癌モルヒネ投与後に該当するQ&A

検索結果:42 件

癌、終末期の緩和について

person 70代以上/女性 -

進行性大腸がん、終末期の83歳の祖母が先日亡くなりました。 亡くなる2日前に呼吸困難で入院しました。癌発覚から1ヶ月も立たずに容態が急変し、色々準備してましたが間に合わず救急搬送され緩和ケア病棟ではなく一般病棟に入院する事になりました。 搬送時の説明で、脱水症状、血小板が2万まで下がっている事、肺全体に癌が広がっており呼吸困難、腎機能障害が起きてると説明をされました。既に最大の酸素を送っていること、いつ亡くなっても、それが今日でもおかしくない事、緩和で治療を進めていくこと、これ以上苦しみが強くなる時は緩和ケアチームにも入ってもらい鎮静剤も考えるとの説明を受けました。 入院したその日からオキシコドンを投与してもらいました。 翌日の昼間は呼吸は苦しそうでしたが会話もできており、色々な人がお見舞いにきて嬉しそうにしてましたがその晩には呼吸がさらに苦しそうになり付き添いしている私に痛い苦しいと助けを求めるようになりました。 何度か看護師さんに体勢を変えてもらったり、痛み止めを投与してもらったりしてましたが全然楽になる気配がなく 何度目か看護師さんが来たとき「先生から鎮静剤の説明は聞いていますか?強い薬を打って眠らせますか?」と言われ、私もこれ以上祖母が苦しんでいるのは可哀想と思ったのでお願いしました。 看護師さんはその後主治医の許可を貰いにいき、ミダゾラムを投与してもらいました。 投与してまもなく、意識はなくなり喉からコロコロ音がなり始めました。 そして投与してもらってから2時間で息を引き取りました。 看護師にはもうずっと酸素も最大の量を送り続けて、おばあさまの身体も限界だったと説明されました。 私も入院してから、祖母の様子を見ていてもう限界だろうと感じていたので覚悟もしていたし理解はしてるつもりなのですが あまりの呆気なさに私が選択を間違えたのでは?とずっと考えています。 正直、先生から鎮静剤の説明は聞いていましたが意識はなくなっても1.2時間で亡くなると思わなかったのでその選択をして後悔してる自分がいます。 祖母の状態はいつ亡くなってもおかしくないと言われたとおりかなり悪かったので、寿命だったとは思ってます。 でもミダゾラム投与という緩和方法は正しかったのでしょうか? モルヒネは呼吸困難の緩和に有効と調べると出てきますが腎機能障害が起きていたのでモルヒネの選択はされなかったのでしょうか? 私があの時その選択をしなければ苦しくてももう少し長く生きていられましたか?(それが祖母にとって良いとは思いませんが..) どうしても安楽死をさせたように思ってしまいます。 支離滅裂な文章で申し訳ないです。 教えていただけたらありがたいです。よろしくお願いします

4人の医師が回答

がん末期のせん妄の家族 出来ることを探したい

person 60代/男性 -

肺がんで数年来闘病しており、今年に容体が悪化した家族が、抗がん剤治療を経て重いせん妄になってしまい、2ヶ月程経ちます。 具体的な経緯を以下に書きます。痛みで入院し、その前から痛み止めの量がかなり増えていました。抗がん剤の点滴後、数日で自力での歩行やトイレに行くことが出来なくなりました。その位から、存在しないニュースの話をしたり、日付けが分からなくなるといった、せん妄と見られる症状が現れ始めました。 それから今までに、せん妄に関しては悪化の一途を辿りました。自宅に一時退院しても、不安や見当識障害が治る様子はなく、家族が離れると大声で呼び、付き添っても不安定で、記憶も多くは定着しません。 現在は重い認知症のような状態で、本人の情緒不安定性などもますます強くなっている様子です。痛み止めも減らしてもらった上でです。がん自体のこれ以上の積極的治療は難しいと宣告されました。少し歩ける様になったことで徘徊の恐れがあり、在宅介護をするのも難しく、緩和施設でも、拘束とモルヒネ投与しかないと言われてしまいました。 医師によると、原因は、薬の副作用に心身の衰弱や負荷、小規模の脳梗塞、がんそのものによる影響(転移も考えられると病院で聞きましたが、具体的にどれほど転移しているのかは知らされていません)など多岐に渡り、特定出来ないといいます。また、終末期のせん妄で、それ自体を治すことは可能ではないらしいです。 その家族が入院してから、毎日誰かが1日も欠かさずに面会に行きました。退院時も、出来るだけそばに付き添い、話しかけ、素人なりに少しでも良い環境を提供しようと努力しましたが、至らなかったこともあったのかもしれません。もっと早く、せん妄の悪化を防げなかったことが悔やまれます。 病院や医師が、厳しい容体になってしまった家族に対して治療の手を尽くして下さったことにとても感謝しており、がん自体は仕方のないことだと思っております。 また、酷くなるせん妄で現場の方々には多大な迷惑もかけてしまったことも、本当に申し訳なく思います。 ただ、そんな家族の精神状態や脳に対して、本当にこれ以上何も出来ないのか、と諦めきれない気持ちがあります。というのも、3月半ばにはもっと余命幾許もない様子だったのが、今まで生きてくれて、あと数ヶ月程の見立てです。末期にしては食欲がかなり回復しており、少し前から歩行できる様になったりして、本人の様子に、まだ力がある感じがするのです。それで尚更なんとかしたいと思ってしまいます。このまま本人が混乱と精神的な苦しみの中で逝ってしまうには、長すぎる時間です。 もっと穏やかに、でも、可能ならただ薬で眠るだけでなく、本人らしさを取り戻せるような過ごし方も出来る方法を探したいのですが、今までがんによるせん妄について重点的に治療や支援を得る方法を、なかなか見つけられずにいました。 長くなってしまいましたが、このようながんに伴うせん妄に、脳や精神医学等の観点から対応をしてもらえる機関や訪問医等を、今の病院を出て次の緩和施設や在宅に移行した時のことも考え、探しているのですが、具体的な情報があれば教えて頂きたいです。もしくは、どうすればそのような治療に繋がれるのかを知りたいです。 多角的な観点から、諦めないケアを家族が受けられることを願っています。

4人の医師が回答

肺腺癌stageIVAの治療選択について

person 50代/男性 -

初めてご質問させていただきます。 昨年、父がステージ4の肺腺癌と診断され、現在加療中です。 1.診断内容、現在の症状 診断時期:24年5月 診断内容:肺腺癌(左上葉)、cT3N2M1b、stageIVA、原発巣とその付近に一カ所・縦隔肺門リンパ節・胸椎の転移あり 遺伝子解析:Amoy遺伝子変異陰性、PD-L1≧75% 治療経過: 1.ペメブロリズマブ+sacituzumab govidecan(治験) 治療時期:2024/7/18-9/20 Responsible:NE 2.カルボプラチン+ペメトレキセド 治療時期:2024/10/17-2025/1/31 Responsible:SD 3.ドセタキセル+ラムシルマブ 治療時期:2025/2/27-2025/4 Responsible:ND 4.トラメチニブ  治療時期:5月より投与開始 CEA(CLEIA)推移: 41.6(24年6月)→74.7(8月)→98.9(9月)→112.4(10月)→256.7(11月)→163.7(12月)→138.4(25年1月)→162.2(2月)→133.9(3月)→476.2(4月) <現在の症状> 左胸水の増加、右のがん性リンパ管症の進行 左の肺は虚脱してしまっているため、胸水を抜いても拡張が得られる状況とは言い難い状況とのこと 3月に胸腔ドレナージを行い、癒着術を試みましたが上手くいかず、すぐに溜まってしまうと予想されるとのことでした。 痛みや息苦しさ痰がひどくなっているため、何とか胸水を抜いてほしいと頼み込みましたが、胸水がドロドロで抜けないようで、現在はステロイドが処方されています。 また、症状緩和のため現在モルヒネが処方されています。 2.ご相談内容 質問1 主治医からは、使用できる抗がん剤はこれが最後の切り札と言われている状況ですが、他の治療選択肢がないかセカンドオピニオンをいただきたく存じます。 質問2 1次治療についてはNEの判断で3クール終了後に中止の判断となりましたが、この時期は症状も安定しており、かつPD-L1≧75%とペムブロリズマブの反応性が高い群に属していると思いますので、あくまでも素人目の考えですが治療効果を判定するには早かったのではないかという疑問が残っており、先生方のご見解をお伺いできますと幸いです。 また、再度同じ抗がん剤による治療は可能なのかについてもご教示いただけますと幸いです。 質問3 HP上でステージ4の肺がんに対する治療法の調べると6種複合免疫療法などの治療がでてきますが、いかにも怪しげな治療であるとは重々承知なのですが、今は藁にもすがる思いでそちらについても検討すべきか悩んでおります。こちらについても医学的根拠があるのかなどご意見頂戴できますと大変有難く存じます。 24年5月に診断されるよりも半年ほど前に健康診断の再検査で大学病院にかかっていたのですが、その時はまだ小さいですが肺に影はあったようで、診断の際に過去のX線を確認した医師は明らかに見落としがあったと宣告されました。その時に見つかっていれば早期発見ができたかもしれないというやりきれない気持ちは拭えませんが、今は何とかできる治療があればと模索しておりますので、お忙しいところ大変恐縮ですが何卒ご回答の程お願いできますと幸いです。

2人の医師が回答

末期癌患者への緩和処置について

person 60代/女性 -

先日、母を横行結腸癌から転移の重複癌で亡くしました。 深夜0時頃に嘔吐の後腹痛が始まったとのことなのですが、ホスピスから「お母様に急な変化があったので来て下さい」と連絡が来たのは翌朝8時過ぎ。 急いで駆けつけたところ、まだ激痛と闘っていました。 ちょうど医師から腹部へのモルヒネ投与が行われていたのですが、「深夜から色々鎮痛薬を試したためゆっくりしかモルヒネ投与できないので効くまでに時間がかかります」と言われ、さらに激痛と戦うこと1時間、やっと効いて来て本人も眠れそう…と言い疲れ果てて眠りましたが、その後看護師さんの声に目を開けることはあってもすぐに目を閉じ、やがては呼吸が弱くなりそのまま眠るように半日後に亡くなりました。 その時は最期は痛みなく永眠できたことが救いだと思ったのですが、葬儀も終わって一段落つくと色々自分がもっとあぁすれば良かったこうしてあげれば良かったなどと考えてしまうようになりました。 今更後悔しても仕方ないと気を振るい立たせるのですが、どうしても1点、最期に眠る前の深夜からの10時間近くの激痛との闘いだけは回避できなかったのかと。 癌末期でホスピスの医師からも時間は殆どないと言われていた患者に対し、あれだけの激痛になぜすぐモルヒネを使ってもらえなかったのだろうかと疑問に思います。 モルヒネ投与時には「これで痛みは治まりますよ、もう痛い思いはさせませんから」と自信ありげにおっしゃっていましたので、じゃあそれまで10時間も何やってたの?と言いたくなってきました。 今更どうしようもないのですが、どういう結果であれ自分の中で納得して前へ進みたく。 このホスピスの対応はベストだったのでしょうか? 長文失礼しました。

3人の医師が回答

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