徐々に現れていた「認知症の兆し」 介護する家族の後悔とジレンマ

  • 作成:2021/09/21

65歳以上の患者が推計およそ600万人(2020年)いるといわれるアルツハイマー型認知症。認知症は顔にできるシミのように、脳に異常なタンパク質がたまり脳の神経細胞を死滅させるもので、誰もがかかる可能性があります。 今回は母親が認知症と確定診断されるまでの道のりから、現在に至るまでの実例手記を紹介します。

この記事の目安時間は6分です

徐々に現れていた「認知症の兆し」 介護する家族の後悔とジレンマ

段々と現れる認知症の兆し

認知症と診断されてから約10年になる母は、今年で89歳。60歳代の半ばに入り、小さな異変が現れました。孫も大きくなり面倒をみる相手がいなくなったことで、自分の存在意義について考えているようでした。同時に足がだるい、むくむといって外出しなくなったのです。病院を受診したところ、老人性うつと診断されました。そこで、治療と同時に犬を飼うことに。運動量が必要なビーグルで、当初は面倒を見られないと音 をあげていましたが、自分が世話をしないと生きていけない犬を前に奮起し、うつの症状もだんだん見られなくなりました。

次に異変が現れたのが70歳代に入るころ、「匂いがわからない、味もよくわからない」といいだしたのです。知り合いの大学病院の耳鼻科の先生に診てもらいましたが、「嗅細胞は一度死滅すると戻らない」といわれ、あきらめてしまいました。
この嗅細胞が認知症と大きく関わっていたということを、当時は知る由もありません。痴呆症から認知症へと名称が変更する前の話です。認知症に関する研究もそれほど進んでいませんでした。現在、匂いと認知症には関連があるということがわかっています。
あのとき、脳のCTを撮っておけば何かわかっていたかもしれない、そんな後悔があります。年を重ねれば誰でも五感が鈍くなってきます。しかし、匂いがわからない、味がしないといった場合には、認知症の可能性を踏まえ神経内科で認知機能検査を受けることをお勧めします。

先生との相性で変化した母

当時、兄が二世帯住宅で母と暮らしていましたが、私は1時間ほど離れたところに住んでいました。匂いがしないまま生活するうちに、鍋の火のつけ忘れで部屋が煙で充満することもあり、めっきり自信を失くしたようでした。
70歳の半ばからでしょうか、あれほど一人を満喫していた母が「寂しい」としばしば電話をしてくるようになり、同時に兄や姪から母の不審な言動があるとの相談を受けたのです。
認知症を疑い病院を探して受診すると、やはり脳の萎縮が見られ軽度の認知症と診断され通院が始まりました。
ここでも一つ、後悔があります。
母の住んでいる近隣には、認知症専門医とされる病院が2つありました。一つの病院は週1日専門医が来る予約制の病院、そしてもう一つはいつでも認知症を診ている専門病院。少し迷いましたが、後者のいつでも診ているところに連れて行ったのです。

当初何年かは、何の疑いも抱きませんでしたが、先生がテレビに出演するようになってから、一変しました。患者の顔を見ないいわゆる3分診療になっていったのです。同時に、待合室にいるときの母は、少しでも待つと貧乏揺すりをし出し、鬼の形相で「まだ?」を繰り返し、イライラが爆発しそう。毎回ヒヤヒヤしていました。

そこで、ケアマネージャーに相談し、週1日専門医が来る予約制の病院のほうに移ることにしました。そのころ、認知症のミニメンタルステート(MMSE)検査※の結果は22点。移った先の先生は若いのですが、とても穏やかで母の話に耳を傾けてくれます。最初のころは能面みたいな顔で話していた母もだんだんと 柔らかくなっていき、今では先生に会えるのが楽しみだといいます。
MMSE検査も一時は25点 になり、現在は23点を維持しています。今の先生に変わってから6年になりますが、薬は以前よりも軽いものになり、症状も落ち着いているので、私の母にとっては穏やかな今の先生との相性が良かったようです。

※ミニメンタルステート(MMSE)検査とは、認知症の診断用に開発されたもので、一般的に使われているテスト。11個の質問があり、30点満点。27点以下を軽度認知障害の疑い、23点以下を認知症の疑いとしているが、複合的に判断されるため医師によって判断基準が分かれる傾向がある。
この検査のほかにも、長谷川式スケール、三宅式記銘力テストなど検査の方法は数種類ある。

徐々に現れていた「認知症の兆し」 介護する家族の後悔とジレンマ

デイサービスで昨年暮に作った布押絵羽子板。指先を使うことは認知症の進行を遅らせる一助に。

変化していく症状と介護する側の心

認知症と診断される前後は、出かけるときは心配で家の鍵を5回チェック、夜寝るときは火の元のチェックを30分おきにするなどの症状が現れていました。あるときは、ストーブが消えているか確認するために、鉄板に手をつけて火傷をしたりもしました。
このころ、デイサービスに通い出しましたが、ヘルパーさんに付き添ってもらっても鍵の確認は2回。そして、何かを探す行動をほぼ1日中していて、「私の頭、おかしくなっちゃった」といっては落ち込んでいました。このころは体重も減ってげっそりしていました。

色々考えた末、5年ほど前、実家に戻ることにしました。帰ってびっくり。大量のラップがあちこちにありました。まだラップでよかったと思います。なかには冷蔵庫に納豆がいっぱいという方もおられるそうです。何か一つのものが大量に買われていた場合は、認知症を疑うサインです。
食事が規則的になり、体重は増え健康的になった反面、今度は何か気にくわないことがあると怒鳴り散らすように。私は心の中で「認知症だから!」と抑えるのですが、どうしても売り言葉に買い言葉になってしまい、あとで落ち込みました。当の本人は「何か嫌なことをいわれた」程度には覚えていますがケロッとしています。そこもまた腹の立つところです。

2年前には鎖骨を骨折。ベッドから夜中に落ちたようなのですが、朝になるとデイサービスに行く気満々で気がつきませんでした。送り出すと午後になって所長さんから「腕がおかしいようです」との電話。急いで整形外科に行くと鎖骨がZ型に重なるように折れていました。場所が場所だけに、鎖骨バンドで固定するしかありません。骨が付くまでに半年かかりました。痛くてもわからない、これも認知機能の低下からくるもの。転倒を防ぐため、すぐさまベッドの手すりを手配しました。

そして、昨年3月コロナで騒がれる中、ひどい下痢をして近所の病院へ連れて行くと、先生はコロナ対応の重装備。コロナではなったのですが、原因はわからず、下痢止めを服用させ3日で何とか収束しました。ただ、トイレや触ったものの塩素消毒(ノロウイルスを疑い)と、汚れた下着やタオルを洗濯機に投げ込まれることに、辟易としました。

ここ2年ほどは精神的にも安定しましたが、MMSE検査だけでは計り知れない認知症の奥深さに苦慮しています。記憶は3分程度しかもたないので、何度も同じことを聞きます。イライラしますが、どうしようもありません。本人はいたって幸せそうで、鼻歌を歌って毎日過ごしています。
ただ、介護する側はやはり複雑です。ときにはどうしようもなくイライラして怒鳴ってしまうこともあります。そんな自分が嫌で自己嫌悪に陥りますが、最近は「どうせすぐ忘れる」と開き直れるようになりました。

最後に

母は外に出ていかないだけ、あるいは暴力的にならないだけ介護も楽なのだと思います。
様々な症状によって認知症介護に悩む方は多いと思いますが、どうか心のうちを話せる人を一人でも見つけてください。そうすれば少しだけ楽になります。そして自分を責めないでください。誰が悪いわけでもありません。
また、認知症の家族を抱えていることを隠さないでください。むやみに言い触れろというわけではなく、ひた隠しにしないということ。隠すということは後ろめたさを感じているということです。そんな思いを持っていると、介護対象者につらく 当たりがちになります。
祖母(母の母)は101歳で亡くなりました。この先のことを考えると不安だらけです。 
介護はきれいごとではすみませんが、この先も何とか周囲の理解を得ながらやっていこうと思います。

参考サイト
厚生労働省
認知症診療ガイドライン2017_200_第2章
一般社団法人 日本老年医学会

伊藤千恵美

短大卒業後、学校向け新聞を発行する新聞社に入社。保健・医療関係のチームに所属。10年余りで退社し、会社を設立。以降、一般の人にもわかりやすい健康・医療に関する本の編集に携わり現在に至る。

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