病に倒れてなお戦い続け、陣中で人生の幕を下ろした生粋の九州男子「立花道雪」

  • 作成:2022/08/25

立花道雪(戸次鑑連:べっき・あきつら)はキリシタン大名として知られる豊後の戦国武将、大友宗麟の右腕として活躍した武将です。猛将として名高い立花道雪は、「鬼道雪」と称されるほど勇猛果敢。彼にはもう一つ「雷神」というあだ名もあったようですが、それはいかに? 歴女医の馬渕まり先生が、道雪の雷神説について考察します。

馬渕 まり 監修
 
馬渕 まり 先生

この記事の目安時間は3分です

病に倒れてなお戦い続け、陣中で人生の幕を下ろした生粋の九州男子「立花道雪」

忠誠心を貫き続け、男気溢れた73年の生涯

立花道雪は永正10年(1513年)に大友氏の一族である戸次親家(べっき・ちかいえ)の次男として生まれました。元服前の14歳で、病弱な父に代わり出陣。これが初陣でしたが二千の兵で大内軍五千人の敵を打ち破りました。その年に父が亡くなり家督を継ぐと、大友義鑑(よしあき)・義鎮(よししげ)の二代にわたって仕えました。

天文19年(1550年)、大友義鑑が嫡男である義鎮を廃し、三男に家督を譲ろうとした内紛では義鎮を支持。その後41歳で養子に家督を譲っていますが、前線から退いた様子はなく、毛利氏や龍造寺氏との戦いに身を投じました。

天正6年(1578年)、主君である大友宗麟が島津氏討伐を計画、道雪はこれに反対をしましたが、宗麟はこれを決行。結果、耳川の戦いで島津軍に大敗し、大友家は以降衰退の道をたどります。大敗について道雪は宗麟を痛烈に批判しましたが、不利な情勢下で家臣の離反が相次ぐ中、大友氏に忠誠を尽くし、陣中で病死する直前まで島津氏と戦い続けました。享年73。

マンガさながら?落雷の火炎を一刀両断

さてここで、雷神と呼ばれるきっかけとなったエピソードを見てみましょう。それは道雪がまだ若き35歳の時のこと、江戸時代初期に書かれた大友家の興亡を記した『大友興廃記』にその様子がこう書かれています。

【道雪が故郷の藤北で、炎天下の日、大木の下で涼んで昼寝をしていた。ところが天が急にかき曇り、ひどい夕立となって雷がその大木に落ちた。道雪はとっさに立てかけてあった太刀千鳥を抜き、火炎を切り裂くと、涼んでいたところを飛び退いた。この時、道雪の太刀筋は鋭く、勢い余って自分の足を傷つけてしまった。以降、道雪の左足は不具になった】

人々は道雪が雷神を斬ったとうわさし、道雪は太刀千鳥の名を改め「雷切(らいきり)丸」として常に傍に置いたそうです。

大変かっこいいお話なのですが、現実とは異なりますので、「雷」についての注意点を記します。

まず、落雷は通年起こる現象ですが、頻度が高いのはやはり夏です。積乱雲が発生し、夕立や雷が発生しやすいことはご存知のことと思います。雷は場所を選ばず落ちますが、高いものがあるとこれを通って落ちる傾向があります。

気象庁のホームページによると、近くに安全な空間がない場合は、電柱や煙突、鉄塔、建造物などから離れるように説明しています。「高い木の近くは危険ですから、最低でも木の全ての幹、枝、葉から2m以上は離れてください」とあり、雷が発生し始めたら木の下で昼寝をせず、速やかに木から離れてください。木から離れていても地面に座ったり、寝転んだりしていると、接地している部分にしびれ、痛み、火傷が発生し、ときには歩けなくなることもありますので、昼寝の継続はNGです。

また、雷に打たれると黒焦げになるイメージがありますが、雷による電流は一瞬で流れ終わるため、一般的な感電にくらべ火傷は軽度であることがほとんどで、死因の多くは『心室細動』です。
心室細動になると、心室全体としての均一な収縮が乱れ、心室からの血液を送り出せなくなるため意識は消失、数分以内に正常調律に戻らない場合、死に至ります。雷に打たれた場合の死亡率は約30%と高率です。
とは言え、雷が人体に落ちる件数は少なく、わが国では年間10件程度、死亡も数人です。必要以上に心配せず、正しい対処法を知っておきましょう。

“情けは人の為ならず”最期まで戦い、人々に愛された道雪

落雷で左足が不自由になったと伝わる道雪ですがその後も馬に乗り、自ら槍を使って戦ったようです。晩年には輿に乗り、行軍した記録が残っています。

太り過ぎて馬に乗れず、家臣に輿を担がせていた龍造寺隆信は人望がなく、家臣に見捨てられ残念な最期を遂げたことは、この連載でも取り上げました。道雪の場合は他人への配慮を欠かさない人柄であったため、苦戦をした際に、「私を敵の中に担ぎ入れて、命が惜しければそのあと逃げても良い」と命令しましたが、家臣は日ごろの感謝からそのようなことはせず奮戦し、敵を退けたという話も残っています。

柳川城攻めの最中に病を得た道雪は、「自分が死んだら甲冑を着せ、高良山に、柳川の方を向けて埋めよ。これに背けば祟りをなす」と遺言を残しました。しかし、養子として家督を継いでいた立花宗茂は遺言に背く形になっても亡骸を置いてはいけないと国元に運んだそうです。

辞世は「異方に 心引くなよ 豊国の 鉄の弓末に 世はなりぬとも」。

死ぬまで主家に忠誠を尽くし、周りに愛された武将でした。

広島県生まれ。秋田大学卒。
現在は愛知県の病院勤務。糖尿病専門医・総合内科専門医。
趣味は旅行と食べ歩き。

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