あの武将の命も奪った梅毒。コロナの陰で7000人以上感染

  • 作成:2022/02/08

虎退治で有名な豪傑として知られている、肥後熊本藩初代藩主、加藤清正。その一方で、築城の名人としても知られ、今なお地元の人々に愛されている熊本城を始め、名古屋城や江戸城築城に携わりました。 荒々しいイメージのある清正ですが、肥後では田麦を特産品化したり、治水工事を行ったりと内政に優れた手腕を発揮。熊本城の改修にあたっても農閑期に賃金を出して進めるなど善政であったため、現在も清正公さん(せいしょこさん)と呼ばれ親しまれています。今回は、武と治政両面に長けた加藤清正にスポットを当て、歴女医馬渕まり先生にお話ししていただきました。

アスクドクターズ監修ライター アスクドクターズ監修ライター

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あの武将の命も奪った梅毒。コロナの陰で7000人以上感染

秀吉にも家康にも仕えた清正50年の生涯

清正は永禄5年(1562年)尾張に刀匠(刀鍛冶)の子として生まれました。父は清正が3歳の時に亡くなっており、清正の母が秀吉の母と親戚であった縁で羽柴吉に小姓として仕えたのです。

本能寺の変ののち、後継者争いで秀吉と柴田勝家が争った賤ケ岳(しずがたけ)の戦いでは敵の有力武将を討ち取る功績をあげ「賤ケ岳の七本槍」と称えられました。その後も秀吉配下の武将として小牧・長久手、四国征伐、九州平定と従軍し、天正16年(1588年)に肥後の佐々成正が失政で切腹させられたあと、代わって肥後の北半分19万5000石を与えられました。

朝鮮出兵の1回目、文禄の役では二番隊の主将として活躍するも、一番隊の小西行長との対立や、明との講和を急いだ小西、石田三成らの讒言(ざんげん)で謹慎処分となってしまいます。この時の恨みから、秀吉の死後は徳川家康に接近し、関ヶ原では九州に留まり東軍に協力、戦後に肥後52万石の大大名となりました。

東軍についたとは言え、元は秀吉に忠義を尽くしていた清正は、家康との関係を保ちつつ豊臣家を守ろうと奔走。領内の年貢は大阪城の豊臣秀頼に送り続け、慶長16年(1611年)3月、二条城での秀頼、家康の会見を取り持つなど和解に努めました。しかし、5月26日二条城の会見から熊本に帰る途中の船で突然病を得て、6月25日熊本で死去しました。享年50。

「英雄色を好む」清正の死因は梅毒!?

さて、二条城の会見までは病の記録もなく元気であった清正が、突然病気になり急逝したわけですから暗殺説もまことしやかに流布しました。

有名なものは、豊臣恩顧の武将の処遇に頭を悩ませていた家康のために、忠臣・平岩親吉が食事に毒を盛り、疑われないために自分も食べ加藤清正、浅野幸長、池田輝政などを暗殺したという話です。饅頭に毒を入れたというバージョンもありますが、各人の死んだ時期が近いとは言え、清正と親吉を見ても半年のずれがありますし、そもそも二条城の会見に親吉が参加した記録が残っていませんから違うでしょう。

『清正記』、『続撰清正記』の記述をまとめると、「船中で熱病にかかった」、「病は次第に重くなり6月23日には身が黒くなった」、「熊本城について2〜3日すると、舌が不自由になり話をすることができなくなった」とあります。何か急速に衰弱したことはわかりますが、これだけではっきりしたことはわかりません。

ここで出てくるのが家康の側近が書いた「当代記」。慶長18年(1613年)に浅野幸長が梅毒で死んだと断定しており、2年前に亡くなった加藤清正も同じ病気であったと書いてあります。「ひとえに好色の故」や「浅野幸長は遊女、傾城(けいせい)を買いおいて」とあるので、梅毒が性行為で感染することは当時からわかっていたようです。

清正がどこで梅毒を拾ったかですが、当時すでに日本国内で蔓延していたためわかりません。ただ、晩年はかなり放蕩したようで色々な家の記録に残っています。バカ殿を演じて家康に疑われないためとの弁護もありますが、女歌舞伎などをかなり楽しんだようで、そのあたりで感染したのかなと推察されます。

2021年過去最高数となった梅毒患者、現代人も要注意

さて、梅毒はいつから日本にあったのでしょう?

梅毒は1492年コロンブスにより新大陸から欧州に持ち込まれた説が有力です。日本で最初の記録は1512年、鉄砲よりも30年早く伝来しています。

梅毒は、梅毒トレポネーマという細菌に感染して起こる病気です。性行為により皮膚や粘膜から感染しますが、母子感染の報告もあります。梅毒は治療を行わない場合、症状が出たり消えたりを繰り返し、1期から4期まで慢性的に進行していきます。

1期は局所症状で、感染部位のしこりや膿、リンパ節の腫れ、これらは2〜3週間で消失します。それから3か月程度で全身に広がる発疹(バラ疹)などの2期、そこから数年、長い人では数十年なりを潜めて、第3期になると皮膚にゴムのような腫瘍(ゴム腫)ができ、4期になると多くの臓器、時には脳や神経もが侵され死に至ります。

梅毒は肝炎を起こすこともあり、清正の場合は身体の黒変から梅毒性肝炎も疑われます。

ペニシリンの普及で梅毒は激減し、3期以降の症状をみることは稀になりましたが、2021年の梅毒患者は1999年に現在の集計法になってから過去最高の7134人(2021年12月14日発表)に達したニュースは耳に新しいと思います。

水銀くらいしかなかった清正の時代と違い、現在は早期の薬物治療で完治が可能です。コンドームの使用などでリスクを下げる対策はもちろん必要ですが、心配な時は血液検査をしてください。保健所で無料検査を行っている自治体も多くあります。

馬渕まり

糖尿病専門医と総合内科専門医

広島県生まれ
秋田大学卒
現在は愛知県の病院勤務

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