抗がん剤6クール後に該当するQ&A

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膵臓癌余命について

person 70代以上/女性 -

81歳の母が、昨年5月に膵体部癌とわかりました。 血管への浸潤があったため手術不可能。 2クールジェムザールでの抗がん剤治療を行いましたが、 効果がなかったため、これ以上の治療はあきらめました。 10月に緩和ケア科に転科。 吐き気がありあまり食べられなかったのですが、 デカドロンを処方していただいたところ食べられるようになり、 5ヶ月以上たった今でも食欲があり、食べることができています。 余命半年と言われたのに、来月で1年になろうとしています。 悪液質のため筋肉が落ちる一方で、 まだなんとか歩けますが立ち上がることができず、外出も車いすの状態です。 12月のCTでは、他臓器への転移はなし。 腹膜播種はありますが、腹水はたまっていません。 鎮痛剤は、カロナール、フェントステープ3mg、タペンタ錠100mgがベースで、レスキューとしてイーフェンバッカルとオプソを服用しています。 最近は下痢というよりも消化不良が続いています。 ひどい時は、1日6回以上下痢をしています。 昨年8月から全くの無治療で9ヶ月になろうとしていますが、 こんなにも生きながらえるものなのでしょうか? またデカドロンもこんなに長期に効果があるものなのでしょうか。 母の生命力に驚くばかりです。 余命については人それぞれである事はわかっていますが、 このような状態で、あとどのくらい生きられるとお考えでしょうか? 母のような症例はなかなか見つからず、 体験談などでもよいので教えていただければ幸いです。 また、どんな症状が出てきたら要注意でしょうか。

15人の医師が回答

Dダイマー値と運動、血栓の部位について

person 60代/女性 -

早速お尋ねします。昨年の8月に卵巣癌の手術して、明細胞癌1c1期と確定されて、TC療法で6クールの抗がん剤治療を受けました。その後2回のCT検査では再発転移はありませんでした。ネットに卵巣腫癌の人は血栓になりやすいと書いてあったので7月の血液検査の際にDダイマーを調べてほしいとお願いしました(母が脳梗塞だったので血栓についてはとても敏感です) 7/20の検査では異常値ではなかったんですが、今回(9/7)の検査では異常値が出ているとの事で(数値は教えてもらえませんでした)来週、下肢の超音波検査を受ける事になりました。術後7kg太ったので6月からウォーキング(50分)を始めたんですがなかなか痩せないので8月からスロージョギングもまぜながら1時間にして2kgほど痩せたので喜んでいたらDダイマーは良くない数値が出たのでショックを受けています。もちろん検査の前日も1時間のウォーキングと少しの筋トレをしました。ネットをみると激しい運動をするとDダイマーの数値が...と書いてあったので血栓になりやすい人は1時間(ジョギングも含む)はしない方が良いのでしょうか? 今回の超音波検査は下肢だけみたいですが、もし下肢は異常なしの場合は他の部位に血栓があると言う事なんでしょうか? 例えば頸動脈とか... 今日からウォーキングはやめようかと思ったりしています。血栓がとても心配です。宜しくお願い致します。

4人の医師が回答

母親のことについての相談

person 70代以上/女性 -

79歳の母親についてです。60歳代に慢性リンパ性白血病を発症。抗がん剤治療もしました。昨年末までは月1の外来で検査をし、貧血はあるものの安定してました。ですが昨年秋に認知症の診断を受け、また12月に胸痛で入院したところ、骨髄異形成症候群と診断されて、週2の外来輸血と血小板点滴で、どうにか過ごしていました。2月から父親の意向もありビダーザ治療を開始、3月の2クール終えて1週間後の4/8に発熱した為、救急搬送、感染症を起こしてしまい肺炎で入院しました。入院した日の夜は血圧が70しかなく意識朦朧、翌日120までもち直し輸血、強力な抗菌剤、白血球の投与をしていますが、3日目の今日ドクターの説明を聞くと、白血球は100個までしか上がらず、熱も上がったり下がったり、炎症も治まらず臓器にも影響が出始めそうである。このままだと脳にもバイ菌が広がる可能性もあり、厳しい状況ですと言われました。 特別に母親の部屋に入らせていただき5分程度顔を見ることが出来ましたが、しんどそうで会話も難しく食事もゼリーしか食べず弱る一方だなという印象で私も辛かったです。 もう危篤であると覚悟したほうがいいでしょうか。乗り越えたとしても外来で輸血できる体力がなければ緩和ケア対応の病院に入って、そこでも余命は少ないでしょうが、どういう最後を迎えさせたらよいのか迷っています。 4/6外来で輸血と血小板点滴をしてその2日後に 今回の入院となりました。

2人の医師が回答

13か月前、直腸癌とS字結腸癌の摘出。摘後のp53抗体値の推移と再発と転移について

person 60代/男性 -

令和5年7月に、直腸癌(ステージ3b)とS字結腸(ステージ2)の摘出オペをしました。(後、標準治療の抗がん剤治療を8クール終了) オペ前内視鏡検査にて、大腸ポリープが上行・横行結腸に各2ケ確認されましたが、直腸癌(ステージ3b)とS字結腸(ステージ2)の摘出が喫緊であり、当該ポリープは、令和6年5月、摘出しました。 これまでの一連の癌に係る検査では、オペ前の一部組織、オペによる患部摘出時の組織検査のみ癌確定されています。その他のエコーとCTともに画像上、直腸に腫瘍が認められ、令和6年11月にドゥイブスを個人判断で実施しましたがオペ後のため画像では腫瘍確認はありませんでした。また、令和5年6月以降から現在まだ、血液検査の腫瘍マーカーでは、癌を疑うべき結果は一切ありませんでした。 折しも、知人に相談したところ、p53抗体を勧められ、主治医に告げず他の医療機関で実施したドゥイブス同様、オペ後2か月後の令和5年9月から現在今日まで、次の時期(全5回)に、検査し、各々の数値を得てきたところです。(市販のキット) 令和5年 9月 p53抗体7.1 PSA→1.6 令和5年 11月 p53抗体5.3 PSA→1.6 令和6年 1月 p53抗体3.8 PSA→1.3 令和6年 3月 p53抗体1.6 PSA→1.1 令和6年 8月 p53抗体1.6 PSA→1.8 ここで、大腸ポリープがp53抗体に影響するとのことで、令和6年3月、p53抗体1.6は異常値でしたが、大腸ポリープはその後5月に摘出したので、恣意的に受け容れられていましたが、令和6年8月時ではp53抗体1.6 であり、この経緯について専門的な知見をいただければと思います。 ※p53抗体の確度や誤差は認識してるもの1.6の横這いが気になります。

1人の医師が回答

検査数値及び治療について

person 40代/女性 -

2007年末に乳ガン温存手術2008年1月末から3月まで放射線治療後2008年4月5月末まで抗がん剤治療三クール2008年5月からタモキシフェンとゾラデックスの治療中10月に不正出血及び子宮ポリープが見つかり乳ガン治療を中止子宮ポリープの摘出手術をしました 今年に入り生理が3月初めと終わりにきてその後周期にばらつきがあったものの5月までは順調でした 6月初めより1ヶ月不正出血が続いたため婦人科を受診しホルモン注射後出血が止まりました 8月初めに生理がきて8月末の生理前に婦人科を受診時血液検査をしたところLH5・4 FSH5・6 プロラクチン 7・0 E2 99・8 プロジェステロン 1・4 でした 妊娠可能と思い8月と9月順調に生理がきていたので安心していたのですが次の生理がなかなかこないため不妊専門医に病院を変えて受診ヒスロン3Tを1週間服用し前回の生理から51日目11月中旬にやっと生理がきました 生理三日目に血液検査をしたところFSH34・02 エストラジオール 12 CT-IgA + IgA-C-IDX H 2・121 IgG判定 + IgG-C-IDX H 1・518と結果でした 医師によると今はなにも治療できないとのことでがっかりしています 数値は短期間にこんなに変化するものなのでしょうか? また治療はなにもできないのでしょうか? 赤ちゃんがほしいと願っているのでよろしくお願いします

1人の医師が回答

腫瘍マーカー値の異常な上昇について

祖母がS状結腸癌(ステージ4)で、昨年5月に手術でS状結腸を切除後、6月から抗がん剤治療を始めました。まずTS-1を投与されましたが効果がなく1クールで終了、9月から2週に1回のFOLFOXに変更しましたが11月に5回目の投薬をしようとしたら白血球の減少が見られたので休薬期間を置いた後、12月からFOLFORI(デカドロン8mg2ml+アイソボリン25mg+トポテシン40mg2ml+5FU250mg5ml+ヘパリンワンショット)に変更しましたが、2週後にFOLFORI2回目を投与をしようとしたら再び白血球の減少が見られ、また休薬期間に。骨髄へのダメージが大きいので3〜4週毎の投薬になりました。ノイアップを使うとか薬の量を減らすなどして予定通り投薬できないか聞きましたが、休薬するのがベストとのことでした。ならば休薬の間に別の薬を投与することはできないか尋ねると、白血球の問題なのでできないと言われました。これまでの治療3つ共で効果が全く見られずマーカー値はうなぎ昇り…異常すぎるほど高くなっていっています。2006年8月時点でCEAが50.8ng/ml、CA19-9が132.7U/ml、CA125が12.2U/mlだったのですが、この後も数値は急上昇し続け、2007年2月にはCEAが660.2ng/ml、CA19-9が2570U/ml、CA125が25.4U/mlという結果でした。CEAとCA19-9の値が桁違いに異常すぎます。これは、投薬の量またはサイクルががんの進行の速さに追いつけないということなのでしょうか。もうここまでくると手の施しようはないのでしょうか。どなたか解説やアドバイスお願いします。

1人の医師が回答

網膜芽細胞腫

person 乳幼児/男性 -

網膜芽細胞腫の検査入院を終え、治療方針を伺い一旦帰宅しました。 病気の進行度は、Dの腫瘍が大きいこと、びまん性だと言うこと、Eの水晶体に接触しているとの事でした。 眼球温存できる可能性は33%以下。 でも乳児のためすぐの眼球摘出はこれから骨格形成されていく中で良くないとの事で、また少しの可能性を信じて、抗がん剤治療からスタートする事にしました。 ただ、こちらの病院だと2クールまでの治療しか行えず、その後は国立がんセンターに移管されるそうです。 眼球の温存か、命か、こんな重たい選択をまだ6ヶ月の息子に対して選ばなくてはならず、本当に心が折れそうでした。 なんでもっと早く気付いてあげられなかったのか、悔やむばかりです。 今後は、治療の全てを病院にお任せし、私達親はこどもの生命力を信じて支えていくことしか出来ません。 前置きが長くなりましたが、生まれてから、2週間、1ヶ月、3ヶ月、4ヶ月と乳幼児検診を欠かさず行ってきたのに、先生にこの病気を見つけて頂くことは出来ませんでした。 確かに、検診内容を見た限り、身体の測定、口の中、首の座り位しか見ていらっしゃらないようでしたが、検診とはそんな物なのでしょうか? それなら自宅でも出来ますよね?毎回1万円費用も払ってるのに、無駄としか思えません。 これは神戸市だけなのでしょうか?それともたまたま検診を受けていた病院だけなのでしょうか? 素人に1/15000の確率でしか発症しない病気を早期に見つける事など、先ず出来ません。 いまさらではありますが、検診の必要性や内容に不満と憤りしかありません。 専門医、小児科医の皆様の考えをお伺いしたいです。 よろしくお願いします。

1人の医師が回答

左足脛骨脛骨骨腫瘍の切除及び人工膝関節置換術について

person 40代/男性 -

2011年6月に左足脛骨良性腫瘍の切除手術を受けました。退院後、半年程度は月1回の通院、その後は月2回程度の通院をし、手術後の傷の治り具合や再発がないかの検査(レントゲン、CT)をしていました。足の表面の傷は順調に治っている感じでしたが、足の内側(骨に近い方)の傷の治りが悪い感じがあり、2022年8月に骨シンチの検査をしたところ、画像は手術をした骨を囲むように明るくなっていました。主治医は、しばらく経過を観察するとの診断でした。 2022年11月に、突然左足脛骨に鋭くて激しい痛みを感じ、1時間程度で痛みが引きましたが、その日のうちに診察を受けました。レントゲンでは異常は見られなかったとのことですが、目に見えない程度のヒビが骨に入ったかもしれないとのことでした。3日後、手術をした場所の1.5センチ程下に、手で触って分かる1センチ程度のシコリができており、その2週間後に主治医の診察を受けました。その翌月の診察の時に、再手術(腫瘍の切除及び人工膝関節置換)を進めることを決め、2022年12月末にシコリの部位の生検、2023年1月19日に手術をすることとなりました 。ところが私が生検の3日程前に新型コロナウイルスの濃厚接触者となってしまい、しばらく病院に行けなくなってしまったことから、生検は行わずに手術を行うこととなりました。 2023年1月19日に手術。その後の組織検査で悪性骨腫瘍と診断されました。その後 、1ヶ月たたないうちに、主治医から左足脛骨(脛骨の上から20センチ下、人口関節の支柱の先端辺り)に腫瘍が見つかったとのこと。手術前にはなく、手術後にできた腫瘍だとのこと。 相談の内容ですが、手術の進め方です。生検もせず急いで手術をする必要があったのでしょうか。きちんと生検を行い、悪性と診断した上で3クール抗がん剤治療をしてから手術をすれば再発は防げたのではないでしょうか。

1人の医師が回答

肺がん手術後、早期に再発転移するのはどのような要因があるのか?

person 50代/男性 -

50代知人が肺がん(病理病期ステージIIB、扁平上皮がん)で手術(左肺上葉切除+リンパ節郭清手術)を受けた後、術後補助化学療法(シスプラチン+ビノレルビン)4クールを終えてから約1か月後、経過観察のため血液検査およびCT検査(頸部~骨盤)を受診したところCT画像で原発肺がんの転移性肝がんとみられる陰影が確認されました。手術から約6か月で再発転移が確認されたことになります。扁平上皮がんは転移が比較的遅いと聞いていたので驚きでした。このように手術で腫瘍を完全に除去しても知人のように、わずか半年で再発転移する患者と、同じステージでも術後3年、5年、あるいはそれ以上再発転移しない患者の違いは果たして何が最も大きな要因と考えられるのでしょうか?運がわるいという言葉で片づけられるのはどうも釈然としませんが、かと言って専門の先生方にも、再発転移する/しないは、各患者一人一人の身体の状況が千差万別なので、何とも理由はわからないとしか返答できないようにも思います。 そこで、例として、いくつか挙げておきたいと思いますが、もし、その中で同意できそうなものがありましたら、コメントいただきたく思います。 1.手術を受ける施設の実績や執刀医の経験(腕前)なども一つの要因である。 2.肺がんの診断時には顕微鏡でようやく確認できるレベルの癌細胞は確認できないので、気管支鏡検査、CT、PET-CT、MRI等の検査で確認できる範囲で手術可能 (ステージI~IIIA)と判定され、手術を行うが実際にはすでにリンパ節や血液を通じて、すでに微小ながん細胞が身体全体に存在している患者もいる。 3.手術後に行う術後補助化学療法(抗がん剤治療)が患者によっては、かえって術後の再発転移を早める可能性もある。 以上のような要因を私なりに想定してみましたが、どうか一笑に付さないで、ご返答いただければ幸いです。

3人の医師が回答

脳出血で意識不明の昏睡状態

person 50代/女性 -

意識不明の昏睡状態が2週間続いています。 経緯を説明しますと、3人目の子供を出産した時に、子宮筋腫があると言われました。筋腫の摘出手術を受け無事終了したのですが、病理検査をしたところ肉腫と判定されました。子供も3人いるので、子宮と卵巣を摘出しました。3年程したころCT検査したところ肺に影が映っていました。こちらも病理検査したところ、ごくわずかですが転移したのではないかという肉腫に近い物があったそうです。一度抗がん剤治療を1クールしています。このころには、頭に良性であろう脳腫瘍が経過観察で診てもらっていました。今年に入り、右側の身体にしびれを感じていたようで、6月にはリハビリを兼ねた入院をしました。次の日画像診断したところ更に出血していたようで、良性腫瘍も摘出しようとなり、手術を行いました。手術自身は無事成功しリハビリも始まり、退院普段の生活に戻っていたのですが、12月8日に再び体のしびれを訴え救急搬送され、搬送先病院でCT検査を待つ間に意識不明の危篤状態になってしまいました。(医師からは、瞳孔が開いてしまっている)緊急手術を行い無事脳圧も収まりあとは意識が戻るのを待つばかりだったのですが、いまだ昏睡状態が続いてしまっている状態です。呼吸、心臓も自力で行っており、脳波も問題ないと言われているのですが、意識だけが戻ってきません。CT検査では少し脳幹に傷があるかもとは言われています。下の子供がまだ小さいので何とか戻ってきてほしいのですが、、、。先週末のテレビ大阪にてがんゲノム治療というものを見て、この治療方法で何とかならないかと思っています。昏睡状態でもゲノム治療ができるのか、脳の再生ができるのか、先生方の意見、よろしくお願いします。 ※このまま緩和治療となってしまうのでしょうか?

4人の医師が回答

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