気管切開余命に該当するQ&A

検索結果24 件

重度のARDS、手術で取り付けて延命できる人工肺は有るのか?

person 70代以上/男性 - 解決済み

70代の会社経営の父。入院前は健常。医師には長くもって半年、短いと1ヶ月の余命と、看取りを勧められていますが、現代の医療技術で、人工肺のようなものを移植あるいは外付けして延命できないものでしょうか? また、そういった手術をしている病院はありますか? 何年も生きられるとは期待していません。気管切開と人工呼吸器を外し、可能ならば会話や食事といった人間らしい日々を少しでも取り戻してから、見送ってあげたいです。 よろしくお願いいたします。 経過 間質性肺炎を本人も知らないうちに患っていたところ、搬送中の救急車内で嘔吐し、誤嚥性肺炎を併発した模様。年末に搬送され、即ネーザルハイフローを装着して ICUに入院。翌日に挿管して人工呼吸器管理下に入り、10日後に抜管したものの、翌日再び肺炎が悪化して再挿管。再挿管から17日後に気管切開し、ステロイドパルス2回、抗がん剤投与により、炎症反応はひいたものの、肺の繊維化が著しく、ウィーニングを試みたものの、うまくいかず、じわじわと悪くなる一途です。 ちなみに昨日の人工呼吸器の設定は、S IMVで酸素濃度0.55、peep8、サチュレーションは93〜97でした。  1週間前に撮影したC Tでは、上から下まで肺は真っ白でした。 鎮静剤を使用していて、zoom越しに声をかけると、開眼することもありますが、ウトウトしています。

4人の医師が回答

小脳出血からの回復過程 気管切開と胃瘻

person 60代/男性 -

63歳父です。先月19日に脳梗塞で救急搬送後21日に小脳出血→出血5センチ、水頭症→危険な状態、良くて植物状態宣告→奇跡的に回復し会話できる(記憶障害なし)→一般病棟→首からの栄養を鼻からに変更→誤嚥性肺炎→SCU→落ち着き一般病棟→痰が多く再び誤嚥→気管切開→一週間前に胃瘻→経過順調→リハビリ病院への転院許可→リハビリ病院と転院日相談…の流れでしたが、昨夜担当医から連絡があり、「胃瘻に高濃度の栄養を入れたら嘔吐していまい、気管切開もしてるので変な所に入ったら肺炎を起こす危険がある、寝たきりなので体力も無いです。延命しますか?延命した所で植物状態の可能性が高いです。月曜日以降特例で面会可能です」と言われました。 コロナ禍の為入院以来一ヶ月以上面会しておらず、病院からの電話で状況を教えて頂いてたのですが、一昨日まで順調と言われていてリハビリ先も決まりつつあり、家族としてはかなり混乱しています。実際会っていないので家族は突然の衰弱?と思ってますが、病院としたら徐々に衰弱しているのかもしれません。 1.このような状態の場合(特例で面会許可が降りたこと等)かなり厳しい状態でしょうか?おおよその余命はどれ位でしょうか? 2.病状とは関係なく恐縮ですが、現在急性期病院にいますが、例えばなんとか持ちこたえて、いつどうなるか分からない状態でも病院を出される事もあるのでしょうか? 以前こちらで相談した際もこのような回復は珍しい、運がいいと教えて頂き、担当医からも珍しいケースと言われ、喜んでいましたが、高血圧や不整脈、高コレステロール、肝臓の数値が高い等普段から色々あったので(大酒飲みの喫煙)、家族としてななるべくして…という気持ちもあります。ですが一度回復しただけに混乱が大きいです。

6人の医師が回答

在宅療養は1階でないと無理なのか?

以前、この相談コーナーで質問をいたしました。 慢性呼吸不全の78歳の父のことです。 昨年3月、肺炎を起こし、呼吸不全の急性増悪により、父が入院。さまざま乗り越え、昨年12月に気管切開。医師からはいつどうなってもおかしくないといわれながら、もう、1年になります。 父は、ニップから気管切開に変わってから少し楽になったようで、また、炎症反応やその他の数値は現在安定しています。 もちろん、栄養は静脈カテーテルによる点滴のみで、病院で寝たきり、骨と皮ばかりに痩せています。 このたび、医師から療養型病院への転院を勧められました。 この際、母は在宅介護をしたい、と医師に申し出ましたが、母一人では無理、と却下され、娘の私のところへ来たいということで、現在準備を進めています。 そこで、いくら考えても頭の中を堂々巡りしてしまうので、質問したいのですが、在宅で療養させる場合、2階の部屋では無理なのでしょうか? 我が家は夫と私、3人の中・小学生の子ども達。1階にも2階にも両親用にできる部屋はあります。 母は、この1年ずっと一人で毎日看病してきたので(月に1度私も行っていました)1階の部屋でいつもみなの声に囲まれ、余命あとわずかの父が幸福感で過ごせるようにしたいといいます。 夫や子ども達は、おじいちゃんおばあちゃんが来ることは大歓迎してくれていますが、1階の部屋はキッチン・リビング続きの和室、皆でテレビを見て笑ったり、くつろいだりしている横で父が苦しい息で寝ているのは落ち着かない、2階にしてほしい、といいます。 私は気遣いの少ない、2階が一番よいかな、と思っていますが、寝たきりの父をどうやって2階まで連れてあがるのか、今後訪問診療のお世話になると思いますが、その場合、2階ではまずいのか、どなたか経験者、またはそういうお仕事をされている方、いらっしゃいませんでしょうか?

1人の医師が回答

神経難病。TPNで絶食3ヶ月。経口摂取困難。胃瘻増設不奏功。もうTPNで延命を図るしか道はないのか。

person 60代/男性 -

【状況説明】 父が神経難病を発症して約10年程。基本は訪問看護利用だが、ショートステイやレスパイト入院を活用しつつ家族1人で在宅介護をしてきた。食事の経口摂取は出来ていたものの、昨年夏頃から咽せ込みや喀痰量は増加傾向にあった。 昨年10月末からレスパイト入院。入院後まもなく吐血あり絶食開始。検査するも異常なしとのことだが、なぜか絶食継続。程なくしてTPN開始。誤嚥リスク承知で経口摂取再開を懇願するも病院側は応じず、胃瘻造設を勧められる。本来の主治医(レスパイト医院ではない)の意見も踏まえて胃瘻造設決断するも、諸事情により手術が2回延期。その間、12月中旬頃より発熱見られたが、検査の結果原因は不明との説明。1月上旬に3回目の胃瘻造設の予定があったが、上記の発熱や体力の低下を鑑みて見送りの判断。 今年に入り、喀痰増え、酸素量も低下しているとのことで、気管切開を勧められる。ただレスパイト主治医は余命幾許もなしと考えている節があり、気管切開で体力を向上させた後、慰労造設に再挑戦する考えはない模様。現在も絶飲食でTPNが唯一の栄養摂取手段。 レスパイト入院の期限が間近に迫っており、本来の主治医とも相談しながら、今後を模索中。継続入院も可能とのレスパイト病院の話だが、息子である私はわずかな可能性を広げようとしてくれる病院に転院して仕切り直しを図り、その後胃瘻造設も可能ならば再トライを希望。段階的に経口摂取に戻すことや家で看る希望は捨ててはいない。しかし絶食になって久しく消化器の廃用も進んでいるであろうことも大いに懸念。田舎在住で転院先の選択肢も少なく途方に暮れている。 【質問】 レスパイト病院から抜け出し、どうにかして他院で胃瘻造設まで漕ぎ着けられたとして、経口摂取など夢のまた夢、TPNで延命を図るしか道はないのでしょうか?ご回答を宜しくお願い致します。

3人の医師が回答

12月3日に母が甲状腺未分化癌で余命1ヶ月

person 60代/女性 -

母は20年前から甲状腺乳頭癌が5年周期で再発し10月に5回目の甲状腺乳頭癌の手術をしました。その時も、未分化癌と疑われていましたが、細胞の組織検査で乳頭癌と診断結果がでました。手術後も、手術の傷口辺りの皮膚が赤紫色になって、段々と赤紫色が胸の辺りまで広がって、首が腫れてきて、12月3日に病院に診察に行きましたら、甲状腺未分化癌で余命1ヶ月と言われました。次の日、緊急気管切開施行し、その際気管前壁に認めた病変切除しました。その時の病理組織診断報告書の組織所見の欄に組織像からは未分化癌と判断するほどの異型性の著しさは認められません。ただ免疫組織染色を行うとthyroglobulinが陰性で、MIB-1は70%ほどの腫瘍細胞に陽性となり高い増殖能が伺われること、さらにp53が多数の細胞に陽性となることから、生物学的悪性度は未分化癌に近いと推測されます。と書いてありました。 今現在は、放射線治療を1日2回10分ずつ受けています。 放射線治療は計50回受けることになっています。 母の体調は今のところ、普通に歩いていますし、 、体重は減ってはいません。 告知されてから、1ヶ月になります。本当に未分化癌なんでしょうか? 放射線治療があと20回くらいで終了します。その後の治療も決まっていません。 放射線治療の他に治療方法はありますか? 入院してる病院は、甲状腺の専門病院ではないためか、不安です。どうしたらよいでしょか?

1人の医師が回答

80歳の父が今年誤嚥性肺炎を4回発症し現在入院治療中です

person 70代以上/男性 - 解決済み

80歳の父が誤嚥性肺炎を繰り返し、今までは酸素吸入と抗生剤投与で治療をしました。しかし今回は、発症後10日間は過去と同じ治療をしてきましたが意識と呼吸が浅くなり気管挿管し呼吸器をつけて1週間が経過します。気管挿管にあたり主治医からの説明では、当治療は「一か八」である事、このまま治療せず余命を全うしてもらうという選択もある(唾液すらも肺に入ってしまうほど体力もなくなっていて今回回復しても繰り返す可能性高いから)という説明を受けましたが、独自で調べた声門閉鎖術を知り、肺炎が良くなり体力が回復すれば誤嚥を防げられ食事も出来るようになる可能性がある事から(主治医にも確認済み)気管挿管をお願いしました。挿管から5日後医師からの説明は良くも悪化もしておらず眠っている状況との説明でしたが、面会を数分だけお願いした所本人は意識あり笑顔でコミュニケーションが取れるまでになっていました。 現在の病院は、他の疾患で通っていた専門外の病院という事もあるせいか(救急搬送時にかかりつけということで入院となった)、説明が二点三転することや説明と実際が異なる場面も少なからずあり戸惑っています。今回も寝たきりから改善していないとの説明でしたが異なり(本人は筆談で家族に電話をしたいと訴えていたとの事)、呼吸器は今後月単位で必要になり数日後は気管切開になるとの事。正直申して本当に必要なのか疑問を感じています。以前より転院を要望してきてもおり当初はリハビリ目的でしたが総合病院への転院も決まっていました(病院からコロナ感染者が出たり2度延期になり結果長期入院となっている)。ちなみに今回の肺炎は入院中の発症です。 家族としては声門閉鎖術を見越し専門医のいる総合病院へ一早く転院したいのですが、設備や呼吸器管理の問題で現状難しい、本音でコストも問題も説明されましたが病院の説明の通り現状転院は難しいでしょうか。

2人の医師が回答

脳出血の父 今後どうなるでしょうか

person 60代/男性 -

 61歳・左視床出血、嘔吐失禁し意識障害有で救急搬送されました。  元来高血圧で通院、喫煙有。13年前に一度脳出血を経験したが、当時は早期処置とリハビリにより自活できるほど回復(左半身にややマヒ有)していました。 搬送後1週間で水頭症の脳室ドレナージの手術、脳内圧迫で血塊を取り除く手術、気管切開を行っています。  2週間ほどICUで、安定してきたのでHCUへ移り、1ヶ月経過しました。 現在は自発呼吸のみ、鼻からチューブで栄養剤を入れていて、発熱もたまに微熱が出る程度で安定していますが、四肢マヒが大きく、現在も意識不明の状態です。 大声での呼びかけや体を動かしたときに目を開けることがありますが、何かを見たり反応したり、ということはありません。  担当の医者からは、出血した場所が悪く、自宅に帰れるほどの回復は困難であり、意識が戻るかわからない、歩けるようになることは無い、良くて車椅子、と言われています。  近々療養病床への転院を進められ、見学したのですが、入院期間も設けられていない「看取りの場」という印象を受けてショックを受けています。 そこへ転院するとリハビリを期待できないので、もう少しリハビリを期待できそうな病院を紹介してもらっている最中です。現在の脳神経外科では毎日、意識が無くても車椅子に乗せる等のリハビリを熱心に行ってくれています。  家族がなるべく多く足を運び、呼びかけを行っていますが…正直、このような状態はいつまで続くのだろうとも感じています。おそらく長い戦いになるのだろうと覚悟はしているのですが、父も長く苦しまなきゃならないことを思うと胸が痛いです。  これまでの経過からすると、どの程度まで回復の見込みがあるのでしょうか、あるいはどれほどの余命があるのでしょうか。 いいことでも悪いことでもいいので、よろしくお願いします。 

1人の医師が回答

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