長寿の秘訣は島流し?松平忠輝と宇喜田秀家に見る健康のポイント
- 作成:2022/04/30
『健康で長生きしたい』。誰しもがそう願うでしょう。戦国時代でも徳川家康、伊達政宗、毛利元就などは医学にまで精通しており、3人とも当時としては長寿にあたる70代まで生きています。家康が天下人となれたのは、後継者が育つまで長生きしたことが大きいとも考えられます。健康に気をつけることは大事なのですね。 しかし、本人が意図しない理由で長生きができたと考えられる武将もいます。代表例をあげますと『松平忠輝』と『宇喜田秀家』あたりですね。2人の共通点が分かりますか?答えは『流罪』です。
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(画像素材:ピクスタ)
ストレスって身体に悪いのです!
戦国時代と言えば、食うか食われるかの弱肉強食の時代。
戦国武将の方々にはそうとうな精神的ストレスがかかったと考えられます。では江戸時代に入れば安定かと言いますと、家康、秀忠あたりまでは情勢も不安定、多くの家を取り潰した家光の強権的な政治もストレスだったのでは?
ストレスってなんとなく身体に悪そうな気がしますが、はっきり「身体に悪い」というデータがあるのです。イギリスで行われた大規模研究では心理ストレスを質問票で計り、ストレスが無い人に比べ軽度のストレス群でも死亡率が1.2倍に、重度の場合は1.94倍にも増加したという結果が得られています。
ストレスが心筋梗塞の発症率を上げるというデータは昔から知られており、これにはストレス時に出るカテコラミンやステロイドなどのホルモンが関わっていると考えられます。
これらのホルモンはごく短期的に見ると闘う時に有利となる血圧や血糖値の上昇を引き起こしますが、長期に分泌亢進が続くと血管を傷めてしまいます。
もちろん心の病気にも深く関係しており、不眠症やうつなどの原因となることもあります。
今回そんなストレス(主に仕事)から、図らずも若くして引退したお二人をご紹介します。
「顔が可愛くない」と父に嫌われ…
松平忠輝は天正20年(1592年)に徳川家康の六男として生まれました。
しかし、母の身分が低かったため家臣に預けられ育てられました。その後、家康に嫌われ続けるのですが、その理由は「顔が可愛くないから」や「切腹した長男信康にそっくりだから怖い」など、ひどいものでした。兄に似るのはおかしくないでしょうに…。
とは言え、14歳で伊達政宗の娘、五郎八姫と結婚。慶長15年(1610年)には越後高田藩主、75万石の大大名となります。しかし、大名になっても家康には嫌われ続け、臨終に駆けつけるも城に入れてもらえず…。その後、無礼を働いた秀忠の旗本を切り捨てたことなどが問題視され24歳で伊勢に流罪となりました。
流罪の原因は気性が激しかったためとも、義父にあたる政宗が忠輝を擁立してクーデターを企んでいたからだとも言われています。その後は飛騨高山、信濃国諏訪と流配先を変え、死ぬまでの58年間は諏訪で過ごしました。
流罪といっても家来が85人いましたし、俳句や茶を嗜んで穏やかな日々を過したとのこと。諏訪藩の見張りも緩く裏口からこっそりお忍びでお出かけも出来たようで、近所の鴨池で猟をして遊んだ話も残っております。このような生活に困らない程度の質素で穏やかな生活の結果、忠輝はなんと92歳まで長生きをしました。亡くなった天和3年(1683年)はなんと5代将軍綱吉の時代です。
みんなに好かれたイケメンも関ヶ原で敗れ…。
宇喜多秀家は元亀3年(1572年)の岡山生まれ。父親は暗殺など謀略で有名な宇喜多直家です。10歳で父が死に、跡を継いだ秀家を色々世話したのが後に関白となる豊臣秀吉でした。秀吉は秀家が跡を継ぐ段取りをつけたり、自分の養子にしたり、更にとても大切に育てた養女、豪姫と結婚させております。
豪姫は前田利家の娘でしたが、子の無い秀吉夫婦の元へ幼い頃に養女に出され、秀吉にも妻のねねにも本当の娘のように可愛がられました。そんな豪姫を嫁にもらったということからも秀吉の寵愛ぶりがうかがえます。政治の面から見ても五大老の一人と豊臣政権の一角を担っております。
天下分け目の関ヶ原の戦いで、豊臣に恩を感じていた秀家は当然西軍。副大将として1万7000人の兵を率いて積極的に戦うも、小早川秀秋の裏切りで敗北。秀家は「陣に乗り込んで秀秋を倒す」と激怒しますが、部下に止められ落ちのびます。
伊吹山に逃げた秀家は落武者狩りに遭遇しますが、ここで信じられないことが起こります。秀家の毅然とした態度に感服した相手が、なんと秀家を自分の家に40日も匿い、豪姫が居る大阪の前田屋敷まで病人に偽装して送り届ける手伝いまでしたのです。
その後、島津義弘を頼り薩摩まで落ちのび、3年ほど匿われるのですが「島津が秀家を庇護している。」と噂がたった為、藩主であった島津忠恒により身柄を家康に引き渡されます。
普通なら死罪のところですが、忠恒や妻の兄にあたる前田利長の懇願により助命が叶い久能山へ幽閉、その後34歳で八丈島へ流罪となりました。
秀家は余生の50年を八丈島で過ごしました。生活に不自由はあったようですが、妻の実家である前田家から隔年で米70表と金35両、衣類や薬品などが送られ、また旧家臣であった花房正成も米などの援助を続けました。前田家からの援助はなんと明治維新まで続き、家臣であった花房正成も「花房家がある限り秀家を援助するように」と遺言を残していることから相当好かれていたと考えられます。
秀家の一家は「浮田苫」と呼ばれるムシロを編んで売っていた話もありますが、妻からの援助もあり庶民のように食うに困ることはなかったと考えられます。秀家が亡くなったのは明暦元年(1655年)で享年83、幕府は既に4代将軍となっていました。
仕事のストレスが少なく贅沢をしなければ長生きできそうですが、私たち庶民にはなかなか難しそうですね。程よいストレスはやる気や生活の張りにつなげることもできますので、うまく付き合っていきたいものです。
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