肝硬変余命に該当するQ&A

検索結果:328 件

肝硬変で歩行困難で倒れてから左足が痛いです。

person 50代/男性 -

よろしくお願いいたします。 わたしは、約5年前にお手洗いから出た瞬間、歩行困難になり転倒しました。 その時から、左足の足首を中心に左足に痛みを感じます。 近所のER専用の総合病院に運ばれアルコール性肝硬変と診断されました。 その時の主治医は、あなたの生存率は、35パーセントですと言い切りました。 胃と脾臓にシャントがあるため、その治療を受けなければ余命3年、 受けて脾臓全摘出で余命3年に2年足して5年と言われました。 結局、首都圏の大学病院へ紹介されました。約4年近い完全禁酒が 良かったせいか、ここ2年半以上「チャイルド分類の5点のA」で、 大学病院の主治医が、「チャイルド分類の評価と画像で見た肝臓の状態を 総合する」と「チャイルドAの初期」という「診断」を毎回頂いて おります。脾臓のシャントは無視して内科適治療でいこうというのが その先生の主旨です。 しかし、左足の痛み及び足首付近のしびれがとれません。 その大学病院の整形外科まで行きましたが、神経の手術は無理という ことでした。 わたしは、その原因が知りたいです。 高校生のころから腰痛もちで、腰痛が出るとお手洗いに行くのがやっとです。 腰痛は、なおったりでの繰り返しです。 このことは関係あるのでしょうか? 主治医は、年を取ればだれでも若い時と違っていろいろと支障が出てくるとのことで 肝臓とは関係なさそうです。 当初、歩行困難でバタッと倒れた時に「神経を切ったり」してしまっているの でしょうか? 複数の医師のご意見が聞きたいです。 一名の医師からのご意見の場合もありますが、現在、セカンドオピニオン、 サードオピニオンという時代ですので、わたしの気持ちを察してください。 お願いします。

2人の医師が回答

食道がんの治療について

person 70代以上/女性 -

10月頭、胃静脈瘤より吐血。止血しましたが、その際に食道がんT4N3M1(主気管支に浸潤)、リンパ節多数転移、肺がん転移疑いが見つかり、ステージ4で余命は半年〜1年といわれました。 最初に診ていただいた総合病院では、抗がん剤治療ができるがん専門の病院を勧められ受診しました。 ところが、アルコール性肝硬変がある、血小板が少ない、栄養状態(アグルミン)が悪い等を理由に放射線治療のみの治療方針を案内されました。 放射線治療のみであれば、最初にかかった病院と放射線治療に差はないと説明され、腹水等の治療を行いながら入院で放射線治療ができる総合病院を選び、来月から治療が始まる予定です。 しかし調べているともう一つの病院ではIMRTの機械があることを知りました。 本当に治療に差はなかったのでしょうか?(総合病院は一般的な放射線治療) また、他に治療の道はないのでしょうか? 現時点では少しでも改善するように、漢方薬服用、高濃度ビタミンC点滴、糖を摂らない食事を始めています。 現在の症状は喉のつっかえ、咳、足のむくみ(歩くのが辛い)、腹水が主です。 ご回答よろしくお願いいたします。

4人の医師が回答

肝性脳症にはアミノレバンが必要か?

person 50代/男性 -

肝性脳症について教えて下さい。 対象者は51歳男性です。 アルコール性肝硬変で、今年春に年末まで持つか…と余命宣告されています。 数年前に吐血して、食道静脈瘤破裂、胃にも静脈瘤がありそれも結束?する手術もうけました。 昨年までは腹水も溜まり、お腹も張っていましたが、今は完全にお酒も断ち、食生活にも気を付けて傍目にも春以降は調子が良さそうに見えています。 が、昨日、少し肝性脳症の症状がでてきたようで、頭が回りにくいと言っていました。 (今年、あたまに肝性脳症の症状が2回ほど出た事があります) そして今朝、本人から頭が回らん!!来てほしい!とかなり興奮した状態で連絡が来ました。 数ヶ月前から、アミノレバンはもう必要無いと処方されていません。 本人が朝からしている事を思い出せなくて、イライラしていました。 今は毎朝パソコンを開けてるのですが、操作が思い出せずずっとパソコンを触っています。 前置きが長くなりましたが、 ネットで調べていると肝性脳症にはアミノレバンがいいように書いてますが、処方してもらった方がいいのでしょうか? 本人はパソコンが使えるまではご飯も食べず、薬も飲まない様でどうしたらいいものか… とにかくアミノレバンは必要か?お教え頂けると有難いです。 またその他に気をつけないといけない事もありましたら、教えて下さい。 よろしくお願い致します。

1人の医師が回答

アルコール性肝硬変と顔のむくみとストレスについて。

person 50代/男性 -

よろしくお願い致します。 今から6年前にアルコール性肝硬変になりました。 原因は、うつ病から逃れるために過度の飲酒を続けたことです。 現在、ここ3年間以上、大学病院の肝胆膵の肝臓学会会員の専門医・指導医から 治療を受けチャイルドAが続き、主治医のお言葉ですと非常に安定しているので 何も心配要りません。余命は考える必要はありません。ということでした。 6年間以上、完全禁酒を続け、食事療法にも気を付けています。 主治医は食事制限は必要ありませんといっています。 わたしは、大学で教える仕事をしています。前々から出版社から本を書いて欲しいと いう依頼があり、体が悪いからと断り続けて来たのですが3日前に引き受けること にしました。その原稿書きを始めてから朝起きると、妻が言うには、顔が非常に むくんでいるそうです。起きて1時間ほどで元に戻りますがなぜでしょうか? 非常に原稿書きは、ストレスとなり、熟睡できません。 肝臓に負担がかかっているようなら事情を話してお断りしようかと考えています。 臨床医のご意見を頂戴したくて書いた次第です。 腎臓まで悪くなったのでしょうか? 水分の取り過ぎでしょうか? とにかく原稿書きを引き受けてから頭がいつも忙しい状態が続いています。 よろしくお願い致します。

3人の医師が回答

アルコール性肝硬変の余後

person 50代/女性 -

母が数年前よりアルコール性肝硬変を患っております。 以下を見てどれ程余後があるか参考程度に教えていただきたいです。 年齢は57歳、cpはB9点、ガンまでは進行していません。合併症として胃と食道静脈瘤があります、現在はお腹の張りがありあまり飲んでいないようですがアルコール依存症です。 5月末に腹水が溜まり病院に行きましたが治療してもらえず帰ってきました。 その後も救急車を呼ぶなどしましたが受け入れてくださる病院はなし、元々その場凌ぎでしか病院に行かなかったので自業自得です。 現在は緩和ケアに切り替え訪問診療を受けながら余生をどう過ごすかという段階まて整えました。 認知症スコアは調子がよくても19点、酷い時は7点でしたので若年性認知症で介護保険申請中。現在は週に1度、2〜3Lの腹穿をし薬の処方をしてもらっております。少し前までは肝性浮腫があり、足は象のように浮腫んでいましたが今は落ち着きました。ですが、足全体は皮膚が黄色みを帯び所々黒く変色しています。 認知症のような症状もあります、お酒はビール350缶をたまに飲んでいるようです。 今現在は1日1食お弁当、おやつなども間食として食べています。 捕まりながらであれば自力歩行も可能ですが、腹水は限界点まで膨れており臍は飛び出してみかんの大きさまで膨れています。 あくまで文面で目で見たりデータがないのでなんとも言えないとは思いますが、この所見を見る限りどれくらい余後が残されていると思いますか? ちなみにですが担当医の先生には先月の段階で余命半年と言われました。 母と少しでもいい思い出を残したいと思っております、参考程度に教えていただきたいです。 よろしくお願いします。

2人の医師が回答

肝硬変で肝細胞癌2回手術した71才の父の寿命について

person 30代/女性 - 解決済み

今年71になる、父のことです。 父のことが大好きですが、肝硬変になったときから心構えしています。 それからもう五年経ち、今に至るので、そろそろはっきりお伺いしたいのです。。。 2020肝硬変の診断、 同年春、肝細胞癌。手術。 同年年末、腹水が出ました。 この腹水は服薬して抜いたと聞きました。ぺたんこに戻るまで1か月くらいかかったようです。 しばらく酒辞めたり、やめなかったり過ごしましたがストレスがあると浴びるように飲んでしまいます。 2023の春に、肝細胞癌再発し、手術。(カテーテルのような術式だったようです。ちなみに一回目の手術の際も開腹はしていません) 現在は、毎日喫煙、飲酒続いています。 運動も全くしません。安定剤服用。糖尿病でインスリン服用中。 最近、怒りっぽい、自己中、理解乏しいときがたまにあったりと性格の変化が顕著です。 とくに少量でもお酒を飲んだ日の夜は暴言もひどく、鬱っぽい感じです。 夜眠れない、かゆみあり、たまに足のむくみもあります。 毎日喫煙、飲酒続く。運動なし。 安定剤服用。糖尿病でインスリン服用中。 最近、怒りっぽい、自己中、理解乏しいときがたまにある、夜眠れない、かゆみあり、たまに足のむくみあり。 自立していますが、足のふらつき、疲労感もあります。 三か月に一度?、通院して経過観察してもらってます。医者に行く数日前からは飲まなくなりますが、受診がおわるとまた飲みます。 ただ、元気でしゃきっとしているときもあり、性格に関してもとても波があるような状態です。 最初は肝性脳症?と思いましたが、自立してるしそこまでひどくはないのか?そしたら認知症なのか?… 今回聞きたいのは、父の体の状態のステージと、余命宣告の期間に該当しそうか否か、です。 通院先のドクターは、余命などとくに父に言っている様子はなく、1人で受診して帰ってくると「がんはないよー大丈夫」とだけ。 もともとの肝硬変の様子やそのほかはどうなのか家族は全く知りません。 そこのドクターは、父が酒をやめられないことを知っているのでそれを汲んで、酒やめろとか、辞めないとあと●ヶ月くらいだよ、とか言わないのでしょうか。。 飲んで死ぬなら本望だ、くらいに父が言ってしまったのかなぁ?、、、 娘からすると、波はありますが、父の心も、体も、ボロボロな感じがします。 ただ、受診のときはきっとしゃきっと立居振る舞っているのだと思います。 なぜドクターは何も言わないのか….不思議でたまりません。 検査結果の紙など見たこともないし、なんの検査をしているのかもわかりませんが、 今述べた情報の限りですと、一般的には父はあとどれくらい、、、に該当しますか? 父のことが大好きですが、肝硬変になったときから心構えしています。 それからもう五年経ち、今に至るので、そろそろはっきりお伺いしたいのです。 どうぞ宜しくお願いします。

4人の医師が回答

最期かもしれない母の治療法について

person 70代以上/女性 -

先日からずっとご相談している母について追加質問です。肝硬変の数値くらいある肝障害で療養型病院に入院しています。去年の年末から傾眠が始まり。その傾眠に対して訪問医の先生からベタナミン処方になり。結果的に肝障害が起こり第三次救急病院で詳しく精査していただきましたがレンメルではないとだけの診断でした。この時の入院で体重が激減。入院中のムース食が合わなかったようです。施設に戻り一週間は付き添いさせていただきプリンなどを持参して何とか食事を取れない分を少しでも食べてもらおうと頑張っていましたが。風邪なのか痰が絡んだりして夜間帯が心配になり療養型病院に入院しました。療養型病院は嚥下のリハビリもされているとは聞いていましたがほとんど食事は取れていないようです。認知症も高度です。食事に関しては明日から食事量は半分にして高カロリージュースに変更してみる、との事。肝臓のお薬と共に点滴は毎日一本してあるみたいですが血管が細くなってきていて、いつまで腕や足からできるかわからないと言われました。認知症高度なので今後どのような治療ができるのか。今の療養型病院は大きな治療はされないらしくそれを望むなら転院だと言われました。施設にいた間はずっと付き添いさせてもらっていたからか施設に帰りたいと言ってます。第三次救急病院から施設に帰った時に施設側から、看取り介護承諾書という物を書きました。施設に帰った一週間は特別看護の方が毎日来て下さり丁寧に対応して下さいましたが住宅型老人ホームなので夜間は個室に見回りが4時間に一度。痰が絡んでいたので夜間の窒息死が恐く。酸素飽和度も93くらいに落ちて息苦しそうで見ていられなく緊急入院になりました。体重は145くらいで38キロを切っていると思います。訪問医の先生の見立てでは残り2週間の余命でした。人の寿命はわからないとは思いますが今後の治療の選択。更には余命が2、3週間であれば痰が落ちついた今。施設に帰り家族で看取りの場に付き添うのも選択肢の一つなのかな、と思ったりしています。今後の治療法。そのリスク。選ぶ病院か施設か考えが全くまとまらないのでいろいろな方法をご教授願いたくお願い致します。

3人の医師が回答

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