状況があり(その際は救急相談で救急搬送までは不要の判断)、再度近所の泌尿器科や整形外科に行くも改善なし。その後、帰省した長男(私)が6月16日に傾眠、意欲低下の症状が異常と判断し、救急搬送、結果、MRIで3箇所の脳腫瘍が見つかり、6月30日に開頭手術を行い最も大きな(4cm程度の)前頭葉左側の腫瘍を除去。意欲や傾眠の症状の改善はないが、自宅での歩行、食事などは物に捕まりながらもできるため、介護用のベッドなどの環境を整えて一旦10日ほどで退院。また治療方針として抗癌剤(パドセブ)は血糖コントロールが必要であり使わない方針、14日から10回の全脳放射線治療方針となり、再度入院しながらの放射線照射を実施(〜28日)、この間の症状の悪化が著しく、食欲の大幅な低下、それまでできていたトイレへの歩行ができず、介助と車椅子での移動。放射線治療1週間後に発熱と肺炎の症状も出るなど(抗生物質点滴投与)もあった。ほぼ寝たきりの状況に悪化するとともに正常時と変わらなかった認知機能や会話の状況も認知症のような認知や記憶障害はないものの、発声も衰え、意欲低下や傾眠も大きく悪化、一時はリハビリや点滴の栄養補充も拒否。1か月半の入院治療での急激な悪化による精神的な情緒不安定、生きることの諦めに至る意欲低下といった状況に至った。血糖値が下がればパドセブの投与も今後検討される可能性あるが、現時点予定の治療は一通り終わったため、リハビリ転院予定である。悪化については放射線終了時に副作用や肺炎による一時的な可能性の主治医の見解はあった。しかしすでに放射線治療から2週間経過しているが、改善は見られていない。素人であるが私としては全脳放射線の判断(手術困難な小脳にまだ1.5cmの腫瘍が2つ、手術でも取りきれていない、あるいはMRIで見えない腫瘍も含めての対処としてとの説明)が適切であったか、小脳の腫瘍の局所放射などできなかったか、などの疑問は残っているし、因果関係は証明できないが、全脳放射による悪化の可能性を考えている。まずは放射線前の自宅や病院でもトイレまでは自立歩行することを退院、自宅復帰の目標としてリハビリ予定である。もともと意欲や傾眠に関わる前頭葉の腫瘍や浮腫の影響もあったことから複雑ではあるが、本人の急激な悪化による意欲低下改善がまずは課題と考えている。以上のここまでの悪化の原因、現状の所見と予後(今後のリハビリ等による回復、その程度の見込み等).、まずは自宅復帰(自身での歩行、排泄や食事)を目指した症状の改善のための選択肢はまだあるのか、リハビリしかないのであれば、特に精神ケアなども含めてどういうやり方が最善か。以上についてのご見解をいただきたい。

4人の医師が回答

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