危篤血圧に該当するQ&A

検索結果:64 件

肺炎の種類と種類別検査項目

person 50代/女性 -

透析と足のリハビリのため検査入院させていた病院で一ヶ月で父が肺炎で亡くなりました。 誤嚥性肺炎といわれましたが、この病院にくる入院前日まで、お世話になった病院では毎度ご飯完食で誤嚥性肺炎とは考えられません、 病院をかわってからどんどん弱りリハビリどころでなく食欲不振、意識もうろう、1日の中で熱が上下するようになりました。 母が病院に容態伝え相談しましたが様子を見ましょうといわれたようです。 あとから調べたら何も調査してないことが わかりました。 その10日後に肺が真っ白になり危篤になりました。検査りれきを調べたところ申告した日にはCRPもなにもしらべられておらず、かなり衰弱してヤバいとおもい、そのときに調べてCRPか高く肺炎になったときづいたのではないかと思っています。病院は老衰と誤嚥性肺炎といいますが違うとおもいます。 足以外は支障がなかったので院内感染か、他の肺炎と思っています。 カルテ開示をしデータを持っているので、どの種類の肺炎が、どの検査項目に影響するなど見分けかたを教えてください。 あともともと高血圧だった父が、入院してどんどん異常な低血圧になっていたことも気になります。どの肺炎でしょうか また三年胆管癌を患っていましたが 痛みも全くなく広がらず初期の状態でした。 ステントを三ヶ月に一回、前回は38度の熱が出て二ヶ月で毎回大きい病院で取り替えをしていました。 今回も38度の熱がでては下がりを繰り返して いたので母が大病院での取替の時期ではないかというとリハビリの病院では熱がでてないから大丈夫といわれました それで胆管炎が発症し肺炎が重症化する影響することはありますか 高齢者は高熱がでないことが一般的にしられていますが先生の知識がたりなさすぎるのではないかとおもいます。 アドバイスよろしくお願いします。

1人の医師が回答

高齢者の腎不全

person 70代以上/男性 -

お世話になります。89歳の父が、11月初頭に首が回らないとの訴えで病院に入院し少し出血あり検査したところ、腎不全、多臓器不全、骨髄形成症?(白血球が余り作られない病気かと、以前から診断あり)で11月中旬に輸血して回復しかけたところ、誤嚥性肺炎を引きおこしました。本人は胃瘻をしていました。意識は薄い状態でした。一時、血圧が下がり危篤状態と言われましたが、血圧は何故か間もなく120位まで戻り、吸入している酸素は安定し、抗生剤の効果あり肺炎は収まり、目をあけて家族の話を聞き頷いたり反応する状態まで持ち直しました。(然し入院後、声はでない状態が続いています)。回復してくるとの望みを持ち始めたところ、ところが、先週から腎不全の状態が悪化した様で、水分600CCの点滴、尿が400CC出るだけで、尿毒症にならない様に、脱水にならない様に水分だけ摂取している状態、何も栄養がとれず弱っていくだけの状態との理解です。足が少しむくみ始めている様です。本人は寝ているだけです。担当の先生からは、高齢で色んなところが悪化している為人工透析はしない、辛い想いをすることなく衰弱していくのを待つだけ、ここ数日ということはないがいつ病状が悪化してもおかしくなく、あと数週間ではないかとの話がありました。人工透析をして状態がよくなる、意識もはっきりしたり声がだせるようになる、栄養の点滴も入れて少し回復してくる様な可能性はないのでしょうか?人工透析は本当に無理なのか、この様な高齢者の腎不全等に対して延命の治療は残されていないのか、先生の所見、アドバイスを頂戴したく、どうか宜しくお願い申し上げます。本人は、過去誤嚥性肺炎で入院、その後、体力を急速に失い車いすとなり胃瘻となり、看護つき老人ホームに入っておりました。

2人の医師が回答

母親のことについての相談

person 70代以上/女性 -

79歳の母親についてです。60歳代に慢性リンパ性白血病を発症。抗がん剤治療もしました。昨年末までは月1の外来で検査をし、貧血はあるものの安定してました。ですが昨年秋に認知症の診断を受け、また12月に胸痛で入院したところ、骨髄異形成症候群と診断されて、週2の外来輸血と血小板点滴で、どうにか過ごしていました。2月から父親の意向もありビダーザ治療を開始、3月の2クール終えて1週間後の4/8に発熱した為、救急搬送、感染症を起こしてしまい肺炎で入院しました。入院した日の夜は血圧が70しかなく意識朦朧、翌日120までもち直し輸血、強力な抗菌剤、白血球の投与をしていますが、3日目の今日ドクターの説明を聞くと、白血球は100個までしか上がらず、熱も上がったり下がったり、炎症も治まらず臓器にも影響が出始めそうである。このままだと脳にもバイ菌が広がる可能性もあり、厳しい状況ですと言われました。 特別に母親の部屋に入らせていただき5分程度顔を見ることが出来ましたが、しんどそうで会話も難しく食事もゼリーしか食べず弱る一方だなという印象で私も辛かったです。 もう危篤であると覚悟したほうがいいでしょうか。乗り越えたとしても外来で輸血できる体力がなければ緩和ケア対応の病院に入って、そこでも余命は少ないでしょうが、どういう最後を迎えさせたらよいのか迷っています。 4/6外来で輸血と血小板点滴をしてその2日後に 今回の入院となりました。

2人の医師が回答

回復の見込みは?

person 60代/女性 -

68歳の叔母のことで伺います。 4月始めに乳癌・胃癌(胃の回りを囲っている)・膀胱癌で、末期(余命1か月)との診断を受け、4月22日に入院したのですが、5月13日より全く尿が出なくなり、尿毒症のため余命数日(今日・明日の可能性もあり)と告げられたのですが、18日までは意識もあり、ジュースを飲んだり、少しなら会話が可能でした。 しかし、19日からは意識も朦朧状態で、時折痙攣が発生してしまい、多いときは1日2回、長いときは30分にわたり全身が激しく痙攣し、一時的に血圧や心拍数、酸素量や呼吸数が低下し、危険な状態になるようになりました。でも、痙攣が治まれば、また安定した数値に戻る状態です。 苦しみを和らげるため、薬(注射)の投与が始まったのですが、19日からは点滴もせず、飲まず食わずの状態です。 すると、その後の20日から今まで一週間全くと言えるほど出なかった尿が急に出るようになり、量も徐々に増え、昨日は1リットルも出ました。 パンパンだった体の浮腫がみるみる取れ始め、絶え間なくあった痰のからみも大分改善されてきています。 看護師の話しによると、薬(モルヒネ)のせいで意識はほとんど無いとのことですが、声をかけたり、体を刺激すると、なんとなく理解しているような気がします。 もういつ亡くなってもおかしくないと言われてから10日近くが経ちましたが、私の目からは、若干回復したように感じます。 この先、意識が戻り、会話できるほどに回復する可能性はあるのでしょうか?それとも、尿が出たからといって、危篤の状況は変わらないのでしょうか? 教えてください。

2人の医師が回答

DIC状態からの治療及び回復

person 70代以上/男性 -

大変お手数お掛けします。85歳で身体的持病は今までなく(3年程前から認知症と高血圧で数十年薬飲んでいる)先月半ば、突然急性胆嚢炎で救急搬送され翌日帰宅したのですが、不調でまた近所の総合病院に入院しました(10/11)。そこで入院し胆嚢炎は回復していったのですが、入院1週程から肺炎になり3~4日酸素吸入、抗生剤など治療したのですが、その病院の手に負えないようで、専門の国立病院に転院(呼吸器内科)しました(10/24)。(かなり重篤で危篤といわれました。) そこで肺炎は回復しかかり、少しだけ安心していたのですが、本日(国立病院入院後1週間)今度は、医師からDIC状態で輸血の必要が有り余り芳しくないとのことでした。面会もできずっと点滴なので、体力も落ちているのですが、意識は有ります。(話しをすることもありますが、肺炎治療で鼻から酸素吸入しており、認知で機器をはずす危険もあり軽い麻酔がされているとのことで面会してもぼっとしている事が多い) 今はDIC治療が必要なのですが、医療に詳しい親戚(看護士で患者の実子)によるとDICは治療方法がないと言うのですが(調べると全く無い訳では無いようで、また輸血も対処療法だけで、治療ではないと言うのですがどうでしょうか)治療方法は全く無いのでしょうか。担当医も厳しいといった事を言うのですがこの状況でDICから回復するのは難しいのでしょうか。また、DIC治療するとすれば、今の担当医(呼吸器内科)から専門部門に変えるようリクエストすべきでしょうか。 長々申し訳ありませんが、この病状でのDIC治療の所見をお願い出来ますでしょうか。何卒宜しくお願い致します。

2人の医師が回答

52歳女性、脳幹出血で意識回復はほとんど難しいとの診断。回復は絶望的なのか

person 50代/女性 -

今回伺いたいことは、以下2点です。 ・意識の回復はもう無理なのか。 ・どこまで延命措置を行うのか、という話し合いをどのように切り出せばいいのか(私としては生命を維持する措置は行って欲しいが、無理な延命は行いたくない) 母が土曜日の夜、脳幹出血で倒れました。 今は血圧を下げる薬と、栄養剤を鼻から入れている状態です。 3日経った本日、主治医と面談がありました。ctの結果、出血は治まってきたが、自発呼吸が弱いため、一週間呼吸が安定しなければ気管切開を行うと言われました。 今後は現状維持、横ばいの状態が続き、脳幹からの出血が多いので意識の回復はほとんど難しいと言われました。 薄情かもしれませんが、ある程度覚悟していたので動揺しませんでした(辛いのには変わりないですが)。しかし、父と妹はかなりショックを受けたみたいです。 その後、コロナ禍で通常は難しいところを、ご好意で面会させて貰えました。 呼びかけたりすると目を開けたり、手を握ると弱いですが握り返してくれました。 そんな姿の母に、父は希望を持ったようで、反応してくれるからきっと回復してくれると考えているようです。(父はこの考えは甘すぎるかもと言っていましたが) 今は体の方に問題はないのですが、今後、体に重篤な問題が起こったら、体力の問題もあるし、あまり手術などはしない方がいい。家族側もそう選択する人がほとんどと言われました。 酔いの席での話なので、本当かどうか分かりませんが、いつも母はピンコロリがいい、植物状態になったら延命はしないでと話していました。(今の状態も延命と言われればそうですが) 危篤の時、父は母の回復を信じて延命措置を望むかもしれません。その前にどこまで治療を行うか話し合いたいです。 しかし父も妹も、突然のことで精神的余裕がなく、回復を信じており、話を切り出すのが難しいです。

5人の医師が回答

よくある事なのでしょうか

person 50代/男性 -

2月に亡くなった主人の事なのですが・・・。 毎朝血圧を測っていたのですがその日は『脈が早い』という事で病院に行くと会社を休みました。私が一緒に行くと言ったのですがそんな大げさなと一人で病院へ。私は仕事へ。血液検査をして結果を見てからと言う電話をもらいました。私が仕事から帰ると体調が悪そうだったのでもう一度病院に。点滴をしてもらっていたのですが今度は凄く寒がり始めました。先生がお腹を見ていて『何だか白っぽいね』と。主人の手が白っぽいのは3~4日前位から気になっていました。『寒いからだ』と本人は言ってました。 先生も気になったらしく歯茎からの出血やあざなどあるか聞いてきました。歯茎の出血もありあざも前日見つけました。鼻の中に出血もありました。血液検査の結果を緊急に出してもらう事になりました。その間も寒い寒いと。やっと結果が出て先生に呼ばれました。白血球が25000、血小板がかなり減っていると言われ大きな病院へ救急車で行く事になりました。喉が渇いたって言われ先生に聞いたら湿らせる程度でと。少しだけほんのちょっとだけ水を。そしたら吐き気を訴え。救急車が来て救急隊員の方にしっかり自分の名前と生年月日を答えていました。救急車の中でも何度か吐いていました。病院に着いていろいろ検査をして病室に入る時には意識がありませんでした。先生の説明では急性骨髄性白血病で多数の脳内出血を起こしている危篤状態と説明されました。病院に着いて5時後に亡くなりました。急性骨髄性白血病でこんなに早く亡くなる事はよくある事ですか?もっと早く病院に連れて行っていればと後悔の毎日です。早く行けば治る可能性もあったんですよね。急性骨髄性白血病で脳内出血はよくある事ですか?

5人の医師が回答

脳梗塞

person 70代以上/男性 -

87才の男性です 異変を見つけたのが2009年3月23日 手足の痺れ…のようなものを感じて念の為にすぐ車で普段行ってる近所の病院へ。脳梗塞の診断がおりてその日に入院(昼頃)夜にはベッドで寝ていました。治療については分かりませんが、その日からあまり喋らなくなり、寝てる事が多かったです。話せても言語障害があってハッキリとは分からず。でも表情はあり笑ったりも出来ていました。入院をしているという自覚もありました。4〜5月にかけてだんだん声を上げたり暴れたりする様になり、それが理由でリハビリもあまり行わず脳梗塞の治療については何も聞かされず、ゴールデンウイーク明けにお見舞いに行ったら脳出血が見つかりほとんど表情も話すこともなくなりました。医師が言うには近くの病院にそれらの症状を相談したらリスパダールを進められたので投与したとの こと。身内には「叫び声がおさまるから」と言って承諾を得たと聞きました。 そこから危篤状態を繰り返していて、浮腫が酷く肺に水が溜まっている。利尿剤で対応しているが尿は平均500。以前は1000出たり100しか出なかったり変動が激しい。血圧を上げる点滴をうっていたが今は取り外している。常に投与している点滴は高カロリーの栄養だけ。注射は呼吸を楽にする皮下注射で。たんがたくさん出て酸素マスクをつけています。無呼吸があり舌根沈下。微熱が続き声を荒げる。 病院を変わりたいと言ったらどこに行っても同じ、運命だから。といって拒否されます わかりづらい説明かも知れませんが簡単な流れです。私が知りたいのは脳梗塞の治療として適切だったのかという事と今の症状では病院を代わる事はムリか、そして改善はしないのかという事です。 お願いします。力を貸してください。

1人の医師が回答

脳梗塞後の誤燕性肺炎治療について

person 20代/女性 -

藁にもすがる思いです。長文ですが宜しくお願い致します。 去年9月頃、86歳になる祖母が脳梗塞で倒れ、なんとか一命はとりとめたものの、半身不随、言葉を発することができず、寝たきりの状態、食事も胃ろうから流動食をとっています。また、飲み込んだものを肺と胃に区別する弁(?)の機能が悪く、前にいた病院から頻繁に誤燕性肺炎を繰り返しています。1月に施設に移ってからはまずまず体調良好でしたが、今月12日から急に高熱を出し流動食を中止(おそらく誤燕性肺炎再発)。13日には血圧と酸素量が極端に下がり一時危篤状態に。施設に回診に来ている医師のお話だと、前の病院からの情報では肺炎の治療のための抗生物質を入れると内蔵に菌がたまる(?)ため効かない体質なので、特殊な抗生物質を使わないと治療できないが、そうすると強い薬であるし本人も体力がないため腸がただれて血便等の症状がでてしまう。病院に移って積極的治療(強い抗生物質の治療)を行うか、施設で対処療法(点滴や解熱のための座薬)を続け様子をみるか聞かれましたが、どちらが良いのか分かりません。とりあえず現在対処療法中ですが、体力のない本人の自然治癒力にかけている状態ですし、また施設には日中しか看護師さんがいませんし医師も時々回診に来ていただける程度。いざなにかあったとき不安です。しかし積極的治療も体力のない体にはかなりの負担と苦痛があるでしょう。一人小さな体で苦しんでいる祖母が可哀想で、本当にどうすべきか悩んでいます。どうかよいご意見をお聞かせください。宜しくお願い致します。

1人の医師が回答

誤嚥性肺炎

person 70代以上/男性 -

92歳の父のことで質問です。 2年前に硬膜下血腫で倒れ手術したもののアルツハイマーの症状がひどくなり入院生活をしていました。車椅子での生活でしたが笑顔も見られ楽しく生活をしているようでした。 今年の2月にノロウィルスに感染しそれから肺炎を起こし抗菌剤など病院の手厚い処置で体調は戻りつつあるものの寝たきり状態、1日置きに会いに行っていたのですが以前よりはめっきり弱ってしまったもののいっとき会話ができることもありました。 食事はペースト状のものを食べさせてもらえるようになっていたのですが一昨日少量嘔吐してから一気に容体が悪化し血圧が下がり酸素量も減り危篤状態になりました。 先生の説明ではまた誤嚥性肺炎を起こした状況であとは本人の生命力次第です。という話でした。私も母も父の年齢からしてももう無理に生きるよりあとは楽に終わりを迎えさせてあげたいと思っていますが 抗菌剤の点滴とドパミン、ともうひとつ点滴をしている状態です。父は肺炎で熱も8度3分まであり息づかいも苦しそうです。 殆ど寝ていて目を開けても焦点はどこかにいってしまっていてこちらの声かけにもたまに反応するかな...程度です。 家族としてはこの様な父の姿はとてもやりきれなくもう楽にしてあげたいと思います。 一人っ子の私と87歳の母私には知的な障害を持つ子どももいて父の方に全力を向けるのがなかなか難しいです。週明けには子どもの小学校も始まり片道1時間以上かけて毎日通うのは困難な状況ででも父の最期は一緒にいてあげたいという複雑な心境です。 先生は生命力次第と言っていましたがこの状態はいつまで続くのでしょうか。点滴を止めてしまうことは父にとっては苦しみにつながるのでしょうか。 長々とまとまらない内容で申し訳ありませんがよろしくお願い致します。

5人の医師が回答

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